英雄探偵の愉快な誘拐
少年の背中と後頭部に、光が当たる。
ベランダに続くガラス戸から差し込んだ朝日で、ベッドの横、フローリングに座ったまま寝ていた時雨は目を覚ます。身じろぎすると、少年の身体に溜まった疲労が関節をボキボキと鳴らす音。眉間に皺を寄せ時雨は1度強く目を瞑る。再度開かれた蒼い瞳には、眠気の失せた明確な意志の光。現状を確認しようと、双眸と思考が並列して室内を見渡す。
腰の上に当たっているのは、簡素なパイプベッドに置かれたマットレスの柔らかな感触。ちょうど時雨の正面にあるのは友人の父が親方をしている〔真白工務店〕から、廃棄品だからと譲り受けた中古の木製本棚と衣装箪笥の並び。中学卒業と共に独り暮らしを始めた寝室には、昨晩帰宅してから変わったところはない。
だから、
「ガティ?現在時刻」
時雨は左手に開かれたままの扉、手狭なダイニングキッチンの先、玄関口へと声をかける。
すると、
「現在時刻、2320年・4月13日・土曜日、午前9時32分28秒デス」
と、かなりのレアリティとハイスペックマシンゆえ、広めの玄関スペースに停車されているガデティウスが声だけで応じる。さらに時雨は質問を投げる。
「状況」
「ハイ。昨晩、昏倒サレテイタ時雨ハ白虎、雷音、私ト合流後、昏倒カラ回復。オ2人ニ、〔今晩ノ事ハ他言無用〕ト命ジテ帰宅。ソノ後、〔波崎和馬ヨリ2時13分ニ着信アリ〕」
「所長から?宮部マリアの護衛の件か?」
「イエ、新規ノ依頼ダソウデ、内容ハ言エナイト」
時雨の手が、昨晩から来たままの英星高校のブレザーの懐を探る。引き出した携帯端末に同名の着信。1つ、溜息。
「あの馬鹿、事務所を引き払う直前によく受けたな。まあいい、かけ直す。他には?」
「イエ、特ニ異常ハ。ツマリ・・・」
「あ~、言わなくてもわかってるよ。つまり・・・」
時雨は、そう言って右手で頭を掻きながら、自分の左手を見つめる。
左手の薬指には、キチンと回収し、装着された漆黒の指環がある。
そして、
「俺は見事、腐れ誘拐犯ってことだろ?」
時雨は、左手の手首を締めつける手錠を持ち上げ、その鎖の先、右手に手錠を嵌められたままベッドで眠る人物へと顔だけで振り返る。