七、若旦那絵解きをする
スーパーの閉店作業をする短期バイトが無事に満了となり、休みの残りを悠々遊べる大金が出来たその日。早朝からの作業でぼんやりとした頭のまま家に帰ってうたた寝をしていた僕は、若旦那からの着信に気づいき、のそりと電話に出た
「もしもしぃ」
疲れをひきずった声で返すと、電話の向こうで若旦那がおそようさん……と話しかけてきた。
「違うよぉ。早朝からのバイトが終わって、今戻ってきたとこなんだよ。――え?」
寝ぼけたままで電話を聞いていた僕は、その後に続いた言葉に眠気の飛ぶのがわかった。
若旦那は、どうやら事の真相をあらかた掴んだらしいのである。
「詳しいこと、教えてくれる? ――わかった、そっち行けばいいんだね。すぐ行くから、待ってて!」
けだるい感覚が嘘に吹き去ると、僕は身仕度を整えて、若旦那の住む町屋へと急いだ。自転車を降りて、細い裏路地に面した家の玄関の戸を引くと、同居人の彼がエプロン姿のままこちらへやってきた。
「いらっしゃい。この前の洋間で待ってますから……」
お茶とお菓子の準備をしているらしい彼に軽い挨拶をすると、僕はそのまま、若旦那のいるであろう洋間へ向かった。
「――やあやあ、いきなり呼び出してゴメンなあ」
「なんだぁ、そっちも急ぎだったの?」
「あはっ、ばれたか。ま、そないなとこね」
風呂上がりらしく、普段と違いラフな浴衣姿の若旦那の襟足はものの見事に露を帯びている。しばらく会わない間に、目元には疲労の色が差していて、眠気覚ましのように、若旦那はしきりとピースをふかす。
同居人の彼が運んできた冷製の緑茶と羊羹をつまむと、若旦那はさてさて……と、ややもったいつけるように口を開いた。
「まず始めに言っておくけど、これはあくまでも、現在明らかになっている事実や物的証拠を元に組み立てた『仮説』に過ぎへん。そのことだけ、ちっと頭の隅っこに置いとってや」
「は、はあ……」
都合三本目のロングピースへ火が着くと、若旦那はうまそうに含んだ煙をふうっと、天井向けて吐いた。
「――あれから二人で、警部の言ってた沼川さんのところへ行ってきたんやけどな。覚えてへんかねえ、お通夜で思わず泣き崩れちゃったおじいさんがいたの」
「あ、もしかしてあれが沼川さんだったのか……」
葬儀での光景が脳裏にぼんやり浮かぶ。そうか、あの時いたのが沼川さんだったのか、と偶然の一致に不思議な感覚をおぼえる。
「沼川のご隠居は研究所時代のおじいさんの後輩で、いろんなことを知っとった。屋台で焼酎のお湯割り片手に焼き鳥を食べたとか、研究所の片隅で焼き芋を焼いて食べたとか、そない他愛ない話から紐解いてくうちに、例の『ひざし』へ話題が移った。で、そこで思いがけない事実が分かった」
「思いがけない事実……?」
「『ひざし』が研究中止になったのは痛みやすさだけが原因やなかった、って話。で、そこへ関わってくるのが、例の白骨遺体の正体かもしれへん、一ノ瀬という研究助手や」
浴衣の懐へ入れてあった紙入れから、若旦那は名刺判の古ぼけた写真を取り出す。色素の抜け出したカラープリントには白衣姿の、四角張った顔の学者然とした青年が写っている。
「この人が……問題の仏様かもしれないっていうの?」
「ご隠居の話を聞く限りは、な。表向きは病気の妹を看病するため、ということになっとったが実際は違う。奴さん、いわゆる産業スパイの真似事をして研究所を追放になったそうなんや。で、その漏らした情報というのが……」
「まさか、『ひざし』の栽培方法だって言うんじゃないよね?」
いつの間にか食い気味で話を聞いていた僕へ、若旦那はにやりと笑って、察しがよくって結構や、と答える。
「今でもそないに羽振りがええわけと違うが、その頃の農学部もやはり、予算の少ないのに喘いどったらしい。そんなところへ、ある筋から資金を出すから『ひざし』に関する資料を譲ってほしい、という申し出があったらしい。今なら産学協同なんて風になるが、時代が時代でまだそういうことは大々的にやるのが難しかった。で、さらにいろんな大人の事情が絡んで交渉決裂となったところへ、一ノ瀬助手のところへ相手から、その筋での高い地位と給与を引き替えに『ひざし』に関する資料の写しを手に入れてもらえまいか、と悪魔の誘惑があったらしい」
ほとんど吸わないうちに灰と化したピースを灰皿へ押しやってから、若旦那は僕の眼をじっとのぞき込むように口を開いた。
「ところが、万事秘密裏に行われた書類の支度は思いがけず、おじいさんたちにばれてしまった。後々の管理が楽なように、わざわざ書面をスライドフィルムの形式にして複写していたのが、必要意外に写真暗室へ出入りするのを怪しまれてバレたちゅうお粗末な話でな。事態を重くみた大学当局は、事件そのものをおおごとにせん代わりに、依願退職という形式で馘首とあいなった。で、それからしばらくして、九州の親類を頼って就職をすることも決まった矢先に奴さんはふらり、と姿を消してしまった――これが関係者に伝わっている、一ノ瀬助手失踪のいきさつよ。ところがそれから数十年たった今、おじいさんの亡くなった矢先にその一ノ瀬のホトケがあがった。怪談じみててなんとも好奇心をそそるが、まあ現実はそないにうまくは出来とらんと思うのよな、ボクは」
