第四話 「告白以上、初恋未満」
ウィンターガルド公爵家のタウンハウスに到着したのは、日付が変わるころだった。
にもかかわらず、屋敷は明るく、執事と数人の使用人が出迎えた。
執事は私を見て安堵の色を浮かべた。
(うん?なんだろう?)
首をかしげていると、侍女たちに促されて客室で就寝の支度をすることになった。
ゴリラにおやすみなさいと告げて、二階にある客室を使わせてもらった。
一人でできると言ったのに、「仕事ですので」と押し切られ、まさか体まで洗ってもらえるとは思わなかった。髪を梳かれ、肌のお手入れまでしてもらい、ふかふかのベッドに横になった。
貴族ってすごい!!
私も貴族なはずなんだけど。
エーベル男爵領では、男爵家とて畑を耕し、自警団に参加し、自分のことだけじゃなく仕事をしていた。子どもであろうと、手伝える年齢になったら駆り出されていた。
(世界が違うなぁ)
小説で貴族の世界を描きたかったけど、無理かもしれない。
感覚も常識も違い過ぎる。
こんな生活して、ダメ人間にならないのだろうか?
最近気づいたんだけど、ゴリラは案外友達が多いかもしれない。
この前は、誰かの危機を救ったらしくて、お友達さんから「グレゴリオスは本当にいい奴だ。よろしく頼むよ」なんて言われた。
あれもきっと、上級貴族クラスの人だ。
ゴリラは上級貴族なのに、下級貴族クラスに平気で入ってくるし、いつの間にかうちのクラスの人たちとも言葉を交わすようになっていた。友達がいないどころか、むしろ人気者だ。
(なのに、なんで初対面で声をかけてきたんだろう?)
『……俺でいいじゃないか』
「わあ!!」
ベッドの上で飛び起きた。
思い出したのは、仮面舞踏会のときの、あのひと言。
(え!?あれってどういう意味!?)
あの時は、死にかけ貴族を基準にして旦那様候補を探してたから気にしてなかったけど、よく考えたら、すごいことを言われたんじゃないだろうか。
あの前ってどんな会話してたっけ?
『いないかなあ。うんと年上で、目がかすんでて、耳もちょっと遠いくらいの』
『……俺でいいじゃないか』
そうそう、確かこんな会話だった。
えっと?
どういう意味だろう?
しばらく考え込んだ。
(……あ、もしかして、まだ若いのにゴリラって目がかすんでて、耳も遠いのかな?)
なんだか可哀そうになってきた。
明日は少し、優しくしてあげよう。
そんなことを考えながら、もう一度布団に潜り込み、ふかふかの温もりに包まれていつの間にか眠っていた。
翌朝。
カーテン越しに、冬のやわらかな光が差し込んでいた。
ぬくぬくの布団に包まれたまま、ノックの音で目が覚めた。
「ふぁっ!?」
寝ぼけたまま周りを見渡した。見慣れない豪華な家具に、混乱する。
「おはようございます。ナタリー様」
「だ、だれぇ」
「侍女でございます。朝食のお時間です」
「あ、ああ、そっか、ゴリラの家だった」
「ごりら?」
(……しまった!)
「ぐ、グレゴリオス!! あはは! 寝ぼけてたみたーい!」
危なかった。寝ぼけているという言い訳でなんとか誤魔化せた。
侍女たちに手際よく身支度を整えてもらい、ナタリーは食堂へ向かった。
すでにゴリラは席についている。
壁際には、数人の使用人が静かに控えていた。
「だいぶ待たせちゃった?」
「そんなことない。俺も今来たところだ」
なんとなく、嘘な気がする。
テーブルの隅に、一度開かれた形跡のある新聞が、畳まれて置かれていた。
ふふん、最近私も推理が出来るようになったのだ。
前に彼と行ったカフェ・エトワールで、見えるものだけじゃ良い小説は書けないと気づいた。それ以来、見えないことについても考えるようにしている。
(でも、これは良い嘘よね)
最近気づいたんだけど、彼は人格者かもしれない。
知れば知るほど、欠点が見当たらない。
そんな人、現実に存在するのだろうか?
