いつもの一日
はじめまして。
本作は、ひとりの女性が「夜明け」を探す物語です。
最後まで見届けていただけたら嬉しいです。
第1話 いつもの一日
目覚ましは、午後一時に鳴る。
スマホのアラームを止めて、私はしばらく天井を見つめた。築二十年のワンルーム。カーテンの隙間から差し込む光は、もうとっくに昼のものだ。
起きなきゃ。
そう思うまでに五分。体を起こすまでに、さらに五分かかった。
洗面所の鏡に映るのは、寝癖のついた金色の髪と、色素の薄い灰色の目。
父親譲りのこの髪は、どこへ行っても目立つ。電車でも、コンビニでも、すれ違う人が一瞬だけ振り返る。
――外国の人?
――ハーフかな。
声に出さなくても、視線がそう言っている。
私の名前は、ヴォルコワ千春。
日本人の母と、ロシア系アメリカ人の父の間に生まれた。名前は母がつけて、名字は父からもらった。……ちぐはぐだ、と自分でも思う。
小学二年生の夏、父の仕事の都合でアメリカに渡った。
向こうでは、誰も私の髪を気にしなかった。思ったことを言えば「Good point, Chiharu」と返ってきた。手を挙げるのが当たり前で、黙っている方が変だった。
中学二年が終わって、日本に戻ってきた。
そして、すべてが逆になった。
思ったことを言えば「空気読めない」。手を挙げれば「出しゃばり」。髪のことで先生に呼び出されて、地毛です、と言っても、しばらく信じてもらえなかった。
顔を洗って、歯を磨いて、インスタントのコーヒーを淹れる。
テレビはつけない。どうせ見ないから。
テーブルに置いたスマホが震えた。
画面には「お母さん」の文字。
一瞬だけ迷ってから、通話ボタンを押した。
「……もしもし」
「千春? 起きてた?」
「うん、今起きた」
「そう」
電話の向こうで、母が小さく息を吐くのがわかった。こんな時間に起きたことを責めているわけじゃない。ただ、その「そう」に、いろんなものが詰まっている。
「来週の日曜、お父さんが日本に戻ってくるの。三人でご飯でもどうかと思って」
「……お父さん、私に会いたいって?」
「会いたいに決まってるでしょう」
「本当に?」
母は答えなかった。その沈黙が、答えだった。
「……ごめん。日曜は無理かも。仕事あるし」
「そう」
また、それだ。
「千春」
「なに」
「まだ、続けるつもりなの」
私はコーヒーを一口飲んだ。もう、ぬるくなっていた。
「……今はね」
「体だけは、大事にしてね」
「わかってる」
「お父さんも、怒ってるわけじゃないのよ。ただ――」
「わかってるってば」
思ったより強い声が出た。母は「ごめんね」と言って、電話を切った。
謝るのは、私の方なのに。
午後三時。新宿。
待ち合わせのカフェに行くと、リコはもう窓際の席でアイスラテを飲んでいた。
「ちはるー! こっちこっち!」
手をぶんぶん振る。店中の視線が集まる。リコはそういうのを全然気にしない。……昔から、ずっとそうだ。
「声でかい」
「えー、いいじゃん。てか見て見て、これ!」
テーブルの上に置かれたのは、新品のブランドバッグ。
「また買ったの?」
「だって可愛かったんだもん。自分へのご褒美ってやつ」
「先月も聞いた、それ」
「先月の私と今月の私は別人だからセーフ」
リコは笑う。ピンクのネイルが光る。
葉山リコ。高校一年のとき、教室で一人だった私に、最初に話しかけてくれた子。
『ねえ、その髪って地毛? めっちゃ綺麗じゃん』
あの日のことは、今でもはっきり覚えている。
クラスのみんなが遠巻きにする中で、リコだけが普通に隣に座って、お弁当を広げた。私の変な日本語を笑って、でも、馬鹿にはしなかった。
リコがいなかったら、私はあの三年間を生き延びられなかったと思う。
「千春さぁ、また暗い顔してる」
「してない」
「してるって。お母さんから電話あった?」
……なんでわかるんだろう。
「別に。いつもの」
「ふーん」
リコはストローをくわえたまま、私をじっと見た。それから、にっと笑った。
「ま、いいじゃん。今日も頑張ろ。終わったらラーメン行こうよ、いつものとこ」
「……うん」
リコの「頑張ろ」は、いつも軽い。
その軽さに、私は何度も救われてきた。
そして同じくらい、何度も――
いや。考えるのはやめよう。
夕方、一度家に戻って、準備をする。
シャワーを浴びて、髪を巻く。
鏡の前で、時間をかけてメイクをする。昼間の私とは別人になるように。
淡いピンクのリップ。少しだけ垂れ目に見えるアイライン。白いワンピース。
鏡の中の女の子は、にこっと笑った。
可愛い、と思う。
そして、少しも自分だと思えない。
午後八時。
アパートの前に、白いワンボックスカーが停まった。
後部座席に乗り込むと、運転席の男が「お疲れさまです」と言った。
「お疲れさまです」
それ以上の会話はない。いつものことだ。
車は、ネオンの街を走っていく。
窓に映る自分の顔を見ながら、私は思う。
――この仕事が、嫌いだ。
毎日、毎日、そう思っている。それでも私は、毎日この車に乗る。
車が停まったのは、歌舞伎町の裏通りにある、小さなホテルの前だった。
「七〇五です。九十分」
「はい」
エレベーターの中で、もう一度鏡を見る。前髪を整えて、口角を上げる。
大丈夫。いつも通り。
七〇五号室の前に立つ。
一度だけ深呼吸をして、ドアをノックした。
扉が開く。
出てきたのは、スーツのジャケットを脱いだ、四十代くらいの男だった。
私は、とびきりの笑顔をつくる。
「はじめまして♡ 本日はご指名ありがとうございます。アリスです」
ヴォルコワ千春、二十四歳。
職業――デリヘル嬢。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
はじめまして。今回が初めての小説投稿になります。
書きたいと思っていた物語を、ようやく形にすることができました。
千春がこれからどんな夜を過ごし、どんな夜明けを迎えるのか。
一緒に見守っていただけたら嬉しいです。
まだまだ未熟な書き手ですが、少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、
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感想もお待ちしています!
次回もよろしくお願いします。
日本語は母語ではないため、拙い表現もあるかと思いますが、温かい目で読んでいただけたら幸いです。




