執着の理由
それは、ローランドが一歳の春のことだった。
ある晴れた日、リオスとローランドと三人で、庭園にピクニックへ出かけた。
まだ小さな子どもにとって、庭園でのピクニックは大イベントらしく、ローランドは興奮して大はしゃぎしていた。いつもは執務で忙しいリオスが一緒なのも嬉しいのだろう。
「おかーしゃま! おとーしゃま! アリアがいゆ!」
「そうねぇ。蟻さんがいるわねぇ」
可愛い。尊い。幸せだ。
リオスは隣で私たちを眺めて微笑んでいる。
「ちがう、アリアなの! ねっ? おとーしゃま!」
「そうだな。これは、アリアだ」
「ふふ。ローランドは、あのお話が好きだものね」
「君が書いた童話『蟻のアリア』は、最近、貴族の間で流行しているらしいな。出版した時は、まさかここまで評判になるとは思わなかったが……」
「ローランドに読み聞かせたくて、昔の話を書き直しただけなのよ。子ども向けの本って少ないものだから、ちょうどよかったんでしょうね」
『蟻のアリア』とは、蟻のきょうだいが過酷な冬を乗り越えるために喧嘩したり協力したりしながら乗り越えようとする話だ。最後は砂糖のお城を作るハッピーエンドで、ローランドはその話がお気に入りだった。
興奮した反動か、昼食を食べたらローランドはすぐに昼寝をし始めた。
爽やかな春の風が吹く中、すやすやとお昼寝しているローランドの頭をなでる。
ふと思いついて、リオスに提案した。
「ねえ、ローランドに婚約者を決めてあげない?」
「婚約者?」
「もちろん、相手との相性を見てからなんだけど、幼馴染の婚約者と結婚って素敵じゃない?」
「……それは、今君が書いている小説の話だろう?」
そう。実は今、幼馴染で婚約者の純愛物語を執筆中だ。
書いていると、幼馴染と愛を育んで結婚することが一番素敵なことだと思えてきたのだ。
それで、ローランドにも婚約者を決めてあげることを思いついた。
「小説を書いていて幼馴染って素敵だなって思ったの。ねえ、いいでしょ?」
「……だめだ」
「え?」
「婚約者は、ローランドが決めた相手じゃないと」
「もちろんローランドにも意見を聞くわよ?」
「ローランドはまだ幼い。……見合いをしたとして、運命の相手かは分からないだろう。君が決めた人なら頷くに決まっている」
「そんな横暴なことしないってば。ちゃんとローランドの意見を聞いて……」
「婚約者を決めた後に、運命の相手に出会ったらどうするんだ」
「そんなの浮気者じゃない! ローランドはそうならないから大丈夫……」
「だめだ。ローランドのために、断じて認められない」
「なんで!?」
いつもはお願いを聞いてくれるリオスが、今回は決して頷かなかった。
ちゃんとローランドの意見も尊重するって言ってるのに!
「……アリィー、二人で話し合おう」
話は平行線のまま、ローランドは使用人に連れられて子ども部屋へ戻り、私とリオスは彼の部屋へ移動した。
私の眉間にはずっと皺が寄っていた。リオスの顔も険しいままだった。
紅茶が準備され、使用人が退室した後、リオスが口を開いた。
「……これから話す話は、他言無用だ」
「他言無用?」
「誰にも話してはいけないし、小説にも書いてはならない。守れるか?」
「え、ええ」
神妙な表情でリオスは続ける。
「……この国には有名な話があるだろう。王家の始祖は竜人だという」
「あるわね。初代の国王陛下は、銀の花から産まれた竜人っておとぎ話でしょう?」
「花から生まれたという話は置いておいて、公爵家では、王家の始祖が竜人だったという話は真実とされている」
「……え?」
レグナス王国には昔から、貴族も平民も分け隔てなく語り継がれている建国のおとぎ話がある。
王家の始祖は、銀の花から生まれた竜人で、竜の加護を持って代々レグナス王国を守護していると――。
その話が、本当?
「信じられないかもしれないが、王家の分家であるウィンターガルド公爵家も――俺も、竜人の末裔だ」
「……え?」
「竜人は、魔力や身体が強い。だが、それだけではない。『番』と呼ばれる運命の相手が分かるんだ。番とは、生涯にたった一人しか出会えない唯一無二の存在。番といるとき、竜人の心はとてつもない幸福感に包まれる――俺にとっては、それが君だ。アリィー」
「……私?」
思ってもいなかった話の展開で、頭が追いつかない。
(竜人? 番? なにそれ?)
瞬きを繰り返しながら必死に理解しようとしたが、リオスの言葉は続く。
「俺も、初めは半信半疑だった。だが、君と出会って確信した。この話は真実なのだと。俺は君と出会えて、結婚できて幸運だった。番と出会えない、または番に拒まれた竜人は、心を失ってただ生きながらえるだけと言われている。生きながらにして死んでいるようなもの。生きる意味もなく、心に何も響かず、人生が色を失う。だから、いつかローランドが番と出会ったときに、何の障害もなく番に向かえる環境を残してやりたいと――」
「ちょちょちょちょ、ちょっと待って!」
私は思わず、話をいったん止めた。
「……混乱するのはもっともだ。今までこの話を君にしてこなかったんだから。だが、これは――」
「ま、待って!」
リオスは黙って私を見つめた。
その顔は、ひどく怯えているようにも見えた。
「……それって……」
私は、自分の考えを整理しながら言葉を紡いだ。
「それって、リオスが私のことを好きじゃなかったってこと?」
「……え? 今の話、ちゃんと聞いていたか?」
「聞いてたよ! 運命の番と一緒にいたら幸福になるんでしょ? だからあなたは私と一緒にいるの?」
「……ちょっと待ってくれ、なんだか話が変な方向に行っている気がする」
「あなたは、私が運命の番? だから一緒にいるんでしょ? 幸福感があるんでしょう? だとしたら、私がどんな性格か、どんな人かなんて関係ないってこと?」
「……」
「私がそばにいれば幸福だから満足って思ってるってこと? それってどうなの? 私のことが好きなんじゃなくて『番だから』好きってこと?」
「……」
それって、本当に私を好きってことになるのだろうか?
