プロローグ
トート村の朝は、いつも静かだ。
山から吹き下ろす風が畑の作物を揺らし、遠くで飼育されている家畜の鳴き声が、ゆっくりと村に満ちていく。魔物の気配はなく、警鐘が鳴ることもない。ここではそれが当たり前だった。
村の中心――いや、正確には少し奥まった場所に、それは在る。
巨大な人型の機械像。この世界ではアルカナム・ブレイザー。
通称ABと呼ばれるそれは、両膝を地につけ、頭を垂れたまま動かない鋼の巨人である。
左腕は存在せず、無理やり引きちぎられたかのような断面が、長い年月を経て鈍く風化している。
発展した魔法技術を人の身で扱うには限界が見えてきた所で、新たに巨大な機械の体で、更に高度で大規模な魔法を扱うために開発されたのがアルカナム・ブレイザーという機体なのだが
トート村の村人たちはそれを「守り神」と呼んでいた。
名前を知る者はいない。
動いたところを見た者もいない。
見た目からアルカナム・ブレイザーというのが分かるだけである。
それでも、この村が長年、魔物の被害からほとんど無縁でいられるのは、この守り神の存在があるからだと、誰もが信じていた。
実際、守り神の周囲には魔物や危険な害獣は近寄らない。
見えない壁があるかのように、魔物は一定の距離で引き返していく。理由は分からない。ただ、事実として“寄り付かない”。
だからトート村はここに作られた。
守り神を中心に、人が集まり、畑を耕し、家を建て、祈りを捧げてきた。
そして――この村のである、レスターもまた、その祈りの輪の中で育った一人の人間だ。
守り神の足元にしゃがみ込み、工具を手に取る。
古びた装甲の隙間に溜まった土や蔓を取り除き、錆びかけた外装を磨いていく。誰に頼まれたわけでもない。気づけば、いつの間にか、レスターがやるのが当たり前になっていた。
「レスターってば、またここに来てる……」
背後から、少し呆れたような声がした。
振り返ると、幼馴染のルシェルが腰に手を当てて立っている。幼い頃から見慣れた綺麗な金の長髪を風になびかせながら、少し勝ち気で、でもどこか世話焼きな表情をし、エルフの耳を上下に揺らしながら、そこに立っていた。
「放っておいても、別に壊れたりしないでしょ」
「分かってるよ。だけどせっかくの御神体なんだ。綺麗にしておいて損はないだろ?」
やや誤魔化すような返事をする。
ルシェルはレスターが何故そこまで守り神を整備するのか疑問のようだ。しかしそれに対してレスターはうまく言えない。
レスターは守り神に触れていると、不思議と落ち着く感覚を抱いていた。
動かないはずなのに、ただの遺物のはずなのに――そこに“何か”が在る気がしてならない。
世界から切り離され、眠り続けている意思。
声にならない呼びかけ。
そんなもの、誰にも理解されないと分かっている。だから言わない。ただ、こうして整備をしている時間だけが、レスターにとって確かなものだった。
「相変わらず、変なとこ真面目なんだから」
ルシェルは小さくため息をつき、それ以上は何も言わなかった。
俺が守り神のそばを離れない理由を、彼女なりに察しているのだろう。
この村で生まれ、この村で育ち、この村で生きていく。
二人ともそれが当たり前だと思っていた。
――あの日が訪れるまでは。
守り神の前で、レスター達はまだ知らなかった。
この沈黙の鋼が、世界を変える戦いへと身を投じることも。そして、二人がその戦いの渦中に巻き込まれることになることも。
まだ誰も知らなかった……
しかし運命は、静かに、だが確実に動き始めていた。
不穏な空気と共に




