名づけと感謝
息子が産まれた知らせを受けて、義両親もお祝いに来てくれた。
「ナタリー、よく耐えたわね。立派でした」
「大儀だったな」
「ありがとうございます……!」
皆で息子の様子を観察する。
アッシュゴールドの髪色に碧眼の、可愛い赤ちゃんだ。
「可愛いわね」
「強い男の子になりそうだな」
「顔立ちはリオスに似てそうですね」
「アリィーにも似てると思うが」
一通り息子を愛でると、身体を休めるように言われた。
「産後は思った以上に疲れているのよ。ゆっくり休みなさい」
「赤子は乳母に任せればいい」
「えっ?」
義両親がそう言うと乳母がやってきて、息子を抱っこして連れて行ってしまった。
「えええ」
「アリィー。君の身体が心配だ。ゆっくり休んでくれ」
「なんだか、寂しいな……。ローランドがいないと」
「「「……ローランド?」」」
三人の声が重なった。
「はい。男の子なら名前はローランドって決めてたんです!」
実は秘かに、勝手に名前を考えていた。
産後に性別が分かった瞬間から、すぐに呼び始めると決めていたのだ。
リオスや義両親には悪いけど、また「ゴリオス」系の名前をつけられたんじゃたまらない。その名前を受け継いでいくのは、センスが悪すぎる。
北の領地の叔父は「ヴィオス」という、ちゃんとかっこいい名前だった。
ということは、公爵家の男子が全員「ゴリオス」を受け継ぐことは正式ルールじゃないはずだ。
「む……しかし、グレゴリオスの名前はどこも取っておらんぞ? では、『ローゴリオス』でどうだ?」
やはり、お義父様のネーミングセンスは絶望的だった。
なぜゴリオス縛りをしないといけないんだ。なんの呪いだ。
「ローランドがいいです!」
「でもねぇ、名前の一部を受け継ぐのは、初代公爵からの流れなのよ? せめて、『グレランド』でどうかしら?」
なんと、お義母様もダサネーミングセンスだったとは……!
ドレスの趣味はあんなに良いのに。
残念ながら、グレゴリオスという名前は……どこをとってもダサいのだ。
「いやです! 名前だけは、決めさせてください! ローランドでお願いします!」
やれやれ、という雰囲気が漂う。
私はリオスに救いを求める視線を送った。
困り顔のリオスは、私に尋ねた。
「ローランドにしたい理由が、何かあるのか?」
名前は響きのかっこよさにこだわったけど、実はこの名前にしたのには別の理由もある。
「あのね、息子を産んだから、きっと養子の話はなくなるでしょう? 『ローランド』って……『ノラン』と『アラン』に似ていると思わない? ちょっとだけ、兄弟っぽいでしょ。兄弟みたいに仲良くなれたら嬉しいなって。それに、北と南の絆がもっと深まるようにという願いも込めたの。これからも協力して、ウィンターガルドを盛り立てられたらって……」
恐る恐る皆の顔を見ると、どこか感心したような空気が漂っていた。
「……アリィー。本当に、素晴らしいよ」
「ええ。その理由なら反対のしようがありませんわ」
「ローランドか。うむ、良い名だ」
こうして、息子の名前はローランドに決定した。
***
ローランドが産まれて数日が経つと、リオスと義両親は王都へ向かった。
社交シーズンの幕開けを告げる、王宮の夜会に参加するためだ。
出立前のリオスは、まるで処刑場に向かうかのような悲痛な顔をしていた。
それでも、公爵家の嫡男としては参加しないわけにはいかないらしい。
私は産後まもなく体を休める必要があるため、公爵領で大人しくお留守番だ。
リオスはどうしても離れがたかったようで、出発時間を何度も延ばしては義両親に叱られていた。
挙げ句の果てに、仮病で欠席できないかと本気で考えていたので、息子の誕生を社交界に宣伝してきてほしいとお願いすると、ようやく観念したように頷いた。
とはいえ、王宮の夜会だけ参加してすぐ戻ってくるつもりらしく、今回の社交シーズンはほとんどお休みする予定だ。せいぜい十日ほどの不在らしい。
「産後だからしっかり休むんだ。約束だ」
リオスには、そんなふうに繰り返し念を押された。
……だけど。
(今のうちにローランドにいっぱい会いに行こう)
そう企んだ私は、遠慮なく子ども部屋に入り浸っていた。
「ローランドちゃ~ん、おむつを替えましょうねぇ」
もちろん、ローランドの世話は基本的に乳母がしてくれる。
産後は休養が最優先ということで、リオスも義両親も「ナタリーは休むのが一番の仕事」
と、厳しく私を寝かしつけようとするのだ。
だけど可愛い息子に触れたくて、これまではこっそり様子を見に行っては
お世話を買って出ていた。
今は堂々と顔を出せるので、それはもう幸せだった。
本来、公爵家の夫人は子どもに母乳をあげないものだが、皆がいない隙に私は母乳をあげていた。
ローランドがごくごくと一生懸命飲む姿は、どうしようもないほど愛おしい。
飲みながら眠ってしまうその小さな顔が、可愛くて仕方なかった。
ローランドは一日のほとんどを眠って過ごす。
その寝顔を見守りながら、私も窓際の長椅子にそっと横になった。
私が幸せに浸りながらお昼寝をしてふと目を開けると、枕元にはリオスがいた。
