艶っぽいピンクに染まったクソ
●「コイ、ツ!」
時雨が走りだしたことで、どうやら狼狽えていたニセ暴漢2人も開き直った。2人の若い男が、臨戦態勢となる。本来なら、この期に及んで2人には戦う理由などないように思える。しかし、宮部マリアに雇われていたと露見した彼らにも、時雨と戦う新たな理由があった。
1つ目は、仲間をやられたまま引き下がれないという意地。
2つ目は、少年を叩きのめせば、あわよくばそれで金ヅルである宮部マリアのご機嫌をとれるという打算。
そして、3つ目は、
「馬鹿め!こっちは2人だ!」
2対1という、数的有利からくる勝利への確信だった。だからこそ、金のネックレス男は無防備に右足で1歩を踏み出した。少年の疾走を利用したカウンターを狙い、左の拳を引く。
瞬間、
「〔天地闊法〕・〔攻脚〕」
突如、男の間近から声が届く。男が右足を地面に着いた、まさにその時を見計らって、疾走していた時雨が瞬間的に加速、左脚が伸びていた。
そして、
「〔蠱足潰〕」
「は・・・?」
バツン、という音と共に、男の踏み出した右足を時雨の左脚の踵が踏み砕く。そもそも時雨は全力で走っておらず、もう一段階加速出来た。それが男に時雨との距離を見誤らせ、さらには逃れようのない、〔踏み出した足が着地し体重が載った瞬間〕を捉えた。精密な蹴撃は、一拍遅れて激痛へと変わる。男の口が、悲鳴を上げようとした。
しかし、
「〔攻脚〕・〔通風孔止〕」
時雨の右手が伸び、男の頭を掴み、引く。連動して、弾丸の勢いで跳ね上がった右膝が、つんのめった男の鳩尾に食い込む。肺から空気を押し出され、呼吸が止まる重い一撃。時雨は男の喉に、激痛の悲鳴を上げさせることすらしない。
ここで動きが止まることも、またない。
「〔攻脚〕!」
膝蹴りから即座に引かれた時雨の右脚が大地を踏み、軸足となる。その時には、少年の頭は後方に仰け反り、水泳のドルフィンキックのように、両手は背後の空気に向かって伸びる。
そして、
「〔夏塩脚〕!」
男の右足の先を踏んでいた時雨の左脚が、天へと伸びる。その軌道で、前のめりになっていた男の顔面が少年の履いた革靴の形に凹み、蹴り上がる。金のネックレス男が、瞬間的な無重力を体験して路地に落ち、倒れた。そもそも圧倒的な差が、男と時雨の間にはあったのだ。
さらには、
「ああ、そういやなんで俺がお前らがグルだって気づいたか、教えるんだったな」
時雨はそう言うと、金のネックレスの後方、建物の影にいるパーカーに注意しながら背後の宮部マリアに振り返る。
「見ろよ、特にわかりやすい、この金のネックレス野郎を。コイツのスニーカーはALVI社製の人気モデル〔ハイドラ〕の新作だ。それにこの甘ったるい臭い、ヴァルモット香社が出してる媚薬系の香水、〔ファームダルル〕。金のネックレスそのものも、最近流行してるイルレラの刻印が入ってる。そして、ここは炎点都市ヨロズの外縁、浮浪者が集うスラム。つまり・・・」
時雨は片頬を吊り上げた、皮肉な笑みで言った。
「こんな準高級品つけてる奴が、浮浪者なわけがない。都市の臭いをプンプンさせて、こんなのが追剥ぎのわけがない。そもそもコイツみたいな奴が、一番に浮浪者に狙われるんだぜ?なら、〔スラムにおける不審者である〕コイツらが襲ってきた、俺には心当たりがない。その時点で、黒幕はお前なんだよ腐れ厚化粧」
言葉に、見開かれた宮部マリアの緑の瞳に理解と驚愕の色。ついで、馬鹿にされたことに対する怒りが満ちる。
ついでのように、時雨はこの状況を説明する〔事前情報〕を明らかにする。
「いいか?お前、理解してないようだから、いいかよ、よく聞け。環境は、人を染める。その人間の体臭、癖、考え方、嗜好と思考、話し方やクソの色までな。お前もそうだ。裕福な家柄、寄ってくる無数の男が打算的な金目当てであっても、それを〔モテている〕と、ステータスとして考える嗜好。欲しい物は〔自分なりの努力〕をすれば、〔存分に金を使えば〕手に入るという勘違い。お前はそんな風に、艶っぽいピンクに染まった、自分のクソの色を活かした」
だが、
「だがな、お前は〔環境そのものと化している〕。生い立ちの延長の存在になっている。〔両親が大好き。親を殺された。イコール復讐〕。〔結婚したい。彼が煮え切らない。イコール別れる〕。〔思い通りに振る舞いたい。金がある。イコール金で解決〕。そういう、欲求を環境に依存した方法で解消しようとする人間、〔人の予想を超えない人間だ〕。俺のような人を観察するのが仕事な探偵って人種からすれば、予想可能な行動を起こす、いわゆる腐れ単細胞なんだよ」
「まさか、アナタ、私がアナタを・・・」
「いいや、断っておくが俺は、〔お前が俺に1人の男として興味を持っているとあらかじめ知っていなくとも〕、さっきの状況では不自然から牛男を蹴ったし、すぐさまこのシュチュエーションで〔メリットのある人物〕を疑った。〔メリット〕こそが、人の紡ぐはた迷惑なミステリーの動機だからだ。そんで俺は、お前には〔俺と親密になることで何らかのメリットがある〕と気づいただろう。そして、そもそも決定的な真実が1つあるから言っておく。それは・・・」
つまり、
「俺は〔例えこのように俺が乗り切れる程度の危機的状況を作り、吊り橋効果を狙われたとしても、お前みたいな腐れ股金女なんかに、絶対になびかない〕。これでおわかりかな?」
「あ、アナ、アンタ!」
「ああ、いいよ、それ以上返事らなくて。今俺、ストレス解消中だから。いいから、とにかく、お静かに」
「・・・!」
宮部マリアの口調の乱れた怒声と絶句をさっさと無視して、時雨は事を済ませにかかる。
「さあ、次は・・・!」
だが、そう言った次の瞬間、時雨は後方へと跳躍。つい今しがた自分が立っていた空間を奔った銀光を回避する。銀光の先、影の奥へと、時雨の蒼い眼差しが刺さる。斜めに裂かれた時雨の左頬から血が滴るが、それを拭う余裕はすでになくなっていた。なぜなら時雨の視界の先、影の中から現れたパーカー、その右手が握るカッターナイフに、〔光る粒子〕が集まりだしていたからだ。その現象の意味を理解していたからこそ、時雨は全身に気を張り詰める。
つまり、時雨の前にいたのは、
「ハッ!〔感染者〕か!しかもこりゃ、なかなかキレた奴が出てきたな」
言葉に、パーカーは何も言わず、しかし無造作にカッターナイフが跳ね上がる。