四、「ひざし」と白骨死体
それからの数日間が、手のついていない試験対策やレポート作成で過ぎると、大学生特有の長い夏休みが幕を開けた。
――若旦那、きちんとワタリはつけてくれたのかなあ。
講義もバイトもないのを幸いと、朝からずっと家にいてみてもどうも落ち着かない。自堕落に冷房の効いた部屋にいるのもなんだかもったいなく感じられて、財布とスマホを片手に外へと出た。途端に、コンクリートの香りをまとったしつこい外気が粘っこい調子で袖から裾から潜り込んでくる。
といって、家に戻るのもなんだかシャクで、しばらく歩道伝いに同志社大のほうまで歩くと、目の前で見たような背格好が二つ、並びの喫茶店へと入るのが分かった。
間違いない、あれは若旦那たちだ――。
ちょっと歩いた先の町内で、仲良く町家を借りてルームシェアをしているという若旦那とその友達に違いないと踏んだ僕は、二階が麻雀荘になっている喫茶店「トリオ」の自動ドアをくぐった。中へ入ると、全面喫煙の店の冷房特有の、ヤニ臭い冷気が噴き出す汗を引っ込めてくれた。
明かりがまばらな、昼でも暗い店内で二人の所在を探していると、相手の方でこちらに気付き、こっちこっち、と手招きをしてくれた。
「やあ、しばらくぶりです。えっと――」
通路側に座っていた青い上下のジャージ姿の青年が、僕の名前を思い出そうと右のこめかみを指でつつく。
「オークラちゃんよぉ、この子は。や、しばらく……」
壁側の椅子で、袂から出した煙草へライターの火を当てていた若旦那は、こっちへ遠慮して灰皿へ火口を押し付けようとした。
「いいよ若旦那、オヤジが吸うから慣れてるし」
麦藁帽子を脱ぎながら若旦那を引き留めると、じゃあ遠慮なく……とふたたび唇へフィルターが戻る。
「……この頃高うなってなあ、煙草も」
黄色い箱のロングピースという煙草を、若旦那は唇の端から煙を漏らしながら賞玩している。もっとも、煙と一緒に値上がりの不満が立ち込めていたが。
「それよりオークラちゃん、今日はまたどうしてここに?」
「たまたまだよ。暇でやることないから外に出たら、二人して入ってくのが見えて……。例の件、あれからどうなったかも聞きたくってさ」
「おお、そりゃまたタイムリー」
「ええっ?」
妙なことを言うので気になって尋ねると、若旦那はそもそも今日、僕をここへ呼び出すつもりでいたらしい。で、その前に腹ごしらえという算段で「トリオ」に入ったところへ思いがけず僕の方から姿を見せた、というのが真相だった。
「結論から言うと、あの西瓜はたしかに、お祖父さんが研究しとったもんやった。名前は『京農9号』。で、そない味気ない名称と別に、『ひざし』つー小粋なあだ名があったそうや」
三人分のアイスコーヒーを命じたあと、若旦那はそう言ってあの西瓜の出自を教えてくれた。「ひざし」、なんとも洒落た愛称ではないか。
「あとにも先にも、うちの農学部であないに黄色い西瓜を作ったのはそれが一回きりらしくてな。お祖父さんの言うた通り皮が弱くて流通でイカれるいうのと、同時期にJAの方で同じような品種が出来たのが研究中止の理由なんやと。なんでも、台風なんかのダメージが直撃したら、畑の上で腐り出すくらいにデリケートやったらしい。そうなると、この前食べたのも、結構手間暇かけて育てられてたことになるけど……」
「どうしてそんなものを、じいちゃん足蹴にしたりしてたんだろ。出来が悪かったから、とか……?」
早くも三本目のロングピースを吸い終えようとしている若旦那は、そうかもしれへんなあ、と返す。すると、それまで黙って話を聞いていた同居人の彼がおもむろに口を開いた。
「ぼくはそうは思わないかなあ。うちのばあちゃん、新潟で米と野菜を作ってるんだけどさ。野菜の出来が悪かったりして、やむを得ず処分するときはかなりうなだれながら作業してるよ。ましてや、家庭菜園規模のもので、いくら出来が悪くてもそれを踏みつけるだなんて、同じ農業に関わる人がやることとは思えないなあ」
