微笑みの向こう側と、茜色の約束
少し時間を遡り、夜会の三週間前のナタリー視点です。
夫婦編の最終話です。
北の領地へ向かう前に、公爵家主催の夜会を開くことになった。
ちょうど今の時期は、北の領地で作物の収穫が行われているため、出発は一ヶ月後に決まった。
それまでの間に、私のお披露目会を兼ねた社交界復帰の告知を大々的に行うことになった。
発案者はお義母様とリオスだったが、開催時期をめぐってもめていた。
「三週間で夜会の準備なんて急すぎるわ! ナタリーのお披露目よ? もう少し後にできなかったの!?」
「北の領地から戻ると、すぐに社交シーズンが始まります。これ以降だと、すでに予定が埋まって来られない貴族が増えるでしょう」
「でも! こんな急ごしらえで、ナタリーが軽く見られたらどうするの!」
「その点は抜かりありません。どの夜会よりも気品高く、華やかにしてみせます。ついでに、ナタリーを貶めた者たちに報いを受けてもらいましょう」
「どうやって?」
「光属性の魔鉱石を大量に用意しました。本来、彼らの手に渡る予定のものでした。すべて夜会の装飾に使用しましょう」
「……ふふふ、そうね。権力は使ってこそ意味があるのよ。勘違いした浅はかな者には分からせてやらないとね」
美形の二人が昏い目で笑い合っている光景は、正直ちょっと怖かった。
そんなことをして大丈夫なのか気になったが、私は私で、それどころではなかった。
招待客リストをすべて暗記しなければならないのだ。
主要な貴族は覚えているが、今回はそれに加えて、雑談対策の知識集まで用意されていた。
誰の領地はワインが有名だとか、名産は何かとか、触れてはいけない話題まで細かく書かれている。
私は貴族的な雑談が苦手だから、ご丁寧に会話例文まで添えられていた。作るのはさぞ大変だっただろう。……覚えるのもかなり大変だ。
なにせ、百以上の家が参加予定なのだから。
さらに、礼儀作法の授業も強化された。
夜会には二時間ほど参加しないといけない。
その間ずっと、淑女の微笑みを保たなければならないのだ。
さすがに頬が引きつるので、合間に休憩がてらダンスをすることになった。
だが、私の足はまだ捻挫から回復したばかり。
ダンスレッスンは、スローテンポのワルツしかできなかった。
それでも、微笑み休憩がないよりはずっといい。
ワルツの曲が流れたら、もれなく踊ろうと思う。
急ごしらえで仕立てたドレスは、とてもそうは見えないほどの出来だった。
元々、私にはたくさんのドレスが用意されていた。
外で着る機会はなかったけれど、リオスは季節ごとに新しいドレスや装飾品を贈ってくれていた。
夕食の時にたまに着る程度だったけれど、それだけでもリオスはとても満足そうだった。
上位の貴族は、夜会のたびに新しいドレスを仕立てるらしい。
一度着たものを使いまわすことはないという。
けれど、私は結婚式以降ほとんど社交に出ていなかったから、今ある手持ちのドレスをそのまま使うことができた。
その中でもひときわ目を引く一着がある。
光沢のある薄い銀色の生地に、濃い銀色の糸で国花である銀花の刺繍が施されている。
神々しささえ感じるそのドレスは、昨年の結婚記念日にリオスから贈られたものだった。
私が歪な手作りのペン立てを用意してたときに、彼はこんな素敵なものを作ってくれていた。しかも、デザインからリオス自身が考案したという。
リオスは、きっと女の子っぽいデザインが好きなんだろう。
王都のタウンハウスの客室もピンク系で可愛らしかったし、公爵家の私の部屋も、リオスが中心になって改装してくれた。
全体はパウダーブルーと白でまとめられ、壁紙にはリボンの模様までついている。
リオスが納得するまでこだわり抜いたために、改装工事はなかなか終わらなかったほどだった。
私の部屋が完成すると、このデザインを見に来たいだろうリオスに「いつでも来ていいからね」と言ったらとても嬉しそうにしていた。
男性だから、自分の部屋をあの雰囲気にはできないのだろう。
彼は私以上に可愛いものが好きなのだと思う。
そんな彼がデザインしてくれた銀色のドレスに、なんと宝石よりも高い魔鉱石を大量に縫い付けることになった。
思わず見とれるほどの出来栄えだ。
もうこれは、汚せないどころか、魔鉱石の一粒たりとも落としてはならない。
とんでもないドレスを作ってくれたものだ。
夜会ではこのドレスを着て、ずっと微笑んでいるようにとお義母様から厳命された。
お義母様とリオスの間では「断罪」だの「報い」だのと物騒な言葉が飛び交っていたが、その場面で決して顔色を変えないようにと念を押された。
夜会では、ただ微笑んでリオスと踊る。
合間に貴族たちと、丸暗記した受け答えをする。
それだけだ。
***
夜会が無事に終わり、私は戸惑っていた。
(断罪って、あんなに注目の中でするものだったんだ……?)
