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世界一素敵なゴリラと結婚します  作者: 志岐咲香
番外編:夫婦編

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微笑の断罪 セリーヌ視点④

 歓談の時間になると、ウィンターガルド公爵令息がナタリー夫人を伴って、まっすぐに一組の子爵夫妻のもとへ歩み寄った。

 王家の使者と言葉を交わした後に交流する家柄としては、子爵家は家格が低すぎる。

 予想外の行動に、会場中の視線が一斉に二人へと向けられた。


「ルーセル子爵、こんばんは。夜会は楽しまれていますか。ああ、ルーセル子爵夫人。――先日は、妻のナタリーが世話になったようだ」


 ルーセル子爵は四十代ほどの太った男で、汗をぬぐいながら愛想笑いを浮かべた。隣には、若く可愛らしい子爵夫人が硬い表情で立っている。


「え? あ、これはこれは、公爵令息! 今宵は素敵な夜会にお招きいただきありがとうございます! 先日は妻が茶会で仲良くさせていただいたみたいで。今後とも仲良くしたいと妻も申しておりました。なあ、お前?」

「え、ええ……。世話だなんて、そんな滅相もございません……」


 上機嫌な子爵と対照的に、子爵夫人の顔は青ざめ、唇を震わせながら公爵令息の視線を避けていた。

 公爵令息は薄く微笑を浮かべ、一瞥だけ子爵夫人に送ると、穏やかな声で口を開いた。


「ところで、ルーセル子爵。魔鉱石協会の準会員の件ですが」

「はい! いよいよですな! そろそろ結果が出ましたか」


 魔鉱石協会とは、公爵令息が近々発足させる新たな機関だ。


 魔鉱石は高濃度の魔力を含み、主に魔道具に使用される。採掘地は限られ、希少かつ高価にもかかわらず、長らく流通経路が不透明なままだった。


 国内随一の産出量を誇るウィンターガルド公爵領は、流通の整備と価格の適正化、鉱山領主の保護を目的に、この協会を立ち上げた。


 正会員は鉱山を所有する領主で構成され、準会員は厳しい条件を満たした者のみが認められる。準会員は魔鉱石を優先的に仕入れられるが、実際には公爵家派閥が優遇されるのが常だった。


 鉱山領主たちはこれを好機と捉え、公爵家の庇護を求めて次々と参加を表明した。

 一方、これまで彼らを搾取してきた貴族たち――バリウス侯爵家も含めて――は慌てて準会員の席を狙っている。


 選定結果の発表は間もなくと聞いていた。


 先日の茶会にもいたルーセル子爵家は、公爵派の筆頭として準会員入り確実と噂されていた。

 ――だからこそ、次の言葉は衝撃だった。

 

「ええ。非常に残念ですが……今回、ルーセル子爵家は見送りになりました」

「……え? で、でも、派閥の者はほぼ決まりだと……」

「そう考えていたのですが、協会を私物化するわけにはいかないものでね」

「そんな……準会員になる前提で、すでに予算を組んでおりまして……」

「それに、妻が社交界に復帰したので、派閥の者に回す予定だった魔鉱石の一部を装飾に使用することにしたんですよ」

「……は? 装飾……?」

「ルーセル子爵夫人、今日の妻は美しいでしょう?」

「は、はいっ。とても……お美しいです!」


 ナタリー夫人の首元には、大粒の魔鉱石が連なるネックレスが輝いていた。

 それは、先ほど公爵令息が準会員の権利を奪ってまで装飾に回すと告げた、莫大な富の結晶そのものだった。


 公爵令息は微笑を崩さぬまま、柔らかな声で続ける。


「俺たちに子ができないことにまで腐心してくれたようだが、心配はいらない。君たちには関係ないことだからな。それに――随分と根も葉もない噂を妻に聞かせてくれたらしいじゃないか。なあ?」


 表情と口調は、あくまで優しかった。

 公爵令息の言葉に、ルーセル子爵は目を剥いた。


「なに!? お前、公爵家の夫人にそんなことを言ったのか!」

「そ、そんな……わ、わたくし、そんなことは……」


「子爵、そんなに怒らないでやってくれ。気にしなくていいんだ。謝罪などもしないでくれよ、ははは」


 ――それは、謝罪すら受け付けないという怒りの表れだった。


 にこやかに放たれた一言だったが、背筋が凍るような静かな怒気を感じた。

 子爵夫人は小さく悲鳴を漏らす。


「ひっ……!」


 杯を軽く掲げ、公爵令息は言葉を続けた。


「言葉は、時に剣よりも鋭い。ご自分の刃で傷つくことのないよう、お気をつけて」


 静寂が訪れた。音ひとつ立たず、会場全体が凍りつく。


 ふと隣に立つナタリー夫人を見ると、彼女は表情ひとつ変えず、静かに微笑んでいた。

 まるで、こうなることが当然だと言わんばかりに。

 その堂々とした佇まいは、先日のお茶会とはまるで別人のようだった。

 まさしく、公爵家の夫人にふさわしい威厳があった。


 ルーセル子爵が蒼白になって妻を睨みつけ、グレゴリオスに深く頭を垂れた。


「……この愚か者に代わり、私が謝罪を。どうか、どうかお赦しを」

「謝罪は不要だ。……二度と、お前の妻にウィンターガルド公爵家の名を口にさせなければ、それでいい」


 口元は微笑んでいたが、その声は氷のように冷たかった。

 もともとルーセル子爵は、離縁と再婚を繰り返している。公爵家の顰蹙を買ったこの妻とも、近々離縁するだろう。

 

