J・Vの憂鬱
※ここからしばらく、J・V視点のお話になります。
このパートでは 男性同士の恋愛(BL)を中心に、強い恋愛感情の描写が続きます。
R15の範囲ですが、恋人同士のスキンシップも含まれます。
また、恋愛描写の濃度は本編より高めです。
BLが苦手な方は、無理のない範囲でお読みください。
なお、J・V視点は四話あります。
僕には、大好きな作家がいる。
ピンクローズ・スウィート――一途な純愛を描かせたら右に出る者はいないと言われている恋愛小説家だ。
あれは五年前。まだ僕が十一歳だったころ、母の書斎で偶然ピンクローズ先生の小説を見つけた。
何気なく手に取って読み始めたら止まらなくなって、気付けば夕食に遅れて母に叱られた。
あの日からずっと、ピンクローズ先生は僕の一番好きな作家だ。
あるとき、僕はファンレターをしたためた。
だが、侯爵家に生まれた僕には、手紙一通送る自由すらない。
従者に渡せば出してはくれるが、中身を確認されるし、問題があれば差し止められる。
実際、一度は差し止められて母から問い詰められた。
男の僕が恋愛小説家に宛てて書いた手紙など、体裁が悪いと言われたのだ。
ただ、母が内容を確認して問題がなかったため、「感想文の練習だと言うなら」と、匿名であれば許してくれた。
だから僕は、名前の頭文字を取って名乗ることにした。
ジュリアン・バリウス――その名の頭文字から「J・V」と決めた。
それからは、ピンクローズ先生の新作が出るたびに感想を書いて送った。
母から変に思われないように、読書が趣味だと説明し、他の作家にも――本当に興味のある人から、興味のない人にまで――数合わせのようにファンレターを送った。
木を隠すなら森の中というやつだ。
そうやってたくさんの手紙を出すうち、ピンクローズ先生へのファンレターは特別扱いされずに紛れ込むようになっていった。
ピンクローズ先生は半年に一回ほどの頻度で新作を出す。
僕は発売日が来るのをいつも心待ちにしていた。
ヒーローがヒロインを溺愛する物語が多く、そのヒーローが誠実で、とてもかっこいい。
読むたびに、うっとりと夢想する。
――僕がこのヒロインだったら、と。
だが数年経ったあるとき、それが普通ではないと気付いた。
(僕は、なぜヒロイン側に自分を重ねた……?)
父も兄も、女遊びばかりしていた。
帰宅後に纏っている女性物の甘い香りは、不快でしかなかった。
母は、それを咎めなかった。
男とはそういうものなのだと、当然のように受け止めていた。
むしろ誇らしげに笑うことすらあった気がする。
同性の友人とばかり過ごすのは、不健全だ。
そんな言葉を、いつだったか、聞いた覚えがあった。
「女はいいぞ」と父たちは笑っていたけど、僕はたまに媚びる視線を向けてくる女性たちを、どうしても気持ち悪いと思ってしまった。
理由は――分かっている、気がした。
けれど、認めたくなくて、僕はずっと、自分をごまかし続けていた。
***
ステラリウム王立学園に入学して一年目。
僕は、自分の性的指向を――否応なく、意識させられることになった。
僕は、女性に魅力を感じない。
僕が惹かれるのは、男性だ。
そう認めざるを得なくなったのは、彼と出会ったせいだ。
「ジュリアン! 今日提出の課題やった!?」
ウィリアム・マーロウ――栗色の髪に深緑の瞳、健康的な体格の伯爵令息。
肩に腕を乗せてくる彼は、人との距離がとても近い。
そのたびに、僕の心臓はびっくりするほど高鳴った。
「う、うん」
「マジで!? 見せてくださいっ! ジュリアン様ぁぁ」
「いいけど、この前みたいに丸写しはやめてね。また先生にバレたら困るから」
「おうっ! ジュリアンはほんといい奴だなっ」
「もう……調子がいいんだから」
呆れたように言いながらも、内心は嬉しかった。
学園でウィリアムと仲良くなってから、日に日に彼への想いが募っていく。
けれど、僕たちは男同士だ。
この想いが叶うはずないし、伝えることさえできない。
(もし想いを伝えて、ウィリアムに気持ち悪がられたら……きっと、僕は立ち直れない)
誰にも言えない恋心を、そっと心の奥にしまい続けた。
春に出たピンクローズ先生の新刊を読んで、いつものように感想の手紙をしたためているとき、ふと魔が差した。
この鬱屈した想いを誰かに聞いてもらいたくなった。
長年ファンレターを送っているが、僕が誰なのか特定できる情報は一切伝えていない。
(僕と分からない相手になら、ほんの少しだけ、打ち明けてもいいかな?)
