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第五話 「夢の理由は蟻でした」

「うーん、悩むなぁ」


 その日、私は頭を悩ませていた。


 学園は二年制で、二年目には専門クラスに分かれる。

 そろそろ、その希望を提出しなければならない。


 全部で六つのクラスに分かれており、進路によって受けられる授業が違う。


 私が悩んでいるのは三つ。

 領地運営や行政機関での勤務を目指す、実務官養成の政務科。

 社交界の華となるべき貴族令嬢を育てる淑女科。

 王侯貴族に仕える侍女・従者を目指す侍女執事科。


 性格に合ってそうなのは政務科だ。

 計算は苦手だが、文章を書くのは得意だ。

 法律や地理を学べるのも魅力で、小説に活かせそうな気がする。

 就職率が良いという話も聞いた。

 嫁ぎ先が見つからなかった場合には、就職することになるかもしれない。


 おじいちゃん貴族の後妻を目指す私にとって、現実的なのが淑女科だ。

 「おほほ」と優雅に笑って誘惑しなければならないのだ。

 今の私にはその技術はない。

 それが学べるのは淑女科だが、社交術やダンス、マナーといった授業もある。

 社交なんて、私の最も苦手とする分野である。

 なんのためにおじいちゃんを狙ってると思っているのだ。

 ふざけるんじゃない。


 もし手頃な引退貴族に出会えなかった場合に備えて、侍女執事科も候補に入れた。ここを出れば、王宮や高位貴族への就職は容易く、小説のネタも拾い放題だろう。

 でも、実技が面倒だ。

 運動は得意だが手先が不器用な私は、お嬢様の髪結いが出来る気がしない。

 むしろめちゃくちゃにしそうだ。髪結い前のほうが整ってた……なんて事態も、十分にあり得る。

 それに、マナーを覚えるのが私には苦痛だ。

 たとえば、扇子を胸元で開けば「好意」、うっかり落とせば「誘惑のサイン」。

 大声で笑えば「はしたない」、歩幅が広ければ「育ちが知れる」と言われる。

 貴族マナーとは、意味のないルールを大真面目に守る遊びだと思っている。そんなのに時間を割くのは惜しい。その時間を執筆に充てたい。


 ……思考が逸れた。

 それぞれのメリットとデメリットを並べて、進路について考える。


「消去法で……政務科かなあ」


 親友のサーシャは実家が商家だから商業科に行くらしい。

 同じクラスに進学したかったが、商業科は宿題が多すぎて、私には無理だった。

 卒業前には疑似模擬店などもするらしく、サーシャは楽しみにしていたが、私には大変そうという感想しかなかった。

 商売が好きな人じゃないと辛いクラスだろう。

 ただその分、ノリが良い人が多いらしく、毎年クラスの仲が良いらしい。

 サーシャにはまだ婚約者がいないので「彼氏を作る」と張り切っていた。


 (サーシャに彼氏が出来たら教えてもらおう)


