二、夏の日の苦い思い出
黄色い西瓜を育てていた張本人、父方の祖父である大倉啓介が身罷ったのは一か月前のこと。梅雨の差し掛かりの、珍しく冷える朝にトイレで脳溢血を起こし、そのままぽっくり死んでしまったのだ。
長らく国立大付属の農業試験所で仕事をしていた祖父はかなり評判の高い人物だったらしく、新聞も『産学協同のさきがけ亡くなる』と優秀な老研究者の死を惜しみ、お通夜に焼香の長い列が続いたのをよく覚えている。抹香を持ったまま遺影の前で泣き崩れた、元同僚だという後輩の人にちょっと驚いたのも記憶に新しい。
思い返すと、そんな多忙な日々を送ってきた割に、祖父は家族サービスを欠かさないマメな人だった。父に言わせれば、家族の誕生日には仕事を早く切り上げて帰ってくるし、クリスマスや正月、お盆やゴールデンウイークなどには短いながらもどこかへ食事に出たり、旅行に出たりと、とにかく活動的な人だったらしい。僕の小さいころにも、そうした流れをくむ小旅行へ出かけたことがあったからそれはまず間違いない話なのだが、一番印象に残っているのが、若旦那も食べた黄色い西瓜のことだった。
毎年、八月上旬のお盆前に祖父の家を訪ねるのが我が家の恒例行事だったのだが、行くと必ず、祖父は井戸水で冷やしたあの黄色い中身の西瓜を僕たちに出してくれた。それを食べないことには夏休みが来た、という実感がしないほど、僕はあのほどよい酸味が後を引く、家庭菜園のあの西瓜が大好きだった。
恥ずかしい話、僕はこればっかりを食べていたせいで、小学校に上がるまで西瓜は中身が黄色いものだと思っていたくらいである。
で、世間一般では西瓜の中身というものは真っ赤なのだと知ってから、僕は思い切って、祖父にこの西瓜はなんというものなのか、と尋ねてみた。祖父に言わせると、なんでも研究所で新しい西瓜を試作している最中に出来たのだが、流通過程で加わるダメージなどで傷がついて腐りやすい、という欠点があったためにやむなく研究は中断。しかし捨てるに忍びないため、家庭菜園で細々と育てているのだ、ということだった。
しかし不思議なことに、そんな愛着があるはずの西瓜を祖父は食べようとしなかった。本人曰く、研究をしていた時に嫌というほど食べたから、この旨いものは家族に分け与えるだけで十分なんだ、ということだった。
その時はそれで納得がいったのだが、それから何年かたったある夏休み、僕は祖父の言葉にいくらか嘘が混じっているような、そんな場面に出くわしてしまった。
忘れもしない高校一年の夏休み、母の親戚に不幸が起きたため、僕は単身、祖父の元へと向かうことになった。ところが、一人だけで行く、ということは電話で伝えたものの、肝心の到着時刻を言いそびれたことを、うかつにも僕は最寄りのバス停を降りたところで思い出した。
「これじゃ、西瓜もぬるいところが出てきそうだな……」
今から電話をするのもなんとなく憚られる。そのまま仕方なく、祖父の家へと向かう簡素な舗装の一本道を歩いてゆくと、軒の合間から見慣れた背格好の日本家屋が顔をのぞかせた。これならあと、五、六分もしないうちに玄関先につく。そうなると今度は、滅多に会わない祖父をびっくりさせてやろう、という開き直りのような悪戯心が沸き上がってきた。
そして、きちんと手入れの行き届いた背の高い生垣の前まで来ると、枝葉の隙間から、縁側でのんびりと団扇をつかう祖父の姿が目に留まった。
このまま走って行って、正面玄関の前へ飛び出ればジイちゃんビックリするぞ――と思っていると、うたた寝をしそうな格好の祖父がいきなり、何かに気付いたような具合でその場から立ち上がった。放り投げた団扇が縁側でバウンドし、そのまま土の上へ落ちたのを見ると、僕はいったい何事かと、その後をそっと追いかけた。
今にして思えば、それがすべての過ちだったのである。
典型的な田舎の農家のような作りの母屋から、少し離れたところに祖父の営む家庭菜園がある。真夏の夕暮れ時、傾いた西日ですっかり影っている菜園の隅で、祖父は足元の何かをじっと見つめている。なんとなくその立ち姿から近寄りがたい気配の漂っているような気がして、僕はしばらく、リュックを背に物置小屋の隅から祖父の様子をうかがっていた。
異変の起きたのは、それから数分ののちのことだった。剣道の試合で上がるような甲高い声とともに、祖父が足元へ勢いよく足を踏み下ろしたのは。同時に、十数メートルほど距離のある向こう側から、何か水気を含んだような、鈍い物の割れる音が立て続けにこだましてもくる。訳が分からず、かといってここからいきなり飛び出して行って事情を尋ねるだけの勇気もないままに、僕はその音の止むまでずっと、汗でまみれた祖父の背中をにらむ格好になった。
それからどのくらい経ったのだろうか。遠くでカラスの鳴く声のしたので我に返ると、祖父はその場を離れて、最前通った縁側の反対にある井戸端のほうへととぼとぼ歩いて行った。そこまでずっと、呆気に取られて立ち尽くしていた両足に無理が来て、膝から土の上へとへたり込んでしまった。その間ずっと、井戸端の手漕ぎポンプを使うビシャビシャという音が僕の意識を支配していた。
その音が鳴りやみ、どうやら祖父が日課の昼寝に入ったらしいと戸板が閉まる音で我に返ると、僕はあの奇妙な光景の犠牲となったものは何か、この目で確かめようとどうにか立ち上がり、家庭菜園の隅へと向かった。
その哀れな犠牲者の正体は、現物へ目の焦点の合わないうちに早くも判明した。毎夏、お腹がはちきれるほどに食べた、祖父手製のあの黄色い西瓜が、独特の檸檬にも似た芳香とともに無残にも土の上へ転がっていたのだ。その数、ざっと一ダース弱――。
その光景を目の当たりにしたとき、僕の胸の内に沸き上がったのは恐怖でも悲しみでもない、ただひたすらに純粋な「なぜ?」という感覚だった。
なぜ、祖父は愛着があるというあの西瓜を踏みつけたのか。愛着がないのなら、その西瓜をなぜ、家庭菜園で育て、自分以外の家族へと食べさせたのか。
なぜ、なぜ、なぜ、という疑問が数珠つなぎになるうちに、いつの間にか僕は祖父の家を飛び出していた。折よく、どこかの家で客を下ろしたらしいタクシーと遭遇すると、僕は迷うが早く、市内の自分の家へ向かうよう運転手へ命じて、そのまま座席の隅で小さくうずくまってしまった。
そこから後は、もう散々だった。家の留守電に入っていた祖父からのメッセージに、不承不承、夏風邪らしいから行くのは止しておく、と理由をつけて返事をすると、僕はそこからの三日間、高熱を出して寝込んでしまった。並の神経で立ち向かうには、ちょっとあの光景が衝撃的過ぎたというのもあるらしい。
それっきり、当時入っていたバレー部のほうが忙しくなってきたのもあり、その夏を最後に僕は祖父と会う機会を逸してしまった。そして、同じ系列の高校を出て大学へと入り順当に学年の上がっていたところへ、祖父の死、という形で、僕はあの夏の出来事と再び向き合うこととなったのだった。




