〔崩壊者〕
大和の背後の天井を突き破って現れた赤黒い肉の塊。
ずんぐりとした2本の腕と野太い短足。
発達した胸筋と背筋で小山のような威容を曝す半裸の大男が、飛び退いた大和と、能力の効果範囲が広がり過ぎるのを抑えるため1度指環を嵌め直した時雨を、長い黒髪の間から覗く白い眼でジッと見つめる。腰布だけを廊下一杯に広がる赤黒い体躯に纏わせた大男は、時が止まってしまったかのように微動だにしない。
しかし、
「コイツ、感染者だと!?」
時雨は巨人のような大男を見て、経験と知識から典型的な〔強化型〕の症例と断定。またもや感染者を排斥しようとする組織から送られた、教義と矛盾する刺客に少年は驚きを隠せない。
だが、時雨の蒼い瞳が大男の背中に生えたそれを見た瞬間、
「そういう、ことか!」
「ああ、ヤツや屋上の狙撃手は、〔崩壊者〕だ」
時雨の眼が〔大男の背中から幾本も生えた、槍の穂先のような形状の透明な結晶〕、〔界子の塊〕を見て言葉を発したタイミングで、大和がその理解を肯定する答えを返す。
つまり、
「〔真実ノ御旗〕は、俺達感染者の最大の死因、能力の使い過ぎで人格が崩壊した状態の人間を、赤ん坊以下の知能しかない〔崩壊者〕を、洗脳して〔手駒〕にしてやがるのか!?」
「そうだ。なぜなら奴らにとって、感染者など人間以下のゴミ。大義を達するために、何の関係もない一般人を使うことに躊躇いもないのだろう」
大和の補足に、時雨の背には怖気が走る。
たとえ人格が崩壊しようと、白濁した目でこちらを見つめる彼は被害者なのだ。今まで歩んできた人生全てを犯され、否定され、利用された、絶対に存在してはならない存在なのだ。
だというのに、
「迷うな。惑うな。躊躇うな。アレはすでに人ではない。知っているだろう?〔崩壊者〕は、人格というタガが外れたことで、とてつもなく強力な戦闘力を持っていると」
時雨の隣に立ち、迎撃態勢をとる大和の言葉は、ただ前を見据えて進むことを促す。
だから、
「く、そ・・・!」
時雨は、ギシリと歯を食いしばって眼前の光景に立ち向かう決意を固める。
これだけ迷ってしまったのは、〔ついさっき眼前の大男と同じように、力と組織の思惑に振り回され、苦しんできた少女〕の心情をプロファイリングしていたためだった。
目の前の男が、凛名と同じなのだと気づいてしまったからだった。
そして、
『俺は・・・何を考えている』
時雨は、湧き上がる感情の整理をつけられない。
なぜなら、
『俺は、コイツや凛名を、救いたいのか?』
過去、理不尽な離別を強いられた時雨の心は、彼らに降りかかった理不尽を、簡単に見過ごし、見捨てることが出来なかったからだ。
しかし、
『馬鹿な!クソ!俺は、利用するだけだ!』
時雨は、感情的になっている自分をそうして無理やり引き戻す。ただ、眼前の〔敵〕を打ち破ることだけに、意識を集中する。
だから、
「・・・どいて、くれええええええええええええええええええええ!」
「待て!?無茶だ!?」
夜色の髪を翻した少年は、大和の制止を無視して哀しき巨人に特攻する。