 そしてあわよくば、恋愛小説のネタを提供してもらおう。


 他の友達は、淑女科や侍女執事科に進む子が多かった。

 政務科は男子が多いらしいが、女子はあまり聞かない。


「政務科かぁ……友達、できるかなぁ」


 不安なまま、進路希望に政務科を書き込んだ。



***



「で、結局、政務科にしたのね」


 今日はサーシャの家でお泊りパーティーだ。

 出席者は私とサーシャだけだが。

 青春である。


「うん。上位クラスは宿題が出ないのも魅力でさ」


 二年生以降の専門科では、成績によってクラス分けがある。人気のある科では、最大で三クラスに分かれるらしい。少人数でしっかり専門を学べるのが強みらしい。

 政務科の上位クラスは宿題がほとんど出ないらしい。宿題を出さなくても自分で学べるからなんだとか。放課後の時間を執筆に使えるのは、私にとっては何よりありがたい。


 そういえば、なぜ文学科がないのだろうか。もしあったら進路に悩むことはなかったのに。

 学園長に苦情を言いたい。


「あんた、上位クラスに入るつもりでいるの? 私より成績悪かったわよね?」

「宿題も出してないし、授業中寝てるから成績表は悪いけど、試験は平均点より上だよ。いつクラス分けの試験があるのかな? 成績順で希望が通るんでしょ」

「は? 知らないの? 一年生の成績表で決まるのよ」

「えー!? じゃあ無理じゃん!」

「そうよ無理なのよ……入学の時に説明があったでしょうが……」


 昔から、興味があることなら一回聞いただけでだいたい覚えられた。

 でも興味がないと、頭に入ったそばから抜けていく。入学時の説明、礼儀作法、刺繍の刺し方、宿題の提出日とか。


「そんな……じゃあ……下位クラスってこと……?」

「まあ、がんばりな。試験ごとに入れ替えがあるらしいし」

「いやだよぉぉ」


 よしよしとサーシャはバカな子をあやすように撫でた。

 まあ、下位クラスでも宿題を出さなきゃいいか……。

 卒業さえできれば、成績なんてどうでもいいし。

 気持ちを切り替えることにした。


「まあいいや、小説を読めて書ければそれでいい」

「ほんとに小説が好きよねえ。……なんで小説家になろうと思ったの?」

「……うーんと、実はね――」


 私は五人きょうだいの真ん中だ。


 上には姉と兄、下には妹と弟がいる。

 姉は長子だから手も目もかけられ、兄は嫡男だから大事にされて育った。

 私は兄のスペアにもなれないから放任されていた。

 妹は甘えん坊でかまわれて、弟は末っ子で可愛がられた。


 別に親から虐待されてたわけではないし、疎まれたわけでもない。

 ただ、見てもらえなかった。

 物心がついたときには妹も弟もいたし、自分が他よりも可愛がられてると実感したことはない。

 自分は誰にも勝てなかった。


 変に小賢しかったのも、可愛くなかったのかもしれない。

 小さい頃は、理屈っぽいだの、嫌味だのと、きょうだいたちによく言われた。

 何しろ、口喧嘩なら年上にだって負けなかった。


 妹や弟が事実と違うことを言うと、つい正したくなった。年上の私の方が言葉が達者だから、言いくるめてしまい、よく泣かれて悪者にされた。

 姉と兄は私を怒ったし、両親は仕事で忙しくてそもそも一緒にいる時間が少なかった。


 もう、自分なんている価値がないと、そんな風に自分を卑下し始めた時に、小説と出会った。

 小さな男爵領にはたまに、行商人が商品を売りに来る。

 本は高価で、普段は手に取ることすらなかった。でもその日、ふと手にした一冊に私は没頭した。


 別に、その時の悩みと重なる物語ではなかった。

 今思うと、ありふれた冒険譚だった。

 でもそれを読んでいる時だけは、嫌なことを忘れられた。


 他にも置いてあった小説を、今まで貯めてたお小遣いを使って購入した。

 そこには私とは違う主人公がいた。

 でもその本を読んでいる時の主人公は私だった。


 文字と向き合ってるときは心が躍って、血が沸き立ったようだった。

 数冊しかないので、何度も同じ小説を繰り返し読んだ。

 あまりに私が没頭するので、両親から心配された。

 ただ本が楽しいだけだけど話すと安心したようだった。

 もしかしたら、両親なりに私を大切にしていたのかもしれないと、その時に初めて感じた。

 両親は家にあった昔の小説を持ってきてくれたり、行商人が領に来たら小説を購入してくれるようになった。


