天月闊法
黒銀の戦闘衣を纏ったオッドアイの少年、天出雲時雨の出現に、甲板に立つ3機の〔O.F.〕パイロットと非感染者で構成された実働員、その現場指揮官たる波崎和馬は瞬間身動きをとることも指示を出すことも忘れていた。
特に、
「知りたいか?波崎さん?」
「君、ハ・・・」
確実に少年を即死させたはずの波崎は、少し悲しげに笑った時雨の問いに答えることすら出来なかった。時雨自身もまた、師の周到に計算された裏切りを追及する勇気はないこと、今はその痛みに耐え、ただ、敵として立つことで精一杯な自分自身の脆弱さを理解していた。
だから、
「白虎、雷音」
時雨は、振り返ることもせず、
「まだ、力に慣れてない。動くなよ?だから、そこを」
そう告げた。
瞬間、
ズッドン!
赤黒い巨人、〔真実の御旗〕の捨て駒の1つである〔崩壊者〕が、鋼鉄の甲板を陥没させて時雨に飛びかかった。数トンはあるだろう巨躯が驚くべき跳躍力で時雨に肉薄。振りかぶり、砲弾のように固く握りしめた右の拳が、少年の顔に放たれ轟と鳴る。
だから、
「かつて、朧凛名は1度死んだ」
時雨はおもむろに掲げた右の手で、それを受ける。
かわすことは、選択しない。
ふんばることすら、してはいない。
ただ、
キィィインンン!
少年の掌と、激突した巨人の拳の間で高音の破裂音が響き、蒼く色づいた〔界子〕が球状の衝撃波となって甲板に吹き荒れる。
そして、
バキョギョギョギョギュル!
少年の掌、巨人の拳の先端から、その肩にかけて異音。同時に、赤黒い皮膚を突き破って、粉々に砕けた骨の先端が幾本も突き出る。伴い、大量の血液が噴出し、グズグズに捩じれ、へしゃげた腕の筋肉と脂肪の上にバタバタと降りかかる。〔まるで、全く同じ威力の鉄拳でも受けたかのように〕、〔まるで銀色の髪の少女が持つ能力のように〕、巨人の右腕が破壊されていた。
それでも、
「だが、凛名は生き延びた。それは、〔双子の魂〕、強大な力を誇るミールナールの魂で、死により砕けた魂を補完したことによる」
時雨は静かな独白、波崎に向けた己の存在理由を口にし続ける。
「怠げモノぉおおぉおおがああああああああああああああああ!?」
屈強な巨人が右腕を庇い、悲鳴を上げて後退する。それとほぼ同時に、巨人の影から迸った数条の赤い光線が、時雨の蒼い右眼と紫の左眼に映った。
それは、
ドシュドシュドシュドシュドシュ!
凛名と出会った夜、時雨を襲った殺意と破壊を撒く狙撃手の光。
だというのに、
「しかし、幾らミールナールが強力でも、人の蘇生が出来るわけではない」
時雨は、淡々と言葉を零しながら、その身を左右に揺らす。ただそれだけで、あの夜凛名を輸送していたヘリを撃墜した破壊の光が、導かれるように時雨の後方へ抜け、連射されるその悉くが外れていく。
さらに、
「そのような所業が出来たのはある条件があったからだ。凛名と月虹竜は、〔双子という、強い結びつきがある魂〕だったから、〔魂の補完〕を可能としたんだ。なら・・・」
〔狙撃手の狙い、心を読んでいる〕としか言いようがない時雨の左手が翻り、屈んだ際に顔を狙った赤光と衝突。次いで、時雨の左手で放たれた光線が収束。球体状になった赤い光が、時雨の左手で蒼い〔界子〕の波紋が生まれると同時、
ドシュ!
甲板の遥か先、時雨の視線の直線状に膝立ちで物干竿のような狙撃銃を構えていた〔崩壊者〕に、跳ね返り、その肩を射抜く。
そして、
「なら、こうも言える。〔ミールナールの魂は、強い結びつきがあれば他の魂を補完出来ると〕」
「まサカ・・・」
屈んだ姿勢から立ち上がった時雨に、仮面の男、波崎和馬は足元の凛名と少年を見比べる。男の理解が追いつく。時雨は、それに気づいた。
だから、
「〔天月闊法〕!〔攻脚〕!」
蒼い波紋を残して、黒銀の衣を纏った少年の姿が掻き消える。
瞬間、
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ!
立ち尽くしていた無数の実働員の背後に蒼い残像が現れ、打撃音と共に消える。
瞬間、
ガァン!ガガァン!バキィイイン!
光景の異常にほんの僅か腕を動かす程度の反応を見せた3機の〔O.F.〕が、砕ける。1機は腰からまっぷたつにされ、1機は両脚と両腕を吹き飛ばされ、1機は頭部を蹴り込まれて甲板にめり込む。
そして、
「そウ、カ。君の力トハ、〔心を読む〕ノでハナい。心が読めタノは、君ノ力ガ・・・」
「〔魂を繋ぐ力〕、だったから。ああ、それが、俺の症状の真実だ・・・」
「この戦闘力・・・月虹竜の能力を借リテ・・・嗚呼」
昏倒させた実働員の群れ、無惨に破壊した鉄巨人の墓標、真紅の血を流して怯む〔崩壊者〕とのっぺりとした鉄仮面の男を前にして、それを成した少年、〔その能力で月虹竜の魂と繋がり、砕けた魂を補完された男〕は、
「返してもらうぞ?俺の魂の半身・・・朧凛名を」
世界を揺るがす純竜種の力を借り得た時雨は、師たる男を蒼紫の両眼で捉える。