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世界一素敵なゴリラと結婚します  作者: 志岐咲香
番外編:三年目の浮気?編
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変装が役立つとき

 公爵家に帰ると、私は自分の寝室にこもり、布団を頭からかぶって丸まって泣いた。

 外出していたリオスが戻ると、すぐに部屋へ入ってきた。


「アリィー、茶会のあとに体調を崩したと聞いたが……大丈夫か?」

「……大丈夫。だから、ひとりにして」

「……分かった。今日は、よく務めてくれた。ゆっくり休むといい」


 そう言うと、布団にくるまった私をぎゅっと抱きしめてから、部屋をあとにした。


 抱きしめられて嬉しい反面、愛人がいるくせに……私と別れるつもりのくせに……と、黒い気持ちが胸に広がる。


(……でも、本当にそうなの? あのリオスが、結婚記念日に離縁を告げるなんて……そんな残酷なこと、するはずない……)


 ――今夜、確かめよう。



 そのままベッドに沈み、夕食は部屋でとった。

 リオスが様子を見に来ようとしたけれど、まだ心の準備ができていなくて「一人で食べたい」と断った。


 布団から出てふと鏡を見ると、泣きはらしたせいでひどい顔になっていた。そのまま黙々と夕食を口に運んだ。

 いつもなら食堂で、リオスや義両親と共に囲む食卓。みんなで食べる夕食は、思わず「美味しい!」と声が出るほどだったのに、一人で食べると途端に味気なかった。


 実家は大家族で、妹や弟に囲まれて騒がしく、私の言葉など誰も聞いてくれなかった。みんなが好き勝手に話すから、私の声はいつもかき消されてしまった。

 けれど公爵家に来てからは違った。リオスだけでなく義両親も、私の言葉に耳を傾けてくれた。「美味しい」と言えば、リオスは「俺のも食べるか?」と差し出してくれたし、お義母様は「これが好きならあれも好きかも。今度作らせましょう」と微笑んでくれた。義父は寡黙だけれど、賑やかな私を温かい目で見守ってくれた。

 ――離縁すれば、そんな義両親とも他人になってしまう。


 じわりと涙がにじみ、振り払うように必死で食べ続けた。



 夫婦の寝室へ向かおうとした矢先、違和感を覚えて化粧室に駆けこんだ。

 月のものが来ていた。これが最後の望みだったかもしれないのに、やはり妊娠はしていなかった。化粧室でしばらく泣き崩れ、心配した侍女たちが駆けつけてくる。


 やがて、リオスも急いで部屋に入ってきた。


「アリィー? 大丈夫か?」

「……今日は、体調が悪いから一人で寝る」

「なんだって? でも君は一人では眠れないだろう?」

「せっかくだから、チャレンジしてみる。うなされてても、来なくていいから」

「いやしかし――」


 今は彼の顔を見たくない。何を言ってしまうか分からない。語彙力を総動員して、ひどい言葉をぶつけてしまうだろう。だから、私は背を向けて「出ていって」と告げ、問答無用で部屋から追い出した。

 結局その夜は一睡もできず、涙で枕を濡らしたまま、明け方にようやくまどろんだ。他のことで頭がいっぱいだったからか、不思議と夜の恐怖は感じなかった。ただ、胸の奥が痛むほど悲しかった。


 それから数日、私は自室に閉じこもり、泣いて過ごした。いつもより腹痛もひどく、周期的にも情緒が不安定だったのかもしれない。寝室には誰も入れさせなかったせいで、部屋はひどく散らかっていた。

 閉じこもっている間ずっと、「リオスに会ったら何を聞こう」「これからどうするべきか」を考えていた。未来に彼がいないかもしれないと想像するだけで、涙が止まらなかった。



 結婚記念日を明後日に控えた夜。そろそろ向き合わねばと決意した。月のものも終わり、情緒もだいぶ安定した気がする。侍女に「今夜は夫婦の寝室に行く」とリオスに伝えてもらった。


 入浴を終え、夫婦の寝室へ続く扉の前に立つ。ドアノブを握りしめ、深呼吸して心を整えた。寝室に入るのに、こんなに緊張したのは初めてだった。

 意を決して扉を開けると――目の前にリオスが立っていた。


「きゃっ……! ど、どうしてここに……?」


 数日ぶりに会った彼は、相変わらず格好よかった。しかし、なぜこんなところに立っていたのだろう。


「驚かせてすまない。ちょうど様子を見に行こうとしていたところだったんだ」


 この数日、彼は入れないはずの私の部屋の前まで来て、様子をうかがいに来ていた。でも彼の声を聞く度に愛しいやら憎らしいやらで、私の心は乱されていた。


「あ、うん。ちょっと驚いただけ」

「体調は、もう大丈夫なのか?」

「うーん……どうだろう」

「母上も心配していた。しばらくはゆっくりするといい。そもそも、君は社交なんてしなくていいんだ。無理しなくていい」


(……愛人の噂を、私の耳に入れたくないから?)


