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世界一素敵なゴリラと結婚します  作者: 志岐咲香
番外編:夫婦編

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妻を口説く夫と、愛人の噂

前半はベルンハルト視点、後半は貴族たちの噂話になります。

 八月。社交シーズンではない今は、避暑地で休暇を過ごす貴族が多い。だがグレゴリオス様は、最近王都に滞在し仕事に励んでおられる。

 魔鉱山協会という機関の設立のため、王国各地を巡り賛同者を募っている。国の中央に位置する王都は、往来に適しているからだ。もちろん、出張の際は、必ず変装したナタリー様が同行なさる。


 王都のタウンハウスの玄関で、グレゴリオス様の帰宅を笑顔で迎えたのは若奥様だった。

 かつては「ナタリー様」とお呼びしていたが、主は男性が彼女を名前で呼ぶことを許されなかった。男の使用人が「ナタリー様」と呼ぶたびに、言葉を要さぬ威圧感でその意思を示したため、今では使用人の男たちは揃って「若奥様」とお呼びしている。


「アリィー、ただいま」

「おかえりなさい! リオス」


 グレゴリオス様は衝動を抑えきれない様子で、若奥様を抱きしめた。

 使用人の前で仲睦まじい姿を見せたがらない若奥様は、顔を真っ赤にして腕の中から抜け出そうともがいた。やがて満足したのか、グレゴリオス様は腕を解かれた。


「もうっ、人前だよ!」

「すまない。君に会えてうれしくてつい」

「あはは、そんな何カ月も会えてないみたいに言って。今朝会ったばっかりじゃない」

「俺は君と片時も離れたくないんだよ。……ベルンハルト、屋敷に変わりは?」


 『変わり』とは、刺客の影がなかったかを問うておられるのだ。グレゴリオス様は幼少の頃から、そして結婚後は若奥様も、幾度か命を狙われたことがある。その都度、的確に防いできた。だが、主は決して油断なさらない。奥様を怖がらせないため、このことは秘密にしている。


「ございません。ですが、お仕事の件で確認したいことが」

「急ぎか?」

「……いえ」

「では少し待て。今からアリィーと茶を飲む」

「かしこまりました」


 グレゴリオス様の溺愛ぶりは並々ならぬものだ。同じ屋敷で執務される時も、合間には必ず若奥様の様子を見に行く。ほとんどの場合は執筆に集中しておられる姿を確かめて戻るだけだが、ときには雑談やお茶を楽しむこともある。自由時間のほとんどを若奥様に捧げられていた。


 お二人は自室でお茶を飲み始めた。

 侍女たちがお茶や菓子を整えるのを横目に、私は用件を切り出す時機を慎重に計っていた。


 グレゴリオス様は、若奥様との時間を殊のほか大切になさる。その時間だけは、誰も立ち入ることを許されぬ空気があった。感情を荒らげることのほとんどない主が、唯一見せるこだわりであった。そのこだわりは、すべて若奥様に関わることと言ってよい。


 帰宅された時の会話はいつも決まって、グレゴリオス様がご不在の間に若奥様が何をしておられたのか、細部に至るまで確かめられるところから始まる。何時に起き、誰と会い、どんな執筆をされたのか――漏らさず確認なさるのだ。