てっきり、個人的に呼び出して叱るのものだと思っていた……。
けれど現実は、招待客全員が固唾を飲んで見守る中での公開断罪だった。
もちろん、私もその中の一人だった。
でも、事前にお義母様からは「どんな時でも笑顔を絶やさないように」と命じられていた。
そのため、「え、場違いでは?」「これ、笑ってていいの……?」と内心ひやひやしながらも、断罪の最中もひたすら微笑み続けた。
きっと、招待客からは冷酷な女だと思われただろう。
心の中では、慌てていた。
違うんです、笑いたくて笑っているんじゃないです、なんて説明できるわけもない。
けれど、リオスとお義母様が華麗に仕返しをしてくれたおかげで、最終的には胸がすく思いだった。
あのお茶会ではショックが大きくて、記憶は曖昧だ。
だけど、セリーヌ様が手紙で色々と教えてくれた。
しかもあの場で、私を助けてくれていたらしい。
その場で私はどう受け答えをしたのか不安だった。上手く対応できた自信なんて皆無だ。
もしかしたら、助けてくれた方にお礼すら言えていないかもしれない。
だから夜会でセリーヌ様と会ったとき、すぐお礼を伝えた。
丸暗記の定型文ではなく、自分の言葉で。
彼女は柔らかく受け入れてくれて安心した。
しかも、この方はリオスが殴った侯爵令息の奥様でもある。
また日を改めて、そちらのお詫びもせねばならない。
***
夜会が終わって数日後。
公爵家のタウンハウスにセリーヌ様をお招きし、二人きりのお茶会を開いた。
リオスは「同席したい」としきりに言っていたけれど、「これは妻の役目だから!」と押し切った。
夫の不始末は、妻が詫びるものだ。
うちの母さんも、父さんが酔っぱらって迷惑をかけたときは、よく相手の家に謝りに行っていた。
だから、これは私の役目だ。
明日から北の領地へ発つ予定だったので、慌ただしい日取りになってしまったが、セリーヌ様は嫌な顔ひとつせず、こちらの都合に合わせてくれた。
公爵家に来たセリーヌ様は、どこか緊張しているように見えた。
(そうだよね。親しくもないのに呼び出されて、二人でお茶だなんて……緊張するよね!)
気まずいことは早く済ませてしまおう。
庭園の東屋でお茶の準備が整うと、私はすぐに謝罪した。
「夫が、バリウス侯爵令息に暴力をふるってしまって、本当に申し訳ありませんでした……!」
「……え?」
「強く殴ってたので、きっと痣になってしまったと思うんです。本当に申し訳ありません」
「……いえ、それは全然。気にも留めておりませんでしたので、お気遣い無用です。あの、まさか今日は、そのお話で……?」
「はいっ……!」
セリーヌ様は、拍子抜けという表情で瞬きを繰り返した。
自分の夫を殴られて、さぞ怒り心頭に違いないと思っていたのに……それなのに、なんと寛大で優しい方なのだろう。
もしリオスが誰かに殴られて痣をつけて帰ってきたら、私だったらその相手や奥さんに文句の一つでも言ってしまうだろう。うちの夫になんてことしてくれたんだ!と。
リオスに限って、他の夫人を口説いて殴られるなんてことはないだろうけど。
「……あの、学園時代のことは覚えていらっしゃいますか?」
「学園時代? もちろん覚えています!」
学園時代は楽しかった。
懐かしいなぁという気持ちで勢いよく返事をしたら、セリーヌ様に変な目で見られた。
すると彼女は、少し言いづらそうに口を開いた。
「……私、あなたをいじめていたんです」
「え!?」
いじめ……?
