襲撃者の襲撃者
始まりは、大地の砕ける音だった。
丸太のように膨れ上がった男の右脚が、月光の下、痰と小便で汚れたスラムの裏路地の頼りない石敷きを割った。
背後を振り返った細身の少年の知識は知っていた。数m先に立った男の構えは、かつてこの日本で国技とされていた相撲と呼ばれる戦闘術、その戦前儀式である四股だ。
そして、
「へんんんんんんんんんん~!」
少年は、眼前で四股を踏む色黒タンクトップ男がそう唸り出した瞬間、1つのことに気づいた。だから、深い夜のような藍色の髪を後ろに靡かせて、少年の脚は地を蹴っている。一片の迷いもない、重力に身を引かれるような低い疾走。次いで、左脚で短い跳躍。空中で黒い指輪の嵌った左掌を大きく男に開いて見せ、連動して右腕を脇に引く。後方で、少年の全身が引き絞った右脚がしなる。
タンクトップ男の背後に控える、金のネックレス男とパーカーの帽子をかぶった男が驚き、慌てだす姿が、少年の蒼眼の端にうつる。
つまり、
「んんんんしぃいいいいいいいい、ってちょ!?待っ!?」
「おいいいいいい!?」
「・・・!?」
少年は、視線を交わして3秒のうちに、男達に襲いかかっていた。
タンクトップ、ネックレス、パーカーの順に順序良く返ってきた反応を少年はもはや待てる体勢ではなく、そもそも躊躇がなかった。
ズドンと重く鋭い蹴撃が、タンクトップの首筋にめりこむ。そのまま足の甲でひっかけて、〔牛のような角が生えだしていた男の金髪坊主頭〕を地面に叩きつけ、少年は石敷きで男の顔型を取る。
呆然とする男達をよそに、少年の動きはそこで留まらない。すぐさま持ち上がった右脚が、男をひっくり返して〔牛皮のように分厚く、しかし硬質に変化した男の腹筋〕にめり込む。2度、3度と蹴りを落とし、4度目に足首を捻って内臓にこれでもかと衝撃を届かせる。肺から空気を押し出され、タンクトップの瞳が白目を剥く。異様な変化を醸していたタンクトップの角や牛皮も、男の意識が薄れるのに続いて〔普通の人間〕のそれに戻っていく。遺言のように、タンクトップの口から「俺は、レイ、グ、ル・・・!」というセリフがヨダレと一緒に漏れる。
それを見届けて少年はネックレスとパーカーに振り返った。
男達の目に顔を上げた少年の姿が映る。
身に纏うのは、ここ、炎点都市ヨロズにて公立高校と指定されている、英星高校の黒地に銀で流星の刺繍が施されたブレザーと、白いYシャツに灰色のスラックス。
月光の下、薄く青みを帯びた夜色の髪。
白い肌に刻まれた起伏は、少年の口がへの字で、眉根には険しい皺があることを伝える。
少年が、口を開く。
「なあ、テレビのヒーローじゃないんだ、俺は。だからさ」
不機嫌な声がネックレスとパーカーに届き、剣呑な三白眼が蒼色の睨みとなって男達を射抜く。
そして、
「俺はだから、『変、心(へんんんん、しんんん)!』って叫んでる〔変心型〕の感染者が、〔変心〕するまで待つわけない。というか俺の知りあいにも〔変心型〕がいるんだが、何で連中は絶対ポーズとか掛け声にこだわるんだ?いや、俺もそういうの好きだからさ、ヒーローにはそういう〔お約束〕が必要なのはわかってんだ。うん、〔約束〕ってのは大事だからな。でも、それにしたって実戦では省いていいだろとも思うんだ。アンタはどう思う?え~っと、ああ、金のネックレスだから、金レスさん?」
「コ、コイツ!?」
「いや、やっぱどうでもいいや、金レスの意見とか。つーか俺、〔天出雲時雨〕でよかったわ。一応人間らしい名前でよかったわ。金レスとかロクな親じゃねぇよ。死にたくなるほど素敵すぎる貧乏ネームだろ。それに類は友を呼ぶっつーか、このタンクトップも〔変心〕後は〔レェエエエェイジング・ブゥウゥゥウゥゥゥウル〕とかってアホみたいな名前を叫びそうだったな」
「コ、コイツ!?」
「図星だったにしても同じリアクションすんな腐れ貧乏」
リーダー格らしいネックレスが叫ぶも、少年、天出雲時雨は動じた様子もなく、明らかな挑発を繰り返す。少年は不機嫌な口調のまま続ける。
「ああ、でもさ、いいよ?」
「ああ!?」
「だから、いいよ」
「な、何がだよ!?」
「・・・あ?」
ペラペラと気軽な不機嫌で喋っていた少年の蒼眼が、間を置いてギラリと男達を睨む。
それは柔らかな月光を受けて、しかし野生の獣のような光へ変じ、
「だから、先に手を出したほうが悪いなら、いつでも来いっつってんだよ腐れ正義」
瞬間、天出雲時雨の右脚が苛立ちのままに振り下ろされ、牛男の股間にめり込み、〔襲ってきたはずの暴漢〕を大いに怯ませた。