第八話 「隠密隊は見た!」
「ほら、あの女よ! 襲ってしまいなさい!」
「「「はい!」」」
「えっ、ちょっと待ってぇぇ!?!?」
ここは本館裏の薄暗い木陰。
放課後、いつも通り恋人の逢引を観察しに来たら、妙に人通りがなくて、先日の水ぶっかけ事件の首謀者と思われる赤髪の令嬢が、三人の男子生徒を引き連れてやってきたのだ。
水ぶっかけ事件のあと、なぜか令嬢三人組を見かけることはなくなった。
証拠とやらが効いたのかな?と呑気に構えていたときだった。
久しぶりに赤髪令嬢を見たと思ったらこれである。
ピンチだ。
横目で周りを見渡すと、本館の三階の窓から小柄なモスグリーンの髪色の女子生徒がこちらを見ていた。確かこの前もいた女の子だ。
早く誰か呼んできて!と目で訴えたのに、静かに見つめ返されるだけだった。
そうこうしているうちに、赤髪令嬢が怒鳴った。
「ほら! 早く行くのよ!」
「「「はい!」」」
男子生徒の一人が勢いよく走って向かってきた。
まるでスローモーションのように感じた。
そして次の瞬間――。
「せいっ!!」
私の回し蹴りが男たちにさく裂した。
「「ぐふっ」」
向かってきたのは、赤髪の手下男子ひとりだけだったはずだ。
なのに地面には、男二人が倒れていた。
どこから現れたのか制服ではない黒服の男が、手下の上に倒れていた。
どうやら私の蹴りが直撃したのは、黒服の人だったらしい。背中を痛そうにさすっている。
気づけば、さっきまでいなかった見慣れない黒服の男たち二人が、私の隣に並ぶように立っていた。
(え!?誰!?……よくわからないけど、敵ならまとめてぶっ飛ばす!!)
私は後ろに引いて構えた。
実は一時期、暗殺者が主人公の小説を書いていて、リアリティ追求のために体術を習っていた。
たまたま男爵領の自警団に元衛兵のおっちゃんがいたから、よく教えてもらっていたのだ。
特に蹴りは得意だった。ちなみに、私はめちゃくちゃ運動神経が良いらしい。
おっちゃんからは「小説家なんかやめて女騎士になった方が良い」と真剣に勧められたものだ。もちろん断った。
あの時の経験がこんなところで役に立つとは。
でも、男子生徒が三人、黒服が三人、赤髪令嬢が一人、計七人と戦うのは分が悪すぎた。
(弱そうな赤髪令嬢を人質に取ったらなんとかなるかな)
なんて悪役みたいなことを考えていると、事態が急展開した。
黒服の男たちが、男子生徒と赤髪令嬢を制圧し始めたのである。
黒服の一人が地面に手をかざすと、突然男子生徒たちの足元の地面が盛り上がるように波打った。
「――っ!?」
反撃する間もなく、地面から伸びた蔦のような土が彼らの足を絡め取る。すぐさま別の黒服の男が、空気を切るように片手を振る。
その瞬間、目に見えない風の帯が、敵の両腕を背後へとねじり上げた。
「うわあああ!」
「きゃあ!」
悲鳴とともに、何が起きたのか分からないまま、地面にひざをついた赤髪令嬢と男子生徒たち。
あれは魔法だ。
魔力を持つ者は貴族に珍しくないが、ここまでの使い手を見ることはない。
黒服たちの動きは、完全にプロだった。
声はなかった。詠唱も、掛け声すらも。
ただ魔力の流れだけが、鋭く、速く、確実だった。
(え?この人たち、何者?赤髪令嬢の味方じゃないの!?)
男子生徒たちは特に武闘派じゃなかったみたいで、あっという間に捕縛されていた。
「あなたたち! こんなことをしてただで済むと思っているの!? 早く縄を解きなさい!」
「すみませんでした! この令嬢にそそのかされて仕方なく……!」
「退学になったら困るんです! どうか許してください」
赤髪令嬢はわめき散らし、男子生徒たちは懇願した。どうやら平民や準男爵などの地位の低い者たちらしく、問題になることをひどく恐れていた。そんな中、ゴリラが走って現れた。
「捕縛したか! よし、すぐに衛兵を呼んで王国治安院に連れて行け。とりあえずこの者たちは――」
指示を飛ばし始めるゴリラ。その場に緊張が走る。指示を飛ばす声は鋭く、黒服たちはまるで一つの身体のように動いた。
「ど、どういうこと?」
混乱した私は、思わず叫んでいた。
私の様子に気づいたゴリラが、彼らを黒服に任せて、こちらに歩み寄ってきた。
「黒服の者たちは、ウィンターガルド軍の隠密隊だ。君が危険な目に遭わないように最近ずっと護衛させていた」
「えっ?」
「魔道具で姿を隠していたから気づかなかっただろうが、護衛つけておいて正解だった」
「護衛!?」
まったく気づかなかった。
……そんな魔道具を学園に持ち込んで良いのかな?
