父たる男の名
そして、
「〔守掌〕」
ずっと無言を貫いていた時雨の視界であり勝手に動く身体が、やはりどこか聞き覚えのある声でそう呟き、右手を前へ、遊羅の方へとかざす。
つまり、
「〔諸手壱刀〕」
中空の遊羅が、空間に銀の華を咲かせる。
時雨が気づいた時には、360度、全方位へ殺戮の斬撃が飛んでいる。恐るべき銀の華は第2波として新たなに突貫していた3体の蟻型を、時間差の第3波攻撃に備え力を溜めていたそれの仲間を7体を、街路樹4本と放棄された自動車やトラック、中破した〔O.F.〕の胴体を、半径70m以内に居並ぶ雑居ビルの悉くを瓦礫と化し、さらには当然のように時雨の勝手に動く身体を見事な直線の斬線で瞬時に破滅させる。
ガガガガガガガガ!
眼前で、閃光。それは、時雨の勝手に動く身体が掲げる右手が無差別に放たれた斬撃の1つ、自分を襲ったそれを受け止める音と火花だった。
「君はこんな時でも、私を殺すのに余念がない」
時雨の視界が、着地して振り返った遊羅に言葉をかける。時雨の意識が載った身体が完全に斬撃を相殺した右手を降ろし、歩を進める。時雨の思考が、その声の懐かしさに、ハッと息を呑む。
「嗚呼、やはり吾輩は、お前と遊ぶのが好きなのだ」
視界の中で笑う、死と遊ぶ羅刹。遊羅の黒い瞳が、ドンドンと近づく。時雨の口が、喋り続ける。
「ハッキリ言って、アナタの弟分である赤鉄くんと奥さんである雅美さんには同情します。なぜ君のような男に惚れたのか、人生最大の不幸と言わざるを得ない」
「フフ。吾輩と同じ異端児がよくよく言う言う。吾輩から言わせれば、お前と黒き竜・栞名が子を成したこともまた至極喜悦の笑いの種でしかない。ああ、あの木偶の坊、ヴェルフリートを拾ってきた時も同じような気分だった」
「私の愛する妻と息子と助手を笑いの種と言い切るアナタの腐れ感性がわからない」
時雨の心臓は、その会話の中に含まれる名前、1つ1つに鼓動を強くする。
赤鉄、雅美、ヴェルフリート、遊羅。
時雨の探す、〔大切な仲間達〕がその会話には居る。
当然のように、母、天出雲栞名の名前も、そこには居た。
そして、
「私はアナタのそういうところが嫌いです、遊羅くん」
「吾輩は貴様のそういう苦い顔が愛しいよ、時定」
時雨の思考は、停止する。
遊羅の黒い瞳に映る影、蒼い瞳に夜色の髪、白衣を纏う男。
父たる男、天出雲時定を見て、停止する。