私、いじめられてたっけ?
……そういえば、なんか嫌な貴族令嬢たちがいたような。
そうそう、水をかけられた!
確か、髪色が赤・青・黄の三人組で、絵具にして混ぜたら黒になるって思ったんだっけ。
――目の前には、青い髪のセリーヌ様がいた。
「青髪のいじめっこ!!」
「……はい。私です」
確か、赤髪令嬢がボスで、他の二人は取り巻きだったはず。
その赤髪令嬢は、私を男子生徒に襲わせようとして捕まって、その後はどこかに消えた。
あれ以降見かけなかったから、てっきり全員処分されて退学になったんだと思っていた。
当時のことは、全部リオスが手続きをしてくれていて、私は詳しいことを知らなかった。
……というか、正直あまり興味もなかった。
「あれ? あなたは処分を受けなかったの?」
「私は……寸前でいじめに加担しなかったので、処分は免れました」
「そうなんだ」
「……とはいえ、あなたの悪い噂を事実ではないと分かっていて広めたり、聞こえよがしに悪口を言っていました。あの時は、誠に申し訳ありませんでした」
セリーヌ様は静かに頭を下げた。
確かに、あの頃はちょっと嫌な気持ちになっていた。
でもすぐに気持ちを切り替えて、小説のネタにしてやろうと楽しんですらいた。
(私も許してもらったし、これでおあいこだよね)
軽く頷いて、口を開いた。
「ちゃんと謝ってくれたから、許します」
「……ありがとう、ございます」
ゆっくりと頭を上げたセリーヌ様の目尻には、うっすらと涙が光っていた。
「……やっと、胸のつかえが取れた気がしますわ」
「それなら良かったわ。私も、あなたに許してもらえて同じ気持ちだもの」
私が微笑むと、彼女も静かに微笑みを返した。
「安心したらお腹が空いてきちゃったわ。公爵家のお菓子って美味しいのよ。いただきましょう」
「ふふ、それは楽しみですね」
それからは、穏やかに雑談を楽しんだ。
趣味がないというセリーヌ様に、お気に入りの小説をいくつか紹介した。
その中にはこっそり、私のペンネームであるピンクローズ・スウィートの作品も混ぜておいた。
次に会う時に、感想を聞かせてもらうことになった。
とても楽しみだ。
***
セリーヌ様とのお茶会が終わったのは、夕暮れ間近のことだった。
彼女を見送るとすぐに、心配そうな顔をしたリオスがやってきた。
「大丈夫だったか?」
「うん。楽しかったよ! 妻として、ちゃんとあなたの謝罪もしてきたんだから」
胸を張って答えると、リオスが笑った。
歩み寄った彼が、私の頭を優しく撫でる。
「頼りになる妻だな」
「そうでしょう?」
リオスの腕にぎゅっと抱きつくと、彼は嬉しそうに笑った。
(ああ、やっぱりリオスが大好き)
家出したあの日、逃げきれなくて良かった。
リオスが見つけてくれて、ちゃんと話ができて良かった。
どんな時も、リオスがそばにいてくれたら安心できる。
怖い夢も、不安な夜も、この温もりひとつで消えてしまう。
彼が「大丈夫だ」って言ってくれたら信じられる。
どうして、この人と離れられると思ったんだろう。
リオスがそう思うように、私だって――もう離れられない。
彼の胸に頬を寄せると、静かな心音が伝わってきた。
背中を彼の腕で包まれる。
ゆっくりと流れる時間が、たまらなく愛おしい。
「ねえ、リオス」
「なんだ?」
「――ずっと、一緒にいようね」
「もちろんだ。どこへ行っても、君の隣にいる」
彼の言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
窓の外では、夕陽が沈みかけていた。
西の空が茜色に染まり、遠くの雲が銀色に光る。
その色はまるで、私たちの未来を照らしているようだった。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
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感想やレビューも大歓迎です。
想定以上に長い章となりましたが(なんと本編と同じ全18話!)、
ナタリーとグレゴリオスが「夫婦」になっていく過程を、じっくり描けたと思います。
いつも読んでくださっている皆さまのおかげで、ここまで書き続けることができました。
ナタリーとグレゴリオスの物語は、もう少しだけ続きます。
どうぞよろしくお願いいたします。




