銀色の声の〔天地闊法〕
『ウオ!?』
警察署の廊下を飛翔し、落下した時雨に驚いて、増援に駆けつけた〔真実ノ御旗〕の実働員、その先頭を務めていた男が驚きの声を上げる。即座に小隊全員、3人分の銃口が背中と口元から血を流す時雨を捉えるが、次の瞬間には対応した少年の蒼い影が旋回。自らの両脚を拘束していた、〔今はただの肉の塊となった巨人の右腕〕ごと強烈な足払いを放ち、手前の2人が転倒する。
時雨はだから怯んだ3人目に注意して立ち上がり、転倒した2人の腹を連続して踏み潰し、笑み混じりに叫ぶ。
「馬鹿と刀は使いようだな!?」
「ほざくがいい!貸しは必ず返してもらう!」
少年の叫びに応じ、残された3人目の襲撃者の視界で黒髪の少女、抹殺対象である絶薙大和が傲岸不遜な笑声で叫び返す。思わず一歩を退いた3人目は、そこでやっと自分の足元に〔巨大な人間の赤黒い右腕〕が夥しい血を吐きながら横たわる光景に気づく。
つまり、
「怠げ者は、腕がないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」
時雨は、賭けに勝った。
大和の精確無比な斬撃で右腕を失った巨人の声が、それを証明する悲鳴を上げる。
いや、それは賭けと呼ぶには勝算が高すぎる出来レースでしかなかった。
なぜなら、
「蹴りを突けるぞ!?」
「私に指図をするなよ!」
たとえ今指環を外していなかったとしても、冷静さを取り戻した時雨には大和の動きがわかる。利用された〔崩壊者〕を屠らねばならぬ、自らが抱いたその罪の意識を、少なからず少女も感じてくれているとわかる。
だからこそ、背後で切り札たる巨人の不利を悟って呆然と立ち尽くす襲撃者を放置し、時雨は大和と挟むように巨人に迫る。
時雨の視界の先には、廊下に出て来た熊切と桜夜、凛名の姿。
少年が勝たねばならぬ、理由が在る。
喚き散らす巨人が、先行した時雨に振り向く。
しかし、
「〔駆脚〕!〔孔雀陽炎〕!」
時雨は独特のリズムと歩幅、サイドステップと重心移動を駆使した特殊走法を展開。少年の姿がぶれ、健常な視覚をまだ持っているらしい巨人に、2重3重にボヤけた姿となって迫る。
だが、
「怠げ者はあああああああああああああああああ!?」
時雨が相手にしているのは、拳だけでも一抱えはある巨人だった。もし〔天地闊法〕の達人たる時雨の祖父、非感染者でもある彼ならば、5、6人には分身して見えただろうその技は、少年の未熟な技術ではあまりにも広い巨人の攻撃範囲から逃れられない。
それがわかっていたからこそ、
「それが狙いなんだよ!」
「〔絶薙流〕!」
時雨は、振るわれた巨人の左手の軌道の直前で急停止。〔崩壊者〕の背後から迫った大和が、見事な囮を果たした時雨の意を汲んで弐刀を振るう。
ガキュン!
巨人の背中に生えた〔界子〕の強固な塊が、冴えわたる大和の弐刀に砕かれて内部から真紅の血を噴出。地鳴りのような雄叫びを上げて、残った左腕で巨大な体躯を抱えて苦痛に身を捩る。
そして、
「これで、サヨウナラだ!」
大和がそう叫んで振り返った巨人に向かって再度地を蹴った直後、時雨の背後にいた3人目の実働員が動いた。
3人目の指は、肩から下げた軽機関銃のトリガーをしかし引かず、腰の携帯端末のボタンを操作する。
そして、
『いいカイ?聞きナサい』
短く跳躍した大和と巨人の間に、時雨は背後の男が3次元映像を投影したことに気づく。顔全体を覆う知覚拡張素子搭載型の無機質なヘルメットとマント越しに、記録されていたらしい映像の中の男が合成音声で赤黒い巨人に言う。
『お前ハ誰より、働きモノだヨ?』
鉄仮面の声に時雨の蒼い眼が見開かれ、不気味な戦慄と共に時間の感覚が伸びる。
赤黒い巨人の白濁した瞳孔が大きく開き、次の瞬間には飛翔する大和に定まる。
背筋に悪寒を奔らせた蒼い少年と黒の少女は、光景に確信する。
鉄仮面の一声で、巨人の中にあった何らかの楔が外れたことを。
そして、
「ロルロルロルルロルウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!」
「絶薙!?」
「な、に!?」
爆発的に全身の筋力を膨張させた巨人が、大和の身体を左の剛腕でぶち抜く。
肉体の強度はさほどでもない〔武装型〕の大和の体では受け止めきれぬ、それは必殺の重撃。幾ら反射的に弐刀を防御に回したところで、重症は免れぬ致命の逆撃だった。
だからこそ、
「〔天地〕・・・〔闊法〕」
間延びした時間の中で、時雨と大和は、スッと黒の少女の背後から歩み出た、銀色の声の主を見て息を呑む。