おやすみ
しかし、少女は驚く少年にコクリと頷いて事実だと肯定してみせる。
「ただ・・・」
「・・・なん、だ?」
口ごもる凛名に対する少年は、どんな条件も覚悟して言葉を待つ。可能な限り情報の対価は払うつもりだったが、凛名を追う組織の存在、凛名のことを何も知らないという事実は、時雨が少女の望みを予測することを困難にする。
しかし、
「私は、時雨さんのお父さん、天出雲時定さんの所在に関する情報を持っています」
「本、当か!?」
「ですがその・・・私は、時雨さんのことを、少しだけ知ってしまいました。どんな人なのか、どういう性格の人なのか、何を大切にする人なのか、少しだけ」
「・・・ああ。だが、それがどうした?」
「ですから、その・・・いえ、〔だからこそ、言っていいのか迷っているんです〕」
「・・・?」
眉間に怪訝なシワが寄るのを自覚しながら、少年は論理的思考を巡らせる。しかし、情報が少なすぎて時雨には凛名の躊躇いの理由がわからない。情報を持っているが、時雨と言う人間の気質を知ったことで躊躇いが生まれた。それがなぜかわからない。
「一体、どういう・・・?」
「あの・・・もったいぶるわけではないのですけれど、少し考える時間をくれませんか?」
「時間、か・・・」
正直に言って、惑う瞳で見上げてくる凛名の提案を呑むのはかなり厳しいと時雨は見る。
なぜならすでにヨロズ最高の探偵を謳われる波崎和馬が、国内のどんな武力行使も不問にされるという異質にして凶悪な強攻部隊、〔AVADON〕の強制の下、引っ越す前に停止させたスラム民や街のアウトローなど、〔法的にグレーな連中〕を使う捜索ネットワークを再構築しつつある。
昨晩凛名を保護してから今に至るまで、時雨はガデティウスと連携して彼女の存在を出来る限り誰にも気づかれないよう配慮してきた。しかしそれでも相手は〔灰色の男〕の異名をとる時雨の師、この街を知り尽くす男だ。相手が土地勘のない〔AVADON〕だけならばもう少し条件はマシだったが、どんな些細な見逃しを波崎に掴まれ、手繰り寄せられるかわからない。
だから、
「3日、だな。それでもかなりキツイ」
「3日・・・」
「ああ。さっきも言ったが、お前を狙う組織が2つあり、片方の組織はヨロズ最高の探偵、俺の師匠を使ってる。〔自然派〕は組織の規模が未知数だし、聞いたところによると、今日俺達を襲撃して捕まったのはヨロズ在住の末端の信者らしい。知り合いの刑事は本命、組織の実働部隊の捜索を強制されているしな。ずっと家にいることが前提で、それが限界だと思う」
「そう、ですか」
自分の探偵としての実力の無さに内心歯噛みしながら、時雨はそう告げた。
しかし、
「ありがとうございます」
うなだれる時雨に、凛名が困ったように笑ってそう言った。なぜそんなに嬉しそうなのか、何を迷っているのか、もはやこの場にいることが苦しくて仕方ない時雨は問うことを諦める。
代わりに、
「朧・・・」
時雨は改めて、謝罪を口にしようとして、
「いいんです。でも、桜夜さんに、ああいうのはダメですよ?」
「・・・なんでそこで桜夜が出てくる?」
「思った通りの反応ですけれど、ハッキリ言ってどうかと思います」
「・・・なんか、すまん」
なぜか、小柄な少女に叱られた。かなり落ち込み、戸惑っている時雨が面白かったのか、凛名がクスリと笑みを零す。ドキリと少年の心臓が鼓動を打つが、戸惑うところをあまり見られたくなくて、時雨は振り切るように寝室を出る。扉を開け、振り返る。
「え、っと・・・悪いが、シャワーを浴びたら俺も、こっちで寝るから、な・・・?」
「はい」
「その、先に、寝ててくれ。俺はマットレスを出すから、お前はベッドでいい」
「でも・・・」
「いいから」
「・・・は~い」
「それ、から、俺は明日も出かける。家から出なければ、冷蔵庫の中のやシャワーなんかは好きに使っていいし、何か入用があれば買ってくるから言ってくれ。」
「何から何まで、お世話になります」
「あ、と・・・」
「?」
「おやす・・・み」
「え?」
逃げるように時雨の姿が凛名の視界から消え、扉が閉まる。取り残された少女は1度クスリと笑みを零し、寝台に座ったまま月光の中に1人佇む。カーテンの隙間から見える朧月を見上げ、凛名が呟く。
「こんな風に悩むなんて・・・まるで・・・恋してるみたい」
言葉とは裏腹に、少女の瞳には深い憂いと悲しみがあった。
次の瞬間、少女の傍らに静かに小さな影が現れる。
凛名は、小さく言う。
「・・・時雨さんのこと、好き?私でもあり、アナタでもある、私は?」
少女の傍らに鎮座した影は、答えない。