「うーむ、たしかに一理あるな。――こりゃ、お祖父さんと『ひざし』を囲む、第三の人々に話を聞かにゃならんな」
「第三の人々?」
割って入った僕の問いかけに、若旦那は研究所のOBよぉ、と灰皿の中で吸いさしをひねりながら答える。
「至って温厚で、葬儀で弔問が途切れへんかったお祖父さんがなぜ『ひざし』へそないな悪意を向けたのか。これは当時のことを知る人ら、つまり、第三者だけにしか分からンことや。――オークラちゃん、弔問者の名簿みたいなの、お通夜のときにつけてへんかったか」
なるほど、そういうところから辿るのか、と若旦那の手腕に感激してはみたが、すぐにその手が使えないことに僕は気づいてしまった。
「――つけてた記憶はあるけど、みんなそういうのは葬儀屋さんに任せちゃってたからなあ。そういうのって、言えば簡単に見せてくれるもんかなあ?」
「そこなんよなあ」
半ば身を乗り出しかかっていた若旦那は、そこで肩を落とし、しょぼくれた調子で四本目を吸いだした。若旦那、なかなかにヘビースモーカーである。
「お祖父さんの死因がなんの変哲もない自然死であると分かっている以上、そういう個人情報の類ってのは遺族であってもなかなか見られへんモンなのよ。もっとも、これがコロシとかやったら、府警本部に強力な味方がおるからなんとかなるけど……」
「縁起でもない、大倉さんに失礼じゃないか」
同居人の彼へさらに追い詰められて、若旦那はすっかりしおれた格好になっている。
警察にいろいろと協力をしたことがある、とは聞いていたから、おそらくその関係で懇意になっている刑事さんでもいるのだろう。だが、さすがに今度のような事件性の薄い話では、そのコネも使える気配はなさそうだった。
「かくなる上は、古い関係者名簿で総当たり、か。ずいぶん手間かかりそやけど、ま、やってみましょかね」
「それじゃあ、二人だけじゃ大変だよねえ。僕でよければいつでも呼んでよ。どうせ休みの間、特別にやるようなこともないわけだし」
「すまんなあ。依頼者に手伝ってもらうのはボクの主義に反するんやけど……今度ばかりは一人でも多いほうがええしなあ。よろしゅう頼んますワ」
と、こんな具合に三つどもえの――もちろん、同居人の彼は最初から員数に入っているわけで――協力体制がまとまると、あとはのんびりとした昼食会が幕を開けた。日替わりのボリューミーなハンバーグランチと、僕の頼んだクリームソーダが片付くと、その場はお開きとなった。
ひとまず、手伝う以上はつまらない約束は入れないでおこうと身構えてみたものの、案外周りも予定があるのか、カラオケの誘いひとつ、コンパの数合わせもないままに四日が過ぎた。そろそろ、祖父の新盆の支度が始まろうという頃合いでもある。
「――待てど暮らせど来ぬ人を、かあ」
こちらから露骨に催促をするのも気が引け、もし遭遇出来たらその時は偶然を装おう、という腹積もりで「トリオ」へ向かったのは、四日目も終わろうという夕刻のことだった。サークル帰りらしい同志社の学生グループがあちこちのテーブルを占領している中で、僕は一人、ミックスジュースのグラスを片手にぼんやりとざわめきを聞いていた。
と、レジに近い、漫画雑誌が収まったラックそばの席で妙などよめきが上がった。気になってそっと、観葉植物の葉の隙間から目をくれると、四、五人の男子学生がスポーツ紙を囲むようにして読んでいる。自分たちの入っている運動部か何かの記事が載っているのだろうかといったんは流したが、
「おい、これってこないだ行った山じゃないか?」
「そうだよ、ちゃんと名前が出てるし……うげえ、あの時喰ったの、あの死体から生えてきてたのかよぉ……」
「それは関係ないんじゃねえの? でも珍しいよな、黄色い西瓜が自然に植わってるなんて……」
黄色い西瓜。そのフレーズが飛び込んできたのにはさすがに驚きを隠せず、勢いよく立ち上がったはずみに、水のグラスが床の絨毯へひっくり返ってしまった。
「すいませんっ、その記事、見せてもらえませんか」
「え、ええっ?」
