夜会 セリーヌ視点③
※セリーヌ視点のため、敬称が少しややこしいかもしれません。
本編中での呼称は以下の通りです。
・「公爵」または「ウィンターガルド公爵」=エイゴリオス(グレゴリオスの父)
・「公爵令息」または「ウィンターガルド公爵令息」=グレゴリオス
その夜、ウィンターガルド公爵家主催の夜会が、王都で開かれた。
夜会の招待状は、私宛に届いていた。
夫を伴えば公爵家の心証を損ねかねない。
そう考え、今夜は義父にエスコートをお願いしている。
王都で最大級の舞踏会場には、無数の光が揺れていた。
光る魔鉱石を織り込んだ豪奢なシャンデリアが、百を超える貴族たちの衣を照らす。
希少で高価な魔鉱石を、照明や装飾に惜しげもなく用いる公爵家の財力に、思わず感嘆の息を洩らした。
王家の使者をはじめ、国中の名家が一堂に会する夜。
私は義父の隣で、場の重みをひしひしと感じていた。
(これほどの顔ぶれの前で、ナタリー夫人はどう立ち振る舞うのかしら)
緊張感と共に、抑えきれない好奇心を胸に、夜会の始まりを待った。
今宵の主催は、ウィンターガルド公爵の妻であるアンゼリカ夫人。
「公爵令息夫人の社交界復帰と、夫妻の絆を祝して」と銘打たれた夜会だが、格式あるその言葉の裏に、誰もが別の意味を読み取っていた。
近頃、囁かれていた公爵令息の愛人の噂。
そして、離縁の憶測。
それを払拭するための場だと。
先日の茶会で、夫人たちの嫌がらせを受け、呆然自失となっていたナタリー夫人は、あの後どうなったのだろうか。
我が侯爵家から事の成り行きを説明する手紙を送ったのだから、公爵家も事情は把握しているはずだ。
だからこその夜会なのだろうが、噂の払拭以外の思惑はあるのだろうか。
楽団の音が止むと同時に、会場の空気が引き締まった。
深紅の絨毯の先、中央に立つのはウィンターガルド公爵夫妻だった。
堂々たる武人の風格を漂わせるウィンターガルド公爵の隣には、明るい金髪をゆるくまとめたアンゼリカ夫人が静かに立つ。淡い碧眼には、凛とした光が宿っていた。
夫婦が並び立つだけで、空気が変わった。
アンゼリカ夫人は、会場をゆるやかに見渡しながら微笑んだ。
「皆さま、ようこそお越しくださいました。本日は、我が愛しき息子夫妻の絆と、健やかな加護を祝しての夜会にございます」
その声は澄んでいて、透き通るように美しい。
だが、その柔らかさの奥には、確かな威厳があった。
アンゼリカ夫人は、会場の一部を微笑みながら見つめた。そこには、あの日のお茶会に出席していた夫人たちがいた。
夫人たちは、息をのんで固まっているようだった。
続いて、ウィンターガルド公爵が口を開く。
「最近、息子のグレゴリオスはすっかり頼もしくなりました。私が隠居する日もそう遠くはないでしょう。これも、息子を支えてくれているナタリーのおかげです。では、本日の主役をお迎えいたしましょう。次期ウィンターガルド公爵の息子夫妻の入場です」
扉が開き、ウィンターガルド公爵令息夫婦はゆっくりと歩き出した。
黒の礼装に身を包んだ公爵令息が、腕を差し出している。
ナタリー夫人はその腕にそっと触れ、寄り添うように彼の隣を歩き出した。
銀色の光沢があるドレスには、銀花をあしらった繊細な刺繍と、小さな魔鉱石が縫い付けられ、白く光る。淡く揺れ、歩くたびに銀の花弁がこぼれていくようだった。
この一着にかけられた金額は計り知れない。王都に屋敷を建てられるほどだろう。それを今夜のためだけに用意できる公爵家の圧倒的な力と財力に、会場の貴族たちは息をのんだ。
公爵令息夫妻は、歩を進めるたびに、親しげに目を合わせ微笑み合う。
中央に立った公爵令息は堂々と前を見据え、ナタリー夫人の手を包み込んだ。そのしぐさと行動のすべてが、彼女を尊重し大切にしていることを物語っていた。
背後でウィンターガルド公爵夫妻が並び立ち、二人の視線が、まるで盾のように若い夫婦の背を守っていた。
公爵令息はナタリー夫人の手を離さぬまま、共に壇上へと歩み出た。
「皆さま、今宵はお忙しい中、ウィンターガルド公爵家の宴へお越しいただき、まことに感謝申し上げます。この夜会は、我が家の新たな門出を祝うものです。家を継ぐ者として、そして一人の夫として、改めて感謝を申し上げたい」
公爵令息は一呼吸置き、視線を隣へ向けた。
そこには、白銀の花を纏うナタリー夫人の姿があった。
彼女は静かに微笑み、公爵令息を見上げている。
再び前を見据えた公爵令息は話を続けた。
「我が妻、ナタリー・ウィンターガルド。彼女は病と戦ってまいりましたが、このたび長い冬を越え、春を迎えました。私がこの場で最も誇るべきものは、家の歴史でも、剣でもない。妻がこの隣に立ってくれているという事実です」
静寂の中に、貴族たちの動揺が広がった。
公爵令息が、家格の低い男爵家出身の妻へ向けるには過分なほどの賛辞だった。
誰も言葉を失い、ただその声に耳を傾けていた。
「次の社交シーズンから、妻は少しずつ復帰します。病み上がりで慣れない社交ですが、どうか妻を温かく迎えてくれますようお願い申し上げます。まあ――我が公爵家を敵に回そうなどと思う勇気ある方はいないと存じますが、ははは」
公爵令息は軽い冗談を言ったが、その場で笑えた者は何人いたのか。
ほとんどの貴族は、「敵に回す」とは己が好奇心で行った噂話まで含まれるのか、公爵令息がどこまで把握しているのか、気が気ではなかっただろう。
(迂闊に噂に振り回されなくて、正解だったわね)
「皆さま。どうか杯を。ウィンターガルド公爵家の未来と、共にある皆さまと、そして――この絆に」
その声を合図に、無数の杯が高く掲げられた。
公爵令息は隣にいるナタリー夫人だけを見つめ、彼女もまた彼だけを見つめた。
甘く見つめ合い微笑み合う二人には、噂で聞いた愛人の影など、どこにもない。
いや、もし仮にあったとしても、今夜からは誰も口に出してはいけない。この夜会自体が、そういうメッセージなのだ。
きっと誰もがそう感じ取った瞬間だった。
周りを見渡すと、数名の夫人たちの顔から血の気が引いていた。
先日のお茶会に出席していた者たちだ。
(この後は、おそらく――)
断罪が行われるのであろう。
私は静かに成り行きを見守るのだった。