 若奥様は気にも留めず、楽しげに今日の執筆内容を語っていた。


 女性によっては束縛ととられるであろう振る舞いも、若奥様は大らかに受け止めておられる。

 最近、私は心から思うようになった。グレゴリオス様の伴侶が若奥様で良かった、と。このお二人は、驚くほど相性が良い。


「アリィー、また、使用人に菓子をやったのか?」

「はっ! なんでわかったの!?」

「使用人を友人扱いしてはならぬ」

「だってぇ。すっごく美味しかったから誰かと分かち合いたかったんだもん。リオスはいないし……」

「それは悪かった。だが線引きは必要だ」

「でもあなただって、親友で執事のベルンハルトと仲良くしてるじゃないっ! ずるい」


 思いがけず私に矛先が向けられ、気まずさを覚えた。


「あいつは元々親友だからな。特別だよ」

「わーん、サーシャも侍女になってくれないかなぁぁ。結婚してるから無理かぁ」


 不意の言葉に、気恥ずかしさと同時に温もりを覚えた。やはり、グレゴリオス様は素晴らしいお方だ。


「そういえば、また新しい口説き文句を仕入れてきたよ」

「え! 聞きたい! 今度はどんなシチュエーション?」

「高位貴族の男が、菓子店従業員の平民女性に恋をしたパターンだ」

「いいねー! でも、平民かあ。身分差があるのに結婚できるの?」

「……平民だと難しいかもしれないな。方法がないこともないが、ハードルは高い」

「じゃあハッピーエンドは難しいかな。そう考えると、私は平民に近い生活をしてたとはいえ、一応男爵令嬢で良かった……。平民だったらリオスと結婚できなかったもんね」


 その一言に、グレゴリオス様は頬をゆるめられた。

 若奥様はいつも突然、無邪気に、グレゴリオス様を喜ばせる言葉をおっしゃる。


「俺と結婚して良かったと思ってくれているのか。だとしたら嬉しい」

「あなたと結婚できて、ほんとに私はラッキーだよ。今幸せだもの」


 若奥様はにこにこと笑顔で答えた。


 だが、もし若奥様が平民であっても、グレゴリオス様は結婚なさったに違いない。どこかの高位貴族の養子にしてしまえば済む話である。費用と手間を要するが、公爵家にとっては造作もないことだ。とはいえ、そこまでする貴族などほとんどいない。

 この話に登場する高位貴族の男も、結局は愛人にとどめるか、せいぜい一度きりの戯れに終わるだろう。


 しかし、若奥様を落胆させたくないグレゴリオス様は、そのような俗な現実を口にされることは決してなかった。


 グレゴリオス様は若奥様の手を取り、低く甘い声で囁かれた。


「菓子店の売り子さん。君の笑顔は、この菓子より甘い。……一目で君の虜になった」


 多様な口説き文句を聞きたがる若奥様のために、グレゴリオス様は社交界で浮名を流す貴族たちから言葉を仕入れては披露している。執筆の参考にしたいらしく、若奥様はいつも楽しげに耳を傾けておられる。その姿を見るグレゴリオス様もまた、実に楽しそうであった。


「うわぁ。お菓子とかけているのね。オシャレ!」

「この出会いを、ただの偶然にしたくない。次に来るときも、君の笑顔に会えると約束してほしい」

「はわわわ。そんな、私は平民。あなた様のような貴族様の隣に立てる訳がございませんわっ」

「身分がなんだというんだ。君の笑顔ひとつで、俺の一日は光に満ちる。それ以上の理由が必要かい?」

「きゃー、カッコいいー!! こんなの好きになっちゃう!」


 グレゴリオス様は若奥様の手の甲に口づけを落とした。菓子店でそのような振る舞いをすれば、非常識の極みであろう。現実にそのような真似をする貴族がいれば、顰蹙を買うのは明らかだ。おそらく、かなり脚色されているに違いない。


 ……場面そのものは誇張されていた。だが、グレゴリオス様の瞳だけは真実を語っていた。毎回、本気で若奥様を口説いておられるのだ。若奥様はそれに気づかず、ただ口説き文句の実演だと信じて疑わないようだった。


 もっとも、お二人が仲睦まじくしておられることは、使用人一同にとっても微笑ましい光景であった。若奥様が機嫌良く過ごされることが、公爵家の安寧を左右していると言っても過言ではない。お二人は誠に睦まじいご夫婦であり、誰もが安心していた。