朝食は、驚くほどたくさん出てきた。
パンだけで六種類、卵料理だけで三種類。ベーコンもソーセージも魚まであるし、チーズや果物、瓶詰めのジャムがずらりと並んでいた。
「ちょっと、こんなに食べられないよ?」
「君の好みが分からなかったから、いろいろ用意したんだ。好きなものだけ食べてくれればいい」
「……うちじゃ、家族みんなで畑耕してたの。足りないものは近所と交換して、ほとんど自給自足。だからね、残すのって、ちょっと抵抗あるんだ」
「……」
その場が静まり返った。
さきほども、騒がしかったわけではないけれど、今はまるで場が凍りついたように、物音ひとつしなかった。
私の呼吸音すら、聞こえてしまいそうだ。
使用人たちは、きっと息すら止めてるに違いない。
言い過ぎた?
でも、本当のことだしなぁ。
「あの、気を悪くさせてしまったのならごめんなさい。もしよかったら、手をつけてない分は使用人の方に食べてもらうとか、包んでもらえれば、私があとで食べるよ」
「……いや、すべて俺がいただこう」
「え? こんなにあるから無理よ」
「俺が指示を出したから、俺が責任を取る」
「そんな大袈裟な」
やっぱり、気分を害してしまったのかもしれない。
こんなふうに、彼が頑なになるのを見たのは初めてだった。
身分の違いが大きいから、理解できないこともあるだろう。
彼の欠点らしいところを見つけた気がした。
……食べ物を粗末にするところ。
でも、それは高位貴族として育ったなら、ある意味当然なのかもしれない。
今度からは迂闊に意見を言わないようにしよう。
そう思ったちょうどその時、彼が声をかけてきた。
「ナタリー」
「なに?」
彼はまっすぐ私を見て口を開いた。
「言ってくれてありがとう」
「えっ」
「自分ではそんなつもりはなかったが、驕っていた部分があったかもしれない。君が言う通り、必要以上に無駄にするのは良くないな」
「え、ええ。私もできるだけ食べるわ」
「無理はしなくていい。俺は君専用の残飯係になろう」
「あはは、なによそれ」
最近気づいたんだけど、ゴリラはかなり誠実かもしれない。
あと真面目?でも厳しいってわけじゃないのよね。
許容範囲は広いっていうか。
さっき、欠点を見つけたと思ったけど――
彼は、欠点があってもちゃんと自分で気づいて、直そうとできる人だった。
同い年とは思えない。
私だったら……欠点に気づいたところで、直すなんてできる気がしない。
公爵家の人ってみんなこんなに完璧なんだろうか?
凍っていた空気が、ゆるやかに解けていくようだった。
朝食は素晴らしく美味しかった。
「美味しい。いろいろ用意してくれてありがとう」
「気に入ってくれたなら良かったよ」
最初は戸惑いもあったけれど、気がつけば、いつもの調子で会話をしていた。
なにより、彼の笑顔が、いつもより嬉しそうに見えた気がする。
サーシャに借りたドレスは、公爵家の方でクリーニングして返してくれるらしい。
たくさんお礼を言って、公爵家の馬車でゴリラに送ってもらった。
ゴリラはこのあとに寄るところがあるらしくて、三頭立ての豪華な馬車だった。
馬車の中で、ゴリラが不意に尋ねてきた。
「欲しいものはないか?」
「いっぱいあるけど?」
「……俺に贈らせてほしい」
私はじっと彼を見た。
そして、心からの同情を込めて言った。
「友達は、物で釣っちゃダメだよ」
「え?」
「エーベル男爵領にいたおっちゃんたちが言ってた」
「おっちゃんたち……」
「物をあげても仲良くはなれない。むしろ、関係が崩れるって。だから、いらない」
彼はまばたきして、それから突然、吹き出した。
今まで見たことがないほど笑っていて、私は呆気にとられた。
笑いすぎて涙が出たのか、目尻をぬぐいながら言った。
「やっぱり俺は、君が好きだな」
「……え?」
あまりにも当たり前のようにいうものだから、聞き間違いだと思った。
だが彼はまっすぐに私を見て言った。
「君が好きだ」
「……えええええええ!?」
人生で初めての告白が、こんなにムードのない場所で、脈絡もなく突然行われたことに衝撃を受けた。
(どういう流れ!?いま、そんな話題だったっけ!?)