なんか、いろいろダメな気がする。学園寮の入浴場とか覗き放題じゃないか。
……ということは、私は、守ろうとしてくれた人ごと回し蹴りしてしまったってこと?
まだ背中をさすっている黒服の人に慌てて謝った。
「蹴っちゃってすみません! てっきり敵かと思って」
「いえ……なかなかの蹴りでした」
「えへへ」
黒服の人は快く許してくれて、それどころか褒めてくれた。
照れる。
(……ん?)
最近、護衛させてたって言ったよね?
ま、まさか……。
「あの……まさかとは思いますが、放課後の私の行動も、見てたりしますか……?」
「見てたりしますね」
「……!!」
違うんです!あれは覗きに見えたかもしれないけど覗きじゃなくて、小説の参考のために観察していただけで、決して変な趣味とかではないんです!!
そう説明したかったが、小説を書いてることはサーシャ以外には秘密にしている。
読ませてと言われたら恥ずかしいからだ。
「手元とかも覗いてたりして?」
「詳細にメモされてましたね」
(え?どこまで見られてたのかな?寮の自室まで入って来られてたら……小説も読まれてるかも!?)
「一体どこまで付いてきてたんですか!? は、恥ずかしい!!」
私が叫ぶと、ゴリラの目つきが鋭くなり黒服が焦り始めた。
「いえ! 断じて個人的な空間には入ってません! 寮の部屋前までです!」
「トイレとかお風呂とかも、絶対入って来ないでくださいよ?」
「入りません! グレゴリオス様! 睨まないでください! 本当に、部屋の中には入ってませんから!」
良かった。だったら小説は見られていないはずだ。
最近は恋愛小説ばかり書いている。
コンテストに入賞もできた作品ならまだしも、拙い恋愛小説を見られるのはなんだか恥ずかしい。
私は胸をなでおろした。
***
その後グレゴリオスは、わめき散らす侯爵令嬢を無視して王国治安院に通報した。
ナタリーが男爵令嬢とはいえ、貴族同士の間で暴力事件が起きたことは問題だ。
暴行未遂罪が適用されるだろう。
ただ、侯爵令嬢との家格差を理由に、処分が注意程度で済まされる恐れもある。
(だが、そうはさせない)
二週間ほど前に、ナタリーはこの侯爵令嬢たちに水をかけられるといういじめに遭っている。
隠密隊の報告によると、彼女は水をかけられた後に顔を伏せ、袖で口元を隠して……しばらくそのままだったという。泣いていた、そう見えたらしい。
グレゴリオスは、彼女に関する良くない噂が流れていることを知ると、すぐに隠密隊の護衛をナタリーにつけた。今までも陰湿な噂にさらされていたが、彼女は耐えていたと報告されていた。そんな彼女が、とうとう耐え切れずに泣いた。
(いや、いじめどころか、これも暴行罪に等しい。許せない)
彼女が水をかけられた証拠とともに、グレゴリオスは学園監察室に訴えた。
学園監察室とは学園における規律・秩序の維持を担う内部監察機関である。
しかしこの時は、侯爵令嬢たちが手元が狂って三階から水をこぼしただけと証言したため、十日間の謹慎処分にとどまった。
その時に学園監察室の言う秩序の維持とは、上位の者を守ることなのだとグレゴリオスは悟った。
次に同じようなことがあれば、学園監察室ではなく、投獄も視野に王国治安院へ通報することを決めていた。
(身分の高さからして、最終的には留学という名の国外追放か、療養理由に領地に軟禁が限界か。それでも、彼女の周りに危険因子がなくなるならそれでいい)
もしナタリーが、グレゴリオスの婚約者という立場であれば、もっと重い刑を与えられたかもしれない。
だが今の状態ではこれが限界だった。
(とにかく、ナタリーの安全を最優先に環境整えるまでだ)
そう考えるグレゴリオスに報告書が届く。
「――なに? 姿消しのマントが一枚、行方不明だと?」
それは、姿を消すための魔道具。
隠密隊が行動する際に羽織らせている。
市場には出回っていない貴重なものだ。
隠密隊がナタリーが襲われているのに対応した後、その中の一枚を紛失したらしい。
(まずいな。どんな目的で?だがいずれ魔力切れになり使えなくなるから放置していいか?いや、使用者が魔力持ちなら魔力補充できてしまい厄介だ)
手を組んでじっと考えていたグレゴリオスは、公爵領に手紙を送ることにした。
――俺の考え過ぎであればいいが。
そう思いながら静かにペンを走らせる。
けれど胸騒ぎは、そのあとも、ずっと消えずに残っていた。