 どうかこのまま、公爵家の平和をお守りいただきたい。



***



 代々宰相を輩出してきたバリウス侯爵家邸の談話室では、男たちがウイスキーやワイン片手に談笑していた。午前中から若手貴族の会合があり、緊張の解けた者たちの声があちらこちらで弾んでいる。グレゴリオスは会合に出席していたが、用件を終え、必要な挨拶や情報交換を済ませると、失礼にならぬ範囲で席を辞した。


 談話室で自然と輪の中心にいたのは、次期宰相と目されるヴィンセント・バリウス侯爵令息であった。たれ目に泣きぼくろがあり、妙に色気がある。妻帯者でありながら、柔らかな物腰で女性に好かれ、愛人を欠かしたことがない。仕事は優秀だが女癖が悪く、数々の女性と浮名を流してきたが、それでいて憎まれぬ人誑しの気質を備えていた。


 男たちの話が途切れた時、ヴィンセントは思い出したように口を開いた。


「そういえば、ウィンターガルド公爵令息の噂は本当らしいねェ」

「愛人がいるっていう?」

「そうそう。噂では紫髪の侍女だそうだが、僕の見立てだと愛人は複数いるよ。いつも僕の口説きテクニックを熱心に聞いてくるんだ。あれは日頃からいろんな女性を口説き慣れてる匂いだねェ。僕と同じ気配を感じる」

「ははは、じゃあ次期公爵令息はとんでもない女好きだ」

「待ってくれよ、僕が女好きなんじゃなくて、女性の方が僕を好きになっちゃうんだって。彼女たちの熱っぽい視線に応えないなんて、紳士の名折れだろォ?」

「ははっ、さすがヴィンセント様。おっしゃることが違いますな!」


 どっと男たちの笑い声が溢れた。


「最近は平民を口説いてるんだけどォ、反応がね、貴族令嬢とはまるで違うんだ。素直で可愛いよ。その話も公爵令息は熱心に聞いていたから、彼も今は平民を狙っているんじゃないかな」

「紫髪の侍女が平民って可能性もありますね」

「侍女の愛人という噂は数年前からあったじゃないか。まだ続いてるのォ? さすがにもう飽きてるでしょ」

「いや、二人の逢瀬の目撃は最近もよく聞きますよ。人目も憚らず、大胆に密着しているといいますな」

「公爵令息はその侍女のことを『アリィー』と呼び、自分を『リオス』と呼ばせているのだとか。その名前から愛人の正体がわかったんですよ」

「正体ィ?」

「数年前に没落した伯爵令嬢レアリィーナ・マルセリアだとか。二人は学園の同級生で、没落の後はウィンターガルド公爵家に身を寄せていたらしいです」

「じゃあ今は平民ってわけか。なるほどォ」

「レアリィーナ・マルセリアは、とんでもない美人らしいですね。没落を機に伯爵令息との長年の婚約を解消していたとか。もしかしたら、すべて公爵家の策略だったりして」

「本命は没落令嬢で、病弱な男爵令嬢を妻にしたのはそのための隠れ蓑ってわけだ。子どもは没落令嬢に産ませれば済む話だしね。伯爵家なら血筋も申し分ない。じゃあ一途に一人の女を愛してるってことォ? 地位も名誉も美貌もあるのに、遊ばないなんてどうかしてる」

「男が夢中になるくらい美人なんでしょうね」

「はは、ぜひ一度お目にかかりたいもんだねェ」

「公爵夫人についても気になりますな。全く顔を出さないから、見目が悪いんじゃないかって噂ですよ」

「可愛いならあんなに蔑ろにされてないさ! はは」

「形だけの公爵夫人かァ。もし可愛いなら、夫に顧みられない可哀そうな夫人を、僕が慰めてあげるんだけどねェ」


 どっと笑い声が広がり、やがて話題は別の貴族や社交界の出来事へと移っていった。談話室は酒精に満ち、いつまでも喧噪に揺れていた。

敬語表現については、読みやすさを優先してあえて統一していない部分があります。違和感がありましたらご容赦ください。

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