 それでも、貧乏男爵家では、本を年に数冊買うのが精一杯だった。そのうち私は自分で小説を書くようになった。

 小説の中では、私はなんだってなれる。

 スパイや、探偵、男の子や人妻にだって。


 初めて書いた話は「蟻のアリア」。

 蟻のきょうだいたちが、喧嘩しながらも食料を運んで、人間に巣を壊されながらも引っ越しして冬を越す話だ。

 姉に読んでもらったら、蟻たちが全滅するラストを散々に怒られた。

 そこまで感情移入してくれたのなら、今なら作者冥利に尽きるものだが、その時は初めての作品を貶されて傷ついた。大喧嘩して、姉が嫁ぐまで話をしなかった。

 姉が家を出ていく日に、きょうだいそれぞれに贈り物をくれた。私がもらったのは小説だった。読んだ後に、幸せな気持ちになる家族愛の話だった。

 そこには謝罪の言葉が書かれていた。姉なりに、結婚前の繊細な時期だったらしい。

 姉の嫁ぎ先に手紙を送り、その時に蟻のアリアたちが全滅したと思われたが実は生きていて砂糖でお城を築いたというハッピーエンドの話を添えた。

 姉からの返事の手紙の字は、ところどころ滲んでいた。


 その後、姉が嫁いだせいか、私が成長したせいか、両親は忙しいだけで愛情がないわけではないのだと、少しずつ分かるようになってきた。

 男爵家当主の父は、畑を耕しながら領地経営もしている。領民との距離が近いため、よく会合にも出かけていた。母は同じく畑をしながら家事、父の補助、子育てと大忙しだった。

 彼らも一人の人間で、生きるのに精いっぱいなのだ。

 完璧無欠な人間なんていないのだ。


 私の心の隙間は、本が埋めてくれた。

 私もいつか、あの時の私のような子供の心を埋めるような小説を書きたい。そう思うようになった。

 ワクワクして、ドキドキして、つらい現実なんて思い出さないような、そんな物語。

 結末はもちろんハッピーエンドだ。

 それが、誰かの生きる糧になればいい。


 だから今日も私は書き続ける。

 あの日の私のように、

 ひとりぼっちだと思っている誰かに届けるために。




「――というわけで、小説家になりたいんだよね。……サーシャ?」

「いい話じゃんー!!」


 サーシャはハンカチを握りしめて泣いていた。


「まさかあんたにそんな真面目な理由があると思わなくて、不意打ちだったわ」

「私ってどういうイメージ?」

「そっかぁー……そうかぁぁ……夢、叶ってほしいわぁ……」

「叶えるよ! そのために後妻だってなんだってするつもり」

「う、うん……それはどうかと思うけどね」


 私は今日、サーシャに読んでもらうために持ってきた自作の小説をカバンから取り出した。


「そして……これが、最新作です! 読んで!」

「今回も恋愛小説?」

「うん。最近ストーリーが浮かぶのがそれなんだよね」

「前は戦いモノとか推理モノが多かったのにね?」

「今はいろんなジャンルに挑戦しようと思ってる。得意なジャンルを見つけたいから」


 サーシャは読むのがとても速い。

 本当に読んでいるのかというくらい素早くページをめくる。

 でも、ちゃんと読んでいるのだ。

 矛盾してるとすぐに突いてくるので、頼りになる編集者みたいなつもりで読んでもらっている。


「……ねえ、これって」


 読み終わったサーシャが、微妙な顔つきで聞いてきた。


「ヒーローが前作と同じ人だよね? なんで他の女とくっついてんの? 浮気?」

「ち、違うよ! このヒーローは一途だから浮気なんてしないの! 名前が違うでしょ? 別人だよ」

「え? でも、金髪碧眼で、高位貴族で、真面目で優しくて懐が広くて、キャラ同じじゃん」

「そう? おかしいなぁ」

「まあ作品自体はよく書けてるけど、主人公の気持ちがいまいち分からないかな。いつヒーローを好きになったの? もっと掘り下げてみなよ」

「うっ、鋭いなぁ。わかった。ありがとう」


 実は自分でもそこの描写が足りないと思っていたのだ。正直なところ、恋をしたことがないからときめく気持ちが分からない。


 (恋をしたら、どんな時に、どんな風に胸を高鳴らせるんだろう?)


 次の課題をしっかり頭にメモして、小説を仕舞った。

 サーシャと話をしていると時間があっという間に過ぎていき、夜が更けたころに二人で同じベッドで眠った。

 青春である。

 次は女の友情物語も良いかもしれない。


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