プレッシャー
前話で登場人物の名前に誤りがありました。
また、説明不足の箇所もあったため、該当部分を修正しています。
ヴィオスの妻は「ヘレナ」です。
紹介が抜けており、分かりにくくしてしまい申し訳ありませんでした。
最近の公爵邸は、緊張感に包まれている。
「ナタリー様! 階段を使用なさるときは、必ず私どもにお声がけください!」
「ただいま騎士を呼んでまいりますっ! しばしお待ちを!」
侍女長をはじめ、侍女やメイド、騎士に至るまで、私の行動一つ一つに悲鳴を上げる毎日だった。
次期公爵夫人である私が、妊娠したからだ。
「いや、ちょっと庭園を散歩するだけだから大丈……」
「きゃあぁぁ! 手すりに! 手すりにお掴まりください!」
「騎士様! 早く!!」
「若奥様! お気を確かに!」
(いやいや、大袈裟だよ? 階段にそんな心配しなくても……)
そう思いながらも、皆の気遣いは善意だ。私は大人しく介助を受けた。
私を取り囲むようにして、全員が階段を降りていく。
私が一歩降りるたびに、皆も一歩降りる。
タイミングがずれたらむしろ大惨事になりそうで怖かったが、黙って歩いた。
一歩動くたびに、皆の真剣な息遣いが聞こえるようだった。
庭園を歩くときも同じだ。
日傘を差す者、万が一に転んだ時に支える者、道の石を避ける者と、私の周りにはぞろぞろと護衛団がついてくる。
妊娠する前は、「日傘はいらない」と言えば渋々ながら自由にさせてくれたのに、今では過保護の極みで、自由はない。
執筆中ですら誰かが部屋に常駐し、気が散って執筆が進まなかった。
(なんだか、息が詰まりそう……)
さすがにげんなりしていると、声がした。
「アリィー」
「あら、リオスも休憩?」
「ああ。騒がしい声が聞こえたから、様子を見に来た」
リオスは苦笑いを浮かべた。
彼も、使用人たちの大袈裟な心配ぶりには少々呆れ気味だった。
だが、もしも私が転んだりして万が一のことになれば、責任を問われるのは彼らかもしれない。
もちろん責任を取らせるつもりはないが、彼らが必死になるのも分かるため、私は大人しく従った。
それに何より、この屋敷で働く使用人たちは、公爵家への忠誠心が厚い。
きっと次の世代の誕生への期待も大きいのだろう。
リオスも休憩すると言うので、東屋で一緒にお茶を飲むことにした。
お茶の準備をしている間にも、考えごとをしてしまう。
皆、悪気はないし、むしろとても好意的だからこそ、守ろうとしてくれているのは分かっている。
だけど、歩くだけで大騒ぎという現状と、毎日続く緊張感に、私はじわじわとストレスを感じていた。
(……こんなに皆に期待されて、生まれた子どもが女の子だったらどうしよう)
本来なら、性別なんて関係なく、生まれてきてくれたら喜びたい。
でも世継ぎを生まなければというプレッシャーが強すぎて、そんな余裕さえない。
次にまた妊娠すればいいなんて、そんな楽観的な気持ちにもなれなかった。
この国では、男性でなければ爵位の相続権がない。
男子であれば血縁の遠近を問わず相続権が認められており、娘しかいない家では、まず血縁の男児を養子に迎えるのが通例だ。
どうしても血縁男子がいない場合のみ、娘の婿養子という選択肢が生まれる。
娘しかいない家は、いろいろと大変なのだ。
妊娠する前は、ノラン君を養子にする方向で話がまとまりつつあり、屋敷の雰囲気は明るく、どこか気楽な空気だった。
だが、妊娠した途端に一転した。
特に、まだ妊娠初期の今は流産しやすいらしく、皆が神経質になっている。
「はあ……」
無意識にため息が漏れた。
そんな私に、リオスがそっと微笑んだ。
「子どものことか?」
「ええ。なんだか、気詰まりしてしまって」
「気にする必要はないが……気になる気持ちも分かる」
「ええ……」
「……君は、子の性別はどちらがいい?」
「え? 跡継ぎを生まないといけないから、男の子一択じゃない?」
「そんなことはない。俺は、女の子がいい。アリィーに似た可愛い娘がほしい」
