優し、すぎます
「朧・・・!?」
「あ、いや・・・!?」
両腕を抑え込まれた凛名の抵抗する声に、しかし時雨は躊躇せず顔を近づける。八の字になった眉の下で、紫の瞳が恐れの涙に歪むが、構わない。
室内を満たす暗黒と同化した少年が、問う。
「今日、俺のところにお前を探している人間が来た。1つは、政府公認の超法規的強攻殲滅部隊、地獄の釜と仇名される武力解決による最終手段、〔AVADON〕の実働員だ。覚えてるだろ?今朝俺らを追ってきた女だ。今日事務所に仕掛けられた爆弾、〔汚染以後に開発されたUNU火薬と浄化済みのHMXを混合させた爆薬の、腐ったリンゴのような微かな甘い臭気〕を嗅ぎ分けられる、地獄の番犬だ」
「あ・・・」
「それだけじゃない。女とその相棒は、俺と師匠である波崎さんに〔法的に強制的に捜査を続行させる権限を持っていた〕。俺と波崎さんの知りあいである刑事も、協力させられてる。万が一協力しない場合、〔俺と波崎さんが非協力罪に問われる〕っつうオマケ付きでな」
「そ、れは・・・」
凛名の瞳が、恐怖とは別の何かで揺れる。時雨は少女が狙われる理由を知っていることを確信し、言葉を続ける。
「それだけじゃない。お前を狙う組織は、もう1つ。感染者排斥を謳う〔自然派〕がお前を追っている。まだ調査も進んでおらず、声明も出ていないため、具体的な組織の規模も名称もわからない。だが、その組織は〔AVADON〕と相対出来る大規模で、同時に、〔自然派に狙われる価値〕がお前にはあることだけは俺にもわかる」
「・・・」
凛名が、身体の震えを強くして目を逸らす。だが、時雨は逃がさない。右手1本で凛名の両腕を仰向けに横たわる彼女の頭の上で拘束したまま、黒い指輪の嵌る左手で細い顎を掴む。無理やりに、嗚咽を堪える少女を蒼い眼差しで捕まえる。身じろぎする凛名に、冷徹そのものと化した少年が押し殺した低い脅声で問う。
「答えろ!?お前は、何なんだ!?国家のジョーカーと、狂気の思想集団から狙われるお前は、一体どういう存在だよ!?」
「わた、しは・・・」
凛名の口から掠れた声が漏れると同時、少女の大きな瞳から大粒の雫が一筋、頬へと流れる。少女の心が軋む音が、〔心を読む能力〕を発現していない状態でも、時雨には聞こえる。
しかし、
「俺はプロだ。スラム仕込みの、身体に聞く方法もあるんだぞ?」
自分の行為に嫌な汗を流した時雨は、しかし脅迫に近い尋問をやめようとはしない。
代わりに、
「い、あ・・・!?」
時雨の自由な左手が凛名の右の太腿に添えられる。細く長い指が、少女の脚の内側にある血管をなぞるように動き、刺激し、徐々にその艶やかな脚の付け根へ向かって上がる。スカートの端に左手が触れ、その内部へと進む。
寸前、
「う、ふ、っく・・・!」
時雨は、見てしまった。
苦しさと悲しさ、恐怖に歪んだ凛名の顔を。
「ごめ、なさ・・・私が、みんな、私・・・」
心身を犯される恐怖の前で、時雨ではない誰かに対して、謝罪の言葉を口にする少女を。
だから、
「・・・く、っそ・・・くそ!」
時雨の左手は、凛名の太腿の付け根に至る前に、引かれて戻る。代わりに、〔また英雄らしい甘さを見せた自分自身〕の頭を、時雨の左手は憎悪を持って掴み、右手と一緒になって爪を立てる。どうしても、最後の一線で非情になり切れない自分を嫌悪する。
ビクリと震えた凛名が、驚いたように目を見開いて時雨を見た。
その眼差しに耐えられなくて、時雨は寝台の端に座って背を向ける。頭を抱え、少年はうなだれる。〔過去の大切な人〕を追うが故に、〔今目の前の他人〕を犠牲に出来ない自分に、少年は深く絶望する。凛名の嗚咽が小さくなっていくが、時雨の心では自己嫌悪と絶望とが大きく膨らみ続ける。
長い、長い沈黙。
どうして時が動いていたのかわからなくなるほどの静寂が、時雨と凛名の間を過ぎていった。
だからこそ、
「時雨、さんは・・・」
「え・・・?」
時雨は、
「時雨さんは・・・優し、すぎます」
そう言って、少年の背にコトンと額を置いた凛名に戸惑う。