 顔色を失った子爵夫人は、夫に腕を乱暴に引かれながらその場を去っていった。

 多くの貴族とすれ違っていったが、誰ひとりとして、その二人と目を合わせようとはしなかった。


 公爵令息は満足げに頷き、体を向け直すと、先日の茶会にいた伯爵夫人三名を名指しした。


「は、はいっ」

「先日の茶会では、妻が大変世話になったね? 残念だが、貴方方の家も準会員は見送りとなった」

「そんな……!」

「なんですと!?」

「おい、どういうことだ! 茶会は恙なく済んだと言っていただろう!」


 伯爵たちはそれぞれ異議を唱え、妻を問いただした。

 三人の伯爵夫人たちは、震えたまま言葉を失っていた。



 アンゼリカ夫人は、その様子を静かに見守りながら、穏やかに微笑んだ。

 だが、その笑みとは裏腹に、声は凍るように冷たかった。


「皆さまも、ご婦人同士の言葉にはお気をつけあそばせ。世の中には、突いてはならぬものというものがございますから」


 その一言に、伯爵夫人たちと、その夫たちは一斉に礼をとった。

 中には、妻を鋭く睨みつける夫の姿もある。家にとって大きな損失を出したのだ。この場だけでは済まされないだろう。


 アンゼリカ夫人は一転、声色を和らげた。


「ところで、バリウス侯爵令息夫人はどこにいらっしゃるかしら?」

「……はい。こちらに」


 まさか自分が呼ばれるとは思わず、反応が一瞬遅れた。

 一歩前に出て答えるが、注目の中で名指しされ、嫌な汗が背中を伝う。


 観衆の目は、再び断罪劇が始まるのかと、緊張と好奇心が混ざりあっていた。

 私の胸は、激しく音を立てていた。


(私は、大丈夫なはず……)


 そう思うものの、不安がよぎる。

 アンゼリカ夫人は軽やかに近づき、笑みを浮かべた。


「先日の件、感謝するわ」

「恐れ多いお言葉です」

「バリウス侯爵家は、貴女のように聡明な若い夫人がいて安泰ね。そう思われませんこと? ねえ、バリウス侯爵」

「お褒めの言葉をいただき恐縮です。まだまだ未熟者ですが」

「そんなことないわ。ぜひナタリーと仲良くしてあげてほしいの。良かったらこれから一緒にいらして。準会員のことは、心配なさらないで。賢明な夫人がいる侯爵家ですもの。きっと女神さまのご加護があるはずよ。ふふ」

「これはこれは。私は義娘に恵まれたようだ。感謝申し上げます」

「……光栄に存じます。私でよろしければ、ぜひナタリー様とお近づきになりたいですわ」

「あら、良かったわ。さあ、こちらへ」


 促されるまま、公爵令息夫妻のもとへと歩み寄った。

 どうやら私は、ナタリー夫人の社交界の友人に任命されたようだ。


 そばに着くなり、ナタリー夫人からお礼を言われた。


「あっ……先日は、ありがとうございました! あの、あまり覚えていなくて、でも庇ってくれたみたいで、お礼も言えずに申し訳ありませんでした」


 呆然自失だったのだから、覚えていないのも無理はない。

 きっとバリウス侯爵家の手紙の内容を聞いたのだろう。


(……ちゃんとお礼を言えるじゃない)


 微笑みを整え、できるだけ控えめに、柔らかく響く声で応じた。


「ウィンターガルド公爵令息夫人は、お気になさらないでください。私は当然のことをしたまでです」

「あの、良かったら、ナタリーとお呼びください」


 ナタリー夫人は、目を輝かせて私を見つめた。

 その生き生きとした表情は、あどけないほどに可愛らしかった。


 ……そこには敵意も警戒も感じなかった。

 学園時代のことを忘れているのか、それとも承知の上でこの態度なのか。

 どちらにしても、この場であの頃の話は似つかわしくない。


 私は微笑みを深くした。


「では、私のことも、セリーヌとお呼びください」

「はい、セリーヌ様!」

 

 私たちは、穏やかに歓談した。

 彼女は話すたびに、隣にいる公爵令息の腕に触れ、彼と視線を合わせて微笑んでいた。二人の仲睦まじさが自然と伝わってくる。

 公爵令息は、最初こそ私に警戒の色をにじませていたが、やがてその表情を和らげた。


 私は、ようやく心の中で安堵の息を吐いた。



 やがて、楽団が静かに演奏を再開する。

 それとともに、少しずつ観衆の緊張も解けていった。

 もう断罪劇は終わったのだと、誰もが胸を撫で下ろしている。


 しばらくしてワルツの曲が始まり、ウィンターガルド公爵令息夫妻は、踊りの輪へと歩み出た。

 白銀のドレスが揺れ、光の粒が舞い上がる。

 まるで一つの生き物のように、一糸乱れぬステップで舞う二人。

 息の合った動きは滑らかで、会場中の視線を釘付けにした。

 楽しそうに踊る二人を見ていると、なぜだか心が洗われるようだった。



 この夜、王都の貴族たちは悟った。

 ウィンターガルド公爵家を軽んじることが、どれほど愚かなことかを――。

 そして、彼らはもう、ウィンターガルドの名を軽々しく口にすることはなかった。


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