リオスはそう言って、穏やかに微笑んだ。
「もう……そんなこと言って。本当に女の子が生まれたらどうするの……」
「生まれてくれたら、喜ぶだけだよ」
「……本当に、女の子が欲しいの? 跡継ぎはどうするの? 私……また妊娠できるか分からないわよ」
「君には母親似の可愛い娘を生んでもらって、跡継ぎはノランを養子に迎えればいい。きっとあの子は良い兄になる」
「もうっ……簡単に言っちゃうんだから。でも、ノラン君がお兄ちゃんっていうのも……きっと素敵ね」
「だろう? それがいい」
「うふふ」
彼が穏やかに微笑んで話すだけで、何もかも素敵な未来に思えてくるから不思議だ。
(性別のことは、そこまで気にしなくていいのかな……)
気にしたところで、生まれてくる子どもの性別が変わるわけじゃない。
リオスが女の子が欲しいと言うなら、それでもいいのかもしれない。
きっと彼なら、娘を誰より大切にして、目に入れても痛くないほど可愛がるだろう。
……むしろ、可愛がり過ぎて嫁に出せないかもしれない。
そんな想像をしたら、思わず笑ってしまった。
リオスも笑っていた。
――それだけで、胸の重さがふっと軽くなるようだった。
***
出産予定日が近づくと、公爵邸には侍医が常駐するようになった。
それだけではない。魔法士まで控えている。公爵家では、まれに強い魔力を持つ子どもが生まれるからだという。
妊娠後期になると、お腹が大きくなって階段が少し怖くなった。
初期の頃は大袈裟だと思っていたけれど、一度足を踏み外しそうになり、皆に支えられて事なきを得た。
あの瞬間は、私だけでなく周りの方が悲鳴を上げていたくらいだ。
そんな皆の心配をよそに、出産は驚くほど安産だったらしい。
実母から教わった呼吸法を試したのが良かったのかもしれない。
陣痛の最中、とにかく深呼吸を続けていたら、痛みがいくらか和らいだ。
……それでも、今まで生きてきた中で一番痛くて、いよいよ生まれるというときは軽くパニックだったのだけど。
それなのに、周りからは「このまま、もう一人くらい産めそうですね」などと信じられない言葉をかけられた。
これで安産と言われるなら、世の中の普通の出産がどれほど大変なのか、身に染みて理解した。
うちの母は五人の子供を産んだ。
それがどれほどすごいことなのか、自分も産んでみて初めて分かった。
簡単に妊娠して、簡単に産めると思っていた過去の自分に、今すぐ説教したい。
生まれた子どもは、男の子だった。
アッシュゴールドの髪に碧眼の、可愛い赤ちゃん。
嫡男を産めたという安堵はあったけれど、リオスが女の子を望んでいたから、少しだけ複雑な気持ちにもなった。
リオスが娘にデレデレになるところも、見てみたかった。
医師たちが赤ちゃんを身ぎれいにすると、すぐにリオスが部屋に入ってきた。
「アリィー。よく頑張った。君が無事でなによりだ」
「ありがとう。でも、男の子だったよ」
「ああ。俺に似た色だな」
リオスは赤ちゃんを見つめ、嬉しそうに笑った。
確かに、赤ちゃんの碧眼はリオスによく似ている。
髪の色は、私とリオスのちょうど中間色だった。
「女の子じゃなかったけど、いいの?」
「君と子どもが元気なら、性別なんてどちらでもいい」
「え? だって、女の子がいいって……」
言いかけて、気づいた。
――あれは私を気負わせないための言葉だったのだ、と。
今思えば、嫡男誕生の重圧は、私だけのものではなかったはずだ。
きっとリオスも、ずっと同じ重みを抱えていた。
もしかしたら、私よりずっと。
それでも彼は、そんなそぶりを一切見せなかった。
(……ありがとう)
私はリオスの手を握った。
すると、彼もぎゅっと握り返してくれた。
言葉は涙と一緒に喉の奥に詰まって出てこなかった。
それでも――彼は、ずっとそばにいてくれた。
今回も投稿直前まで添削していたので、もし誤字があればそっと教えていただけると助かります。
読んでくださり、本当にありがとうございます。