ならない気がする。
ずっと、リオスは私に嘘をついていたのだろうか。
「……君が最初に感じたのはそれなのか?」
「え?」
「竜人を、人外を、気味悪いとは思わなかったのか?」
「気味悪い? なんで?」
「人間じゃないから……気味が、悪いだろう? しかも、君はずっと隠されていたんだ」
「それは腹が立つよ! どうして今まで隠してたの? でも気味が悪いとかはないよ。だってリオスはリオスだし」
「そう……なのか。……今まで黙っていて悪かった。君に嫌われるのが怖くて言えなかった」
「なんで嫌われると思ったの? 私のことを好きって嘘ついたから?」
「嘘じゃない!」
「でも幸せになるから、そのために一緒にいたんでしょ?」
「そうではなくて……。幼いころから父上に番の話は聞かされていたが、自分が経験するまで、半信半疑だったんだ。竜人なんて、番なんて本当にいるのかと。もし番がいたとしても、公爵領を守っていくことを優先しようと思っていた。だが、君に会って考えが変わった」
「私に?」
「ああ。理性では抗えない本能と言えばいいのか、君に惹かれることを止められなかった。そして、君と過ごして愛を育てていくうちに考えるようになったんだ。番とは、ただ運命に決められた相手というだけではないのではないかと」
「どういうこと?」
「お互いが補え合える相性を持っているんじゃないかと思う。君は、気づいていないかもしれないが、俺は……かなり束縛が激しいらしい」
「そう?」
「ああ。ベルンハルトにも言われたよ。君が妻で良かったと」
「ふーん? やっぱり都合がいいからってこと?」
「そういう話ではなく……。君が番だから一緒にいるのではなく、これだけ好きになれる君だから番なんだ、きっと。君を知れば知るほど、深く好きになった。そんな君は、いつも俺の予想の斜め上を行く。良くも悪くも。今もそうだ。竜人と聞いても気にするところが俺の気持ちだなんて……。もっと早くに話すべきだった。すまなかった」
「うーん。まだ気持ちが納得できてないんだけど。とりあえず、ローランドに婚約者を決めない件は分かったわ。婚約者を決めた後でその番と出会ったら、ローランドが最低な浮気者になっちゃうものね」
「ああ。そんな事態になったらローランドが可哀想だ」
話は理解したし、納得もした。……けれど、胸の奥にもやもやするものが残っていた。
何年も大事なことを隠されていたこと?
……違う。
本当にリオスは私のことが好きなのかどうか。
ここはまだ納得ができていなかった。
「『好き』って気持ちが、番だから……っていうのがどうしても嫌なの」
「そうではないんだが……。俺は、番を感じ取る力がなくても、君と出会っていたら君を好きになっていた。そう確信している。ただ、番を感じ取る力があったからこそ、君に出会えた。君を一目見て番だと分かったから、君に声をかけたんだ。あのきっかけがなければ、俺たちは知り合うこともなかった。だからこの力には感謝しているんだ。どうしたら俺の気持ちを信じてもらえる?」
リオスから声をかけられたからこそ、私たちは知り合えた。
確かに、あのきっかけがなければ、公爵令息など見ることもなかったかもしれない。
しばらく考えて、口を開いた。
「じゃあ、私の好きなところを百個言って」
「……百個……」
「言えないの?」
「っはは。いや、言えるよ。一つ目はまず、その突拍子もないところだ」
そう言ってリオスは、優しく微笑んだ。
「突拍子……? まあいいわ。一つ目ね。次は?」
「心が広いところ」
「えへへ。そうかな? 二つ目ね」
そうやってリオスは次々と好きなところを言ってくれた。
「――ふむふむ。九十八個まで言ったわね。あと二個よ。次は?」
「寝息が可愛い」
「そうなの? どんな風に?」
「『すぴぴぴ』って言うんだ」
「あはは。嘘だぁ」
「それが、本当なんだ」
「もう、おまけだよ。じゃあ最後、百個目は?」
「……こうやって一緒にいて、楽しいところだ」
「ふふ、そうね。確かに」
「俺の気持ちは、信じてもらえたか?」
「……うん」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
リオスが私の頬に手を添えた。
そっとお互いの瞳が近づく。
目を閉じて、身を任していると――
「おかーしゃまー!!」
バーンッと扉が大きな音を立てて開いた。
そこには、お昼寝をしてパワーが全回復したローランドが立っていた。
私たちは慌てて身体を離した。
ローランドの傍にいた乳母は、雰囲気を感じ取ってあたふたしていた。
……気まずい思いをさせてしまって、申し訳ない。
「なにしてゆのー? ぼくもあそぶー」
ローランドは勢いそのままに、私とリオスの間へずいずいと身体を入れて座る。
「え? そ、そうね、一緒にお茶しましょうか」
「そうだな……。ローランド、菓子を食べるか?」
「たべゆー!」
満面の笑みで菓子をほおばり、楽しかったピクニックの話をするローランドに愛しさが溢れた。
リオスと目が合い、お互いに微笑んだ。
竜人とか、番とか、関係ない。
リオスやローランドにどんな血が流れていようとも、私が彼らを愛していることは変わらない。
この愛しい家族と、ずっと幸せでいられますように。




