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世界一素敵なゴリラと結婚します  作者: 志岐咲香
番外編:花街の恋話編

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60/70

とある没落伯爵令嬢①

花街の恋話編は短めの全三話です。

さくっと読める小話ですが、少し切ない恋のお話になります。

ハッピーエンドなので、安心してお読みください。

 ある日、花街サロンの女主人であるマダムとお茶会をしていた。


 小説の題材探しという名目で、定期的にお茶会を開いている。

 けれど、マダムの話があまりにも刺激的で面白いので、題材探し抜きでも続けたいほどだ。

 なおほとんどの場合、リオスも同席している。


 なぜかこのお茶会だけは、侍女ではなく執事のクロイツナーがお茶の準備をして傍らに控えている。


 花街という土地柄もあり、際どい話が飛び交うからかもしれない。

 あいにくの雨で、いつもの庭園の席が使えなかったため、今日は初めて私の部屋にお招きすることにした。

 この部屋は、リオスがこだわり抜いてデザインした。パウダーブルーと白で統一された、見ているだけで気分が上がる可愛い部屋だ。


「奥様のお部屋は、とっても可愛らしいんですのね」

「そうでしょう? リオスがデザインしてくれたんだよ」

「公爵令息閣下が?」

「うん。リオスはねぇ、可愛いデザインが好きなの。……あっ、言っちゃっても良かった!?」

「ああ、だが別に俺がこのデザインを好きなわけでは……」

「そうだよね! ごめんごめん! 私の趣味なの!」


 一同が、微妙な表情を浮かべた。

 たぶん、私が慌てて訂正したことで、逆にリオスが可愛いもの好きだという印象を強くしてしまったのだろう。

 これは秘密の趣味だったのだろう。きっとそうだ。

 リオスには悪いことをした気がして、私は早々に話題を切り替えた。


「今日はどんな話を聞かせてもらえるの?」


 マダムとのお茶会では、花街の女性たちの恋愛話を聞かせてもらうことになっている。

 聞いた話をそのまま小説にしたことはないが、ロマンチックな口説き方などはところどころ使わせてもらっている。


「……今日は、とある没落貴族令嬢の話をいたしましょうか」

「没落貴族令嬢?」

「ええ。サロン・マルセリアには多種多様な従業員がいますのよ。その中には、貴族令嬢だった者もおりますの」

「へぇー。知らなかった」

「ほとんどは平民出身ですけれどね。そうですわね、その令嬢の名前をレアとでもしましょうか――」



***



 レアは伯爵家の長女だった。

 真面目で優しい両親と兄がいた。


 レアが幼い頃、領地で魔鉱山が見つかり、領地が潤った。

 ほどなくして、レアには婚約者が決められた。


 由緒ある伯爵家の嫡男、ハルトだった。

 ハルトの家は由緒こそあるものの、実際には資金難に陥っていた。

 レアの家からの持参金と、事業提携を目的としたものだった。


 そんな政略的な婚約ではあったけれど、レアとハルトの関係は良好だった。

 両親は優しく、レアの幸せを願ってのことだ。


 レアとハルトは幼いながらも定期的に互いの家で茶会をし、親交を深めていった。

 明るく快活なレアの話を、穏やかなハルトが嬉しそうに聞いていた。

 二人が互いに恋をするのも、すぐだった。

 気づけば、茶会の日を心待ちにするようになっていた。


 十五歳の春、学園に入学した頃には、周囲も認める相思相愛の恋人同士だった。

 レアは、ハルトと結婚することを夢見ていたし、そうなる未来を信じて疑わなかった。


 ――だがそれは、夢に終わった。


 レアの父の事業が失敗したのだ。

 正しくは、騙されていた。


 領地が潤ったのは最初の数年だけで、気づけば魔鉱山で採れる魔鉱石を安く買いたたかれていた。

 採算が取れないほどに。


 契約書を交わしていたために、反故にはできなかった。

 さらに運の悪いことに、領地で災害が起きた。

 父と跡取りである兄は、休む間もなく動き回った。


 そこから先は、本当に一瞬だった。


 最初に亡くなったのは、母だった。

 領地のために働きづめだった母は、炊き出しの帰路で土砂崩れに巻き込まれた。


 次に、父と兄が体調を壊して衰弱していった。

 災害で苦しむ領民の対応ができず、領民からの不満はたまる一方だった。

 まだ十六歳のレアには何もできなかった。これまで習ってきた淑女教育など、何の役にも立たなかった。

 レアには、衰弱していく父と兄の手を握ることしかできなかった。


 領民から罵倒され、家臣からも苦い顔をされ、衰弱していく父と兄を見守るしかできないレアは、自分の無力さに打ちひしがれていた。


 いよいよ死期を悟った父は、レアに伝えた。

 婚約者であるハルトの家に助けてもらいなさい、と。

 父の最後の言葉はそれだった。

 死の淵にあっても、娘の行く末が心配になったのだろう。


 レアには、悲しみに浸る間もなかった。

 兄も、父の後を追うように、ほどなく息を引き取った。

 