冷たい緑茶の残りを含み、ごくりと音を立てて若旦那はのどを潤す。
「沼川さんの話やと、おじいさんは事情が事情とはいえ、かなり一ノ瀬助手を擁護しとったらしい。かねてから国立大学のお堅い風潮には反感をもっとったらしいし、何よりも退職直前には、一ノ瀬助手が叶えられなかった産学協同実現の手助けを果たしとるんやからなあ。となれば、当然おじいさんがクロ、というセンは消えてくる」
「じゃ、じゃあ、一ノ瀬さんはどうして……」
「見つかった場所が職場に関する場所、なおかつすべりやすい斜面の近くだったのを考えると、足をすべらせての転落死、頸椎損傷の類いやないかな、と思うとる。九州に向かう前に、慣れ親しんだ職場と、思い出の地を一巡りしたかった――そんなような気がするで。行方不明時の格好もかなりの軽装やったらしいし、なにより遺書も見つかっとらん。殺しに見せかけたかったら、遺書のひとつか走り書きくらいは偽装されそうなもんやで、案外」
ライターがまたたき、若旦那は真新しいピースへと火をつける。
「しかし、そうなると土中深くに埋まっていたことの理由がつかない。そこで浮上してくるのが、別の意味で罪を犯してしまった君のおじいさん、というセンよ」
「ど、どういうことさ、クロの線は消えたってさっき……」
気の高ぶるのを覚えながら立ち上がる僕へ、若旦那はまあまあ、となだめてかかる。
「あれはあくまでも、直接殺したとかじゃない、ってことよ。あれから一度、問題の試験場跡にいってみたんやけどな。滑落したとすると、遺体は構内の通路になっている箇所、絶対人目のある場所へ転がってく。そうなれば何十年どころか、二日三日ですぐにホトケが見つかろうというもんよ。ではなぜ、その仏様がすぐに見つからなかったのか――」
「――もしかして、おじいさんは一ノ瀬さんの遺体をそこへ埋めた、ってこと?」
「やっぱり、ボク以外でもそういう着地点になるよなあ」
にっこり笑うと、若旦那は宙へひとすじ煙を吹き、話を続ける。
「そもそも、出立前の一ノ瀬助手の訪問というのもかなり非公式のものだったのかもしれん。おじいさんあたりが裏口から入れてこっそり、という最中にもしこんなことが起きたらどうなるか。当然責任問題から失職、悪いと大学から追い出される。そんな状況に直面して、おじいさんがとった方法がそれだとしたら収まりはつく。そして、悲劇的な最期を迎えた後輩の慰霊のために、おじいさんは『ひざし』を育て続けたとしたら――」
「たしかに、納得は行くかもしれない……」
「それにな。おそらくおじいさん、陰では『ひざし』を食べてたと思うんよ。だってそうやろ、身内にだけとはいえ、食べさせるもんがまずかったらそれはたまらない。そこでさんざん見てるからこそ、別に家族の輪にまじって食べようとまでは思わなかった――ただそれだけのことやったと思うねんな。もっとも、それが例の西瓜を足蹴にするおじいさんの話へ結びつくわけやけど……」
いよいよ話が核心へとへ近づいてきた。
そもそもの発端になっていたあの光景の真意を聞こうと、座り直した僕はいつの間にか前屈みに、若旦那の方へ顔を近づけていた。
「農学部の連中からすると常識らしいんやけどな、同じ畑で同じ農作物を作ってると、土壌の成分が偏ってきて連作障害というのが起きるらしい。
で、西瓜の場合の症状というのが、甘みが落ちるというこれまたでかい致命傷なわけ。もしかするとその年、おじいさんの畑では連作障害が起きとったんやないかなあ。案の定味見をしてみるとこれがひどい。孫や子供に食べさせる手前こんなものは出せない――と、おじいさんは自分の手際の悪さを悔いるように実を打ち壊した。
家庭菜園とはいえ、育ててるものの重さが並大抵やなかったからこそ、おじいさんは激しい感情を見せてしまったのかもしれん。なんとなく、ボクはこれが一連の真相のような気がするけど……納得いった?」
話す合間で半分ばかり灰になったピースをそっと口にふくむ若旦那を前に、僕はすっかり返答につまってしまった。だが、そのうちに両頬の上をゆっくり、なま温かいものが伝ってゆくのに気がついた。
「長いこと待たせてすまんかったねえ、オークラちゃん。おじいさんが過去に何かしてやせんかったかと、ほかならぬ君が一番気を揉んどったやろうに……ボクとしたことが、そっちのケアまで気が回らへんかってな」
お代わり持ってきてあげて、と同居人の彼に伝えると、若旦那はアルミサッシの窓辺にうつって、こちらを見ないようにして煙草をふかしはじめた。長い間僕の心の内でくすぶっていた諸々の感情が、ゆっくりと溶けてゆくのがわかった。
右京区山中で見つかった白骨遺体が一ノ瀬助手のもので間違いなし、とわかったのは、それからしばらくのことだった。