何を考えて今が告白タイムだと思ったのだろうか?
感覚が違い過ぎる。
恋愛小説では、呼び出して思い切って告白だったり、デートでバラ園でとか、はたまた夜会でみんなの前でとか、そういうのが告白の雰囲気なんじゃないのだろうか。
それとも、今のこれが、リアルなのだろうか。恋愛の経験がなさ過ぎて、まったく分からん。
「分からん」
思わず口から出ていた。
「今は分からなくていい。そのうち、俺を好きになってくれたら」
ゴリラは、それはもう爽やかに笑顔で言った。
馬車が学園寮に着き、ゴリラはわざわざ馬車から降りてエスコートしてくれた。
別に座ってて良かったのに。
しかも、学園寮の裏口が分からなかったのか正面口だったので、かなり目立ってしまった。
なんか寮生たちがざわついてた気がする。
でもとりあえず助かったことは確かだし、お礼を言っておいた。
まだ休日は半日近く残ってるから、今からでも執筆しよう。
とりあえずネタ帳に昨日の仮面舞踏会について書いておかねば。
そうして私は今日も、机に向かうのだった。
でもたまに、ゴリラの告白が浮かんで手が止まっていたのは、誰にも秘密だ。
***
ある夜会で、若い令嬢たちが囁いていた。
「ねえ、今話題のあの噂を、お聞きになりまして? ウィンターガルド公爵令息が、仮面舞踏会で男爵令嬢をお持ち帰りしたんですって……!」
「聞きましたわ! しかも公爵令息は身元を隠すどころか、軍服を着て大変お目立ちになってたそうですね!? 会場入りの時には、男爵令嬢に一目散に向かったとか!」
「どこのご令嬢ですの? エーベル男爵家? 聞いたことないわ」
「エーベル男爵令嬢は、わざわざ皆の前で軍服の飾緒に堂々と触れていたそうですわよ。それはそれは、親し気だったとか」
「あの、学園に通ってる妹から聞いた話なんですけど、公爵家の豪華な馬車で、仮面舞踏会の翌日に寮まで送られてたそうですわ!」
きゃあ、という複数の甲高い声が響いた。
よく通る彼女たちの高い声は、周りに筒抜けである。
周囲にいた者たちは、新たなニュースに好奇心で耳を澄ませた。
それまでは、輪の外側にいた令嬢が、今や話題の中心だ。
「しかもわざわざ、学園寮の正面玄関まで、公爵令息がエスコートしていらしたとか。ご自分で送るって、よほど溺愛してるのかしら……」
「きっと甘い夜をお過ごしになったのでしょうね。いやだわあ、ふしだらですわ」
「身分の違いも理解せず、田舎の男爵令嬢ごときが何を期待しているんでしょうね」
「ほんとですわ」
輪の中心では、今まで目立たなかった令嬢が注目を集めていた。
その少し離れたところで、話には加わらずにただ見つめていた一人の伯爵令嬢が、静かにその名を反芻していた。
「エーベル……男爵家、ね」
その視線は、冷たい硝子のように濁っていた。
社交界では、ウィンターガルド公爵令息とエーベル男爵令嬢の甘い夜は既成事実として語られた。
そして、エーベル男爵令嬢は身持ちの悪い悪女として名前が広まっていったのだった。