予想以上に早く帰宅したリオスに、心臓が止まるかと思った。
「リ……リオス!?」
「乳母から、動き回っていると聞いた。産後は無理をしてはいけないとあれほど言ったのに……。君に何かあったらどうするんだ」
寝起きでさっそく叱られた。
「ご、ごめんなさい。でも、ローランドに会いたくてしかたないの」
「だったら今後は、ローランドを君の部屋に連れてこさせる。君は動かなくていい。頼むから安静にしていてくれ」
「うん。でも、ローランドが起きてる時だけでいいからね。寝てるときに起こしちゃったら可哀そうだし」
「ああ」
そうして、私はようやく、しっかりと体を休めるようになった。
実家の男爵家では、母が育児も家事も畑仕事もすべてこなしていた。
目の下にクマを作り、髪を振り乱しながら、それでも家族のために立ち続けていた。
だから産後にこんなにゆっくり過ごせるとは思わなかった。
私は無理をしない範囲で、できるだけローランドと一緒に過ごした。
ローランドは成長が早く、一歳になる頃にはよちよちと歩き、ぽつぽつと単語を言うようになった。
私にべったりで、人見知りも激しくて、乳母ですら泣いてしまう時期もあった。
困る反面、可愛くて仕方がなかった。
私が抱っこすれば笑ってくれる。
私が触れれば泣き止む。
私を見つけると、小さな足で一生懸命歩いてきてくれる。
自分の子どもがこんなにも可愛くて、愛おしくて、
胸が苦しくなるほど幸せで――
そのとき初めて理解した。
――自分の子どもを養子に出す、という決断の重さを。
ヘレナさんは、初めて会った私に、一歳のノラン君を養子に出してもいいと言ってくれた。
あの頃の私は、その言葉の意味を何ひとつ分かっていなかった。その決断の重みを理解していなかった。
(私は……領地のためにローランドを養子に出せる?)
私の膝の上で笑うローランドを、ぎゅっと抱きしめた。
……無理だ。
可愛い我が子と離れるなんて、耐えられるはずがない。
きっとヘレナさんは、あのとき身を切るような思いで決断したのだ。
穏やかに笑いながら、私を励ましながら。
その気持ちを思うと、涙が止まらなかった。
自分がどれほど無神経だったのかと思うと、それでもまた涙が出た。
私は、いろんな人に支えられて生きている。
皆のおかげで、今の穏やかな暮らしが成り立っている。
そのことが胸にしみて仕方がなかった。
出産してすぐの頃、お義父様がヴィオスさん夫妻へ手紙を送った。
公的な文面はお義父様が記し、私は個人的なお礼として、便箋を一枚添えさせてもらった。
そのときに、ローランドの出産報告とともに、ヘレナさんへの感謝の気持ちを書いた。
でも、あの頃の私は、分かっていなかった。
生まれたばかりの赤ちゃんはもちろん可愛い。
けれど、親子の愛情というのは、時間をかけて育っていくものだ。
一歳になったローランドへの愛情は、産まれたばかりの頃とは比べ物にならないほど強く、大きくなっていた。
きっとヘレナさんも、ノラン君に対して同じだったに違いない。
そのうえで、それでも「養子に出す」と言ってくれた。
その覚悟と辛さは、計り知れない。
――今の自分の言葉で、お礼を伝えたい。
自己満足かもしれないし、今さら送る必要のない手紙なのかもしれない。
もしかしたらヘレナさんを不快にさせてしまうかもしれない。
それでも私は、あのときの思いと、今の感謝を込めて、ヘレナさんに手紙を書いた。
ほどなくして返事が届き、そこにはあたたかな言葉が綴られていた。
そして最後に、こう締めくくられていた。
『ローランド様の名に、あなたがノランとアランの想いを重ねてくださったと知り、胸が熱くなりました。
あなたは、人の痛みに寄り添い、その想いを形にできるお方です。
そのお心がある限り、ウィンターガルドの名は、必ずや穏やかに繁栄し続けるでしょう。
どうかご安心ください。
私たちはこれからも――いいえ、より一層の敬愛と忠誠をもって、公爵家にお仕えいたします。
この絆が末永く続きますことを、心より願っております。』
読み終えた瞬間、胸の奥にふっと温かなものが灯った。
怖かったけれど、書いてよかった。
届いたのは返事の文字だけじゃない。
ヘレナさんの想いも、あのときの覚悟も、私への赦しも――全部、この手紙の中にあった。
私の無知や無神経さが、これで帳消しになるわけではない。
これからもきっと間違えるだろうし、誰かを傷つけてしまう日もあるかもしれない。
それでも、思うのだ。
そのたびにきっと、誰かが優しく手を差し伸べてくれる。
私は今までも、そうやってたくさんの人に支えられて生きてきた。
これからもきっと、そうやって生きていくのだろう。
ならば――
これからは、その優しさを周りへ返していきたい。
誰かがつまずいたとき、私もそっと手を伸ばせる人でありたい。
与えられるばかりではなく、自分もまた誰かに与えられる人間になりたい。
そんなことを思いながら、ふと机の上の白紙のノートに目を落とした。
そこには、まだ何も書かれていない未来の物語が眠っていた。
まさか、この成長が後にBL同人誌制作へと繋がるとは……
この時のナタリーは、まだ知る由もなかった。




