一手
「無駄ですね。どうやら時雨くんは、携帯端末の電源を切っている。幾ら彼が航羽社の技術者でも、発信源の追跡も不可能だ」
答えたのは、くたびれた紺色のスーツを纏った灰色の髪の男、波崎和馬だった。彼の傍らでは、全獅と大和を睨みつける熊切がおり、2人に挟まれるように黄砂色の髪の少年が簡易なパイプ椅子の上で頭を垂れていた。
強く下唇を噛んで出血した小柄な少年、桜夜とは別に全く手を出せない状態で白虎に対する拷問を見せられ続け、同時に電子的な追跡を迫られていた雷音の様子を見て、全獅は波崎に聞く。
「時雨くん回りから彼の足取りは掴めない、か。波崎さんの情報網には?」
「何のために彼らを尋問したと思っているのですか?時雨くんは私の弟子。私のやり口は熟知している。それに、乗り捨てられた軽トラックを考えれば、彼はこちらの包囲網を掻い潜ってスラムにいる。特にあそこの住人を好んで使う彼のほうが、都市外では私より上手です」
モジャモジャとした灰色の髪を揺らす男の目には、弟子に裏切られた苦痛は見えない。むしろついに愛弟子が自分の手を噛むまでに成長したことを喜ぶような色があることに、全獅は気づいた。
だから、
「なんつ~こったよ。駆けつけてみりゃ後の祭り。大和と互角にやり合える真白くんを抑えつけ、〔界子〕を吸引する拷問室に入れるだけでも超苦労したのに、結局情報ゼロ。あるのは死体死体で、〔自然派〕はトンズラとはよぉ~」
全獅はそれを咎めない。ただ口に出して現状を整理して、今自分のとるべき行動を探る。
しかし、
「〔自然派〕に狙われたのは、そもそもアナタのところの実働員でしょ?しかも彼女、〔AVADON〕とは名ばかりの甘ちゃんだったようね?もし彼女が〔AVADON〕らしく〔人質など無視するほどの凶悪さ〕を備えていたなら、敵に〔人質をとれる状況が弱点〕だなどと思われなかったはずだわ」
「そ、れは・・・」
全獅の発言の一部が癇に障ったらしい熊切が、真一文字に閉じていた口を開く。〔冷鉄女王〕の名に相応しい歯に衣着せぬ辛辣な言葉に、己の不甲斐なさを自覚している大和が狼狽える。
だから、
「おぅ?じゃあさ~、アンタらはどうなわけ~?警察が、本部である警察署をこうも簡単に占拠されたアンタらはよ~ぅ?」
「私達は日々市民のために動く組織よ。アナタ方や〔自然派〕のような、人の心を失った連中と正面切って戦うための馬鹿な組織ではない。そんなことも知らないの?」
苛立った全獅はニタリと挑発を売り、歴戦の女刑事たる熊切はそれを慇懃無礼に買い取る。
そこへ、
「大丈夫ですよ、皆さん」
勝手に懐から出したタバコに火をつけた波崎が、紫煙を吐きながらゆるりと言った。
食ってかかろうとした全獅と熊切に、煙のごとき男はすらすらと言葉を並べる。
「いいかい?まず1つ。未だ、〔自然派〕からは犯行声明は出されていない。それはどうしてか?彼らが大義を成すための鍵、朧凛名を確保していないからだ。それはつまり、我が裏切りの愛弟子、天出雲時雨くんが何らかの方法で彼女を隠し通し、確保しているからに他ならない」
「だが・・・」
「聞きなさい」
割って入ろうとした全獅をアッサリと遮り、波崎は続ける。
「そこでだ、我々はどうすべきか?それはもちろん、時雨くんと朧くんを確保することに他ならない。もちろん時雨くんの仲間が口を割ることはないとわかっているし、私の力を持ってしても時雨くんを発見することは難しい。この場にいる誰にも、彼は見つけられない」
「じゃあどうするてぇ~のよぉ!?」
「〔だからこそ打てる手がある〕。それがわかりませんか?すでに私は、幾つかのヒントを君達に与え、コッソリと一手を投じている」
「一手、だってぇ?」
状況を呑みこめないまま下された波崎の結論に、全獅と熊切は顔を見合わせる。非感染者である男の言葉に、彼の頭脳に、超級の感染者である全獅と熟練の刑事である熊切がついていけない。
しかし、
「ホラ、来た」
ニッコリと笑った波崎の手が掲げた、震える携帯端末。
そこに表示された着信相手を見て、全獅と熊切は息を呑む。