いきなり沸いた僕の言動に、見開かれた目玉が人数分こちらへと向く。しかし、もしかしたら僕の身内に関係のある話かもしれない、と打ち明けると、新聞を持っていた一人が快く新聞を渡してくれた。しばらく、僕は立ったままで問題の記事を読んでいたが、最後の句読点を見送った瞬間、反射的にポケットのスマートフォンを取り出した。
「もしもし、若旦那? 変な記事を見つけたんだけど、もしかしたらこれ、事件に関係あったりしないかな……」
スポーツ新聞を貸してくれた学生たちが、目の端で不思議そうな表情をのぞかせているのがおぼろげにわかった。
呼び出しに応じてすぐさま駆けつけた若旦那は、帰りがけだった学生たちに事情を話して、連絡先を受け取ってから問題の記事を読み始めた。そして、袂から出したロングピースへ火をくべると、
「――やっぱり、何かしらの関係はありそうやな。それに第一、この発見場所が気に入らん」
「発見場所?」
紫煙を苦々しくにらむ若旦那の言葉に、僕はふたたび紙面へ目を落とす。問題の記事は、小さいながらも次のような具合に刷り込まれていた。
スイカが教えた死に場所? 右京区山中で白骨遺体発見さる
夏向きのなんとも奇妙な事件が京都市山中で発覚した。○○日正午、京都市右京区山中、旧・京都国立大学農学部第三試験場跡地敷地内で「土の中から骨が出てきた」という通報が近隣の農家から最寄りの交番へと寄せられた。
所轄の右京署が現場へ向かったところ、自然薯ほりの穴の中から、年月の経った白骨遺体が発見された。周辺には自然に植わっていることの少ない黄色いスイカが自生しており、右京署によれば遺体の半分近くをそのスイカの根が覆うような形になっていたという。捜査関係者は「亡くなる直前に食べた物が消化されずに生えてきたのだろうか。そうだとすればなんとも切ない話だ」と漏らしている。お盆を前にして、スイカが死に場所を教えたのであろうか――。
スポーツ紙お得意の、普通紙ではやらないような読み物仕立ての記事から目を離すと、一拍置いてから僕はあっ、と小声で叫んだ。
「京国大の試験場跡って……」
「跡地とはいえ、同じ黄色い西瓜が絡んどるのはちょっと偶然にしちゃ出来すぎてると思わへんか? で、よ」
男性にしては華奢な、細い指先でピースを挟んだまま、若旦那は辺りをはばかって僕へそっと顔を近づける。
「――この件、もし今度のハナシと関係あったら、警察にもボクらにとっても都合がええわけよ。事件解決に一歩前進できるし、ボクは警部に堂々と話を通せる……」
「なるほど、いいことづくめだ」
「そういうことォ」
そこまで話すと、スマホを持たずに家を飛び出たという若旦那は、がま口を手にレジ脇の公衆電話の前へと立った。そして、慣れた調子でダイヤルを回してどこかを呼び出すと、しばらくつらつらと話をしてから、
「はい、それじゃよろしゅうに……」
と、相手の電話が切れるのを待ってそっと受話器を戻した。
「若旦那、今のは……?」
「まあ、そのうちわかるわ。――マスター、ごちそうさんです」
戻るなり、ぬるくなったコーヒーを一息に飲み干し、若旦那は伝票を片手に僕を率いて「トリオ」を出た。日はとっくに、西の空へと沈み込んでいる。
「若旦那、コーヒー代は僕が……」
「ええのええの、これも立派な情報提供料や。おそらく明日あたり、僕を経由してその警部か、右京署の人らが聞き込みに来るかもわからん。それだけ覚悟して、今日はもうお開きにしようや。事件の捜査は、先長いからね……」
いやに真剣な顔でそれだけ言うと、若旦那はくるりと踵を返し、
「ほいじゃあ、おやすみ」
と、それだけ言ってその場を小走りに去っていった。後ろ姿が二本目の街灯の向こうに溶け込むと、僕は来た道筋を戻りつつ、若旦那の言葉の意味を考えあぐねた。
――そりゃあ、取り調べとなれば長いだろうけど……それだけじゃ、なさそうだよなあ。
しかし、それ以上の知恵は僕にはとても出てこなかった。彼ほどに頭を回すには、あまりにも腹が減りすぎていたのである。
どこかの家から、つんとしたカレーの香りが漂い始めていた。