 葬式の後、レアが頼ると、ハルトは快く受け入れてくれた。

 レアは悲しみに暮れながらも、安堵した。


 ――はずだった。


 だが、ハルトの両親が、許さなかった。


 レアの家は、借金がかさみ、爵位の相続もままならなかった。


 この国では、爵位を継げるのは男子だけだ。

 兄が生きていれば伯爵位を継承できたが、他に兄弟はおらず、親戚にも男子がいない。

 継ぐ者がおらず、伯爵家は断絶となり、レアは平民に落ちることが決まった。

 伯爵位と領地は、国か他の者に渡る。


 持参金がないどころか、借金がある平民落ちしたレアを引き受ける余裕はハルトの家にはなかった。

 レアと結婚するつもりだったハルトは、両親と激しく対立したが、所詮まだ学生の彼には何も出来なかった。婚約は事実上、白紙となった。


 平民どころか、借金返済のために娼館へ売られる――そんな噂が立ったそのとき、救いの手が差し伸べられた。


 それは、グレゴリオス・ウィンターガルド公爵令息だった。

 レアとハルトと同じクラスだったグレゴリオスは、彼女の境遇を知ると放っておけなかったのだろう。

 学園を途中で辞めたレアを公爵領で保護し、借金を肩代わりしてくれた。

 もちろん、今後レアは生涯をかけてその借金を返さなくてはならない。

 だが、無理のない範囲でいいと、グレゴリオスは言った。


 さらに彼は、今の状況を受け入れるには時間がかかるだろうと、しばらく平民の生活に慣れる期間を与えてくれた。

 平民街の治安のよい地域に、落ち着ける家と使用人を付けてくれた。

 レアはしばらく、自分に起こったことを受け入れるための時間を持つことができた。

 たった半年の間に、彼女の人生は真逆のものとなってしまった。

 それを受け入れるには、時間がかかった。


 優しい両親と兄はもういない。

 貴族という立場ももうない。

 大好きだった婚約者ももういない。


 彼女には、何もなかった。


 彼女にあったのは、幼いころから培われた貴族の振る舞いと教養、そしてウィンターガルド公爵家に対する恩だけだった。


 数カ月がすぎ、ようやく心の整理がついたころ、レアは自分の境遇を受け入れた。

 そして今できる最善はなにかと考えた。

 自分ができることは、公爵家に恩を返すこと。

 借金だって返さなくてはならない。


 そこでレアは、公爵家に諜報員として働くことを志願した。

 自分が活かせるのは、伯爵家で得た品位と教養と社交性。

 救ってもらった恩として、なんでも差し出そうと決意した。


 どうせ、もう自分には婚約者も家族もいないのだから。


 グレゴリオスは、レアの希望を渋々ながらも聞いてくれた。

 レアは軍部で訓練を受けることになった。

 礼儀作法などはすでに完璧だったので、諜報員としての振る舞いと、護身術を中心に習った。


 そうやって過ごして一年が経った。

 グレゴリオスが学園を卒業する頃、レアはいよいよ諜報員として初任務を控えていた。

 そんな矢先に、信じられない話を聞くことになる。


 元婚約者である伯爵家嫡男のハルトが、ウィンターガルド公爵家で執事見習いとして働くというのだ。

 にわかには信じられなかった。

 心臓がきゅっと縮むような感覚がした。


 ハルトは、ゆくゆくは伯爵として人の上に立つために育てられた人だ。

 彼からは、グレゴリオス経由で何度も手紙をもらっていた。

 「心配しなくていい」「いつか君を迎えに行く」「どうか待っていて」と。

 何度も、何度も。

 レアは返事を書かなかった。


 平民になり、貴族御用達の店ではなく、平民向けの店に行くようになったレアには、ハルトの言葉は重すぎた。

 レアには、そんなことは不可能だと分かっていた。

 もしもレアがハルトと結婚したら、社交界は醜聞として放っておかないだろう。

 それをはねのける力も財力も、ハルトの家にはないことは分かっていた。

 なにせ、ハルトの家はレアの家の財力を必要としていたほどなのだから。


 定期的に届く手紙に、レアは一度だけ返事を書いた。


『私のことは、もう忘れてください。

 今までありがとう。

 新しい婚約者と、お幸せに』


 噂で、ハルトに新しい婚約者が決まったと聞いていた。

 仕方がない。

 伯爵家の嫡男だから、親が決めた人と結婚しなければならない。

 私たちだって、親が決めた婚約者だった。

 相手が変わるだけ。

 ただそれだけ。


 淡い初恋は、終わったのだ。


 彼には、幸せになってほしい。

 もう別世界の彼には。


 そう思うレアの気持ちとは裏腹に、ハルトは学園を卒業すると、公爵家で働き始めた。

 そして、レアの働く花街に休みのたびに足を運んだ。

 レアの職場は、花街にあるが花は売らない。

 売るのは洗練された会話だった。

 花街が発展している公爵領ならではのサロンだった。


 花を売らないのにもかかわらず、このサロンは高級店だった。

 伯爵家嫡男のハルトなら問題なく支払えただろうが、弟に継承権を譲って公爵家の執事見習いとして働く彼には大変な金額だっただろう。

 それでもレアに会いに来た。


 レアは、怒って追い返したこともあった。 

 「落ちぶれた私をバカにしに来たの!?」と被害妄想に取りつかれたこともあった。

 ハルトは穏やかに「君に会いたかっただけだ」といつも言った。

 レアは彼に半ば八つ当たりのように、ひどいことを何度も言った。

 諦めてほしくて。

 伯爵家に帰ってほしくて。

 彼の居場所はここではない。


 それでも、まだ彼は帰らない。


 彼は今も公爵家で働いている――。


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