そして、男性が好きなことと、手紙の文章の頭文字を切り取ると「先生たすけてつらいです」と読める秘密のメッセージを忍ばせた。
この仕掛けは、新進気鋭の小説家、ブラックリリー・ヴェイル先生の物語から着想を得たものだ。
幸福と溺愛を描くピンクローズ先生とは対照的に、ブラックリリー先生は絶望と報復を描く作風で知られている。
真逆の作風だけれど、僕はどちらの作品も好きだった。
いつものように、差出人名は「J・V」にした。
ピンクローズ先生には、きっと膨大な数のファンレターが届いているだろう。
僕のことなんて、覚えていないかもしれない。
それでも。
もし、奇跡的に気づいてくれるのなら。
そんな淡い期待を捨てきれず、同じ名前を使い続けている。
いつもなら他の作家へのファンレターに紛れ込ませて従者に渡すけれど、今回ばかりは読まれたらまずい。
だから学園の帰りに街へ出て、従者から逃げるように一人で配達屋へ向かった。
胸がどきどきして、手のひらに汗が滲む。
まるで、悪事を働いているみたいだった。
無事に手紙を送れたときは肩の力が抜けて、達成感を覚えた。
――その数か月後。
ピンクローズ先生の新刊のあとがきに、「Jさんへ」と僕宛てのメッセージが添えられていた。
最初は「V」が抜けていたから、別の誰かへの言葉だと思った。
けれど、それが僕に向けられたものだと気づいたのは、僕の手紙と同じように、頭文字を切り取るとひとつの文になる仕掛けがあったからだ。
『王都の慈善市で待つ』
そう読めたそのメッセージと、あとがきの内容から、もしかしたら僕のために物語を書いてくれたのでは……と、そんな考えが頭から離れなくなった。
その可能性を意識した瞬間、本を持つ手が震えた。
まさかあのピンクローズ先生から返事がもらえるなんて。
しかも、大切な本のあとがきに、わざわざ名前を添えてくれるなんて。
――慈善市には、何があっても行かなくてはならない。
慈善市までの一ヶ月間は、夢見心地で過ごした。
あまりにも浮かれていて、ウィリアムに心配されるほどだった。
万が一にも僕があんな手紙を送ったことを従者に知られないよう、慈善市へ向かう前に、また監視の従者を巻かなければならなかった。
一度目は簡単だったのに、今度は従者が手強くなっていた。
巻くのに手間取り、慈善市に着いたころにはすでに夕方になっていた。
人影もまばらで、店じまいを始めている店も多い。
(――間に合わなかったら、どうしよう)
焦りながらピンクローズ先生の店を探した。
それとすぐにわかったのは、桃色の薔薇で装飾された店だったからだ。
僕は帽子を深くかぶり、その店の前に立った。
店の売り子は、ライラックの髪を上品にまとめたアクアブルーの瞳の美女だった。
目が合うと、僕は震える声で聞いた。
「あ……あなたがピンクローズ先生、ですか?」
「違います。私は代理ですわ。貴方の差出人名を教えていただけますか?」
「……J・Vです」
そう言うと、美女はふわりと微笑んだ。
僕は女性が苦手だけど、この人からは嫌な雰囲気を感じなかった。
「ピンクローズ先生からお預かりしておりました」
そして差し出されたのは、薄い一冊の本。
表紙は、男性二人が爽やかにお茶会をしている絵だった。
いつもピンクローズ先生の本の表紙は男女だった。ヒロインとヒーローだ。
だからおそらく、これは男同士の話……?
心臓が、どくりと跳ねた。
その疑問を裏付けるように、美女が続けた。
「ピンクローズ・スウィート先生が、貴方のためにしたためたものですわ」
(やっぱり……!)
憧れのピンクローズ先生が、僕の手紙を読んでわざわざ物語を書いてくれた。
その事実に、思わず涙が溢れた。
「……あっ、ありがとう……ございますっ」
泣きながら本を受け取った。
その本は、手作りの温かみがあった。
従者に見つかってはまずいため、早々にそこを離れた。
泣き顔が知られないようにすぐに顔を拭う。
本は見つからないように、ジャケットの内側に忍ばせた。
そのあと合流した従者には行方をくらませたことを怒られたが、早く自分の部屋で本を読みたい一心で平謝りした。
無事に帰宅して、部屋の内側から鍵をかけて本に耽った。
ピンクローズ先生の書いたその本は、素晴らしかった。
まるで僕かと思うような気弱な性格の主人公と、誠実なヒーローのハッピーエンド。
そして何より、巻末に手書きで書いてあった『あなたは、ひとりじゃない』というメッセージに、声を殺して泣いた。
僕は、ずっと孤独に感じていたのかもしれない。
同性を好きになる自分は特殊で、こんな変な指向を持った者は存在してはいけないと思っていた。
でも、ピンクローズ先生は僕に寄り添ってくれた。
そのことは僕の常識を覆した。
(僕は、生きていていいんだ)
そう思えた。
※J・V視点は全4話、毎日更新予定です。