 これまでなら素直に受け止められた彼の言葉も、今は優しさではなく保身にしか思えない。胸に巣くう疑念を、あえて口にした。


「……それって……優しいふりをしてるだけで、リオスの保身のためなんじゃないの?」

「……っ!」


 違うって、リオスに言ってほしい。愛人なんかいない、ただの噂だと否定してほしい。


「……聞いたわ。愛人って……なんなの?」


 彼は目を瞬かせ、ほんの一瞬伏し目がちになり、諦めたように深くため息をついた。


「……聞いたのか。すまない。君の名誉を傷つけたことは、申し訳なく思っている」

「え?」


 愛人がいることを、彼はあっさりと認めた。しかも、愛人がいることを謝るのではなく、名誉を傷つけたことへの謝罪。

 信じられない。信じたくない。


「そのことについては、いずれ相談しようと思っていたんだ。君の希望を聞きたくて」


(……希望? どういうこと? まさか――愛人を認めるかどうかってこと!?)


「嫌に決まってるでしょ!」

「……そうか。分かった。では、これからは君の外出は、なしだな」

「え?」


 なに?

 愛人を拒否したら、私を外に出さない罰を与えるって言うの?


「ひどい……。平民の人の話を……聞いたけど……本当なの?」


 愛人は、没落貴族の令嬢で、今は平民になった人だと誰かが言っていた。名前も言われたけれど、衝撃的なことが多すぎて、もう思い出せない。


「それも聞いたのか。……ああ。申し訳なかった。だが……俺は、抑えられない時があるんだ」

「はあ!?」


 なに、どういうこと!?

 浮気宣言!?

 抑えられなくて浮気するっていうの?

 リオスって……こんな人だったの!?


 怒りで震える手を力いっぱい握りしめた。でも、聞きたいことは全部確認しなければならない。努めて冷静な声を作り、口を開いた。


「最近、忙しそうにしていることと関係があるの?」


 最近、リオスが昼間に私の部屋に来る回数は減っていた。その分、愛人に会っていたのではないか。そう思って尋ねた。


「え? いや、それとは無関係だ」

「じゃあ、私の部屋に来なくなった分、その時間は何をしてるの?」

「それは……まだ言えない。だが、近いうちに伝えることができる。もう少し待ってくれ」


 近いうちに――まさか、結婚記念日?

 離縁の手続きでも進めているの……?


 また視界が真っ暗になるかと思ったが、意外なほどに冷静な自分がいた。むしろ、第三者になって自分を見下ろしているような感覚だった。


「……今日も、体調が悪いから一人で眠る」

「え? 月のものは終わったと――」

「なんなの!? 子どもが出来なかったからって!!」

「いや、責めているわけでは――」


 妊娠さえできていれば、捨てられずに済んだかもしれない。私に子どもができないから、悪びれもせず愛人のことを話すんだ。

 感情のまま扉を乱暴に閉め、鍵をかけた。


(ひどい! リオスがあんな浮気者だったなんて、許せない!)


 ベッドに飛び乗り、苛立ちのまま枕を叩きつける。


 抑えられないって……どういうことなの!?

 愛人と会うくらい、抑えられるでしょう!?

 そんなに愛人が大事なの!?


 ひとしきり枕を叩いて、ようやく荒い息を落ち着けた。怒りのあとにやってきたのは、虚しさだった。


 ……もしかして、私が一人で眠れないから、同情してくれていただけなのかな。

 この一年ほど、夜に不安になることもなくなっていた。もちろん、毎晩リオスが傍にいてくれたからだ。たまに彼の帰りが遅い時など、うとうとと眠れることもあった。きっと、もう大丈夫なのだと分かっていた。

 でも彼が心配してくれるから、「大丈夫だよ」って言って傍にいてくれるから、つい甘えてしまっていた。仕事の移動にも欠かさずついて行って……もしかしたら、リオスの邪魔になっていたのかもしれない。彼はずっと優しかったから、気づかなかった。


 まさか……他に好きな人ができていたなんて。

 涙がぽとりと、ベッドを濡らした。


(このまま……離縁されるのかな)


 結婚記念日に。私の誕生日に。


(彼から離縁を突きつけられるなんて、そんなの耐えられない)


 優しかった彼から残酷な言葉を聞くなんて、想像するだけで胸が張り裂けそうだった。


(……無理だ。耐えられない。絶対に)



 そして翌日の朝。

 泣きはらしてむくんだ顔のまま、いつも変装に使っていた侍女服に着替え――


 私は、家出した。


読んでくださってありがとうございます。次回は少し明るくなります。

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