執事見習いの心配事 ベルンハルト視点
グレゴリオスのヤンデレ傾向が垣間見える回です。
ベルンハルトは本編の第四話と第十七話にも少しだけ登場しています。
「ベルンハルト」とグレゴリオス様に呼ばれ、慌てて姿勢を正す。
公爵家の廊下に立つ私は、まだ執事見習いにすぎない。生まれは伯爵家だが、その肩書きに甘えることは許されない。毎日、ただ粛々と務めを果たすのみだ。
恩があって、私はグレゴリオス様に生涯仕えると決めた。学園在籍中にとある件で救っていただいて以来、足を向けて眠ることなど到底できない。あのときのご厚情を忘れる日はない。
次期公爵当主であるグレゴリオス様は、本当に人格者だ。家柄や聡明さは言うまでもないが、それ以上に、人として尊敬できるお方である。学生時代は砕けた関係で過ごさせていただいたが、そのご恩に報いるため、卒業後はこの屋敷に仕えると心に決めた。
本来ならば、私は伯爵家の出身として王侯貴族科に進む予定だった。だが、その頃にはすでにグレゴリオス様に仕えようと心は決まっていた。だから政務科へ進んだ。
グレゴリオス様の想い人が政務科に進むと聞いたからだ。
グレゴリオス様は公爵家の嫡男のため、王侯貴族科に進むことが決められていた。王族や高位貴族の跡取りは王侯貴族科に進むことが通例である。
私は伯爵家の嫡男だったが、家を継ぐ気はなかったので政務科へ進み、グレゴリオス様の想い人を補佐しようと決めた。少しでもお役に立ちたかったからだ。
……だが想い人は、政務科の上位クラスにはいなかった。信じがたいことに、下位クラスに所属していたのだ。夏季休暇明けに上位クラスへ転入してきたため、その後は補佐を務めたが……。
初めて「想い人がいる」と聞いたとき、私は当然その方も聡明で人格者だと疑わなかった。だが、現実は違った。
正直なところ、なぜこの女性が……と今も思わずにはいられない。どう見ても不釣り合いだった。しかも彼女は、グレゴリオス様の度重なる求婚を頑なに断り続けた。理解できない。
そんな女性に尊敬の念など抱けるはずがなかった。グレゴリオス様には、もっとふさわしい方がいると信じていた。
だが卒業の折、彼女はある伯爵令嬢に誘拐され、命を奪われかけるという惨事に巻き込まれた。その場でグレゴリオス様が身代わりとなって刺され、彼女を救ったのである。そして結局、グレゴリオス様が責任を取るという形で結婚することになった。
結婚して、もうすぐ三年が経とうという時。私は侍従を経てようやく執事見習いになった。
これまでグレゴリオス様に仕えてきて、さすがに彼に同情してしまった。ナタリー様は、毎日取るに足らない小説を執筆し、公務を疎かにして遊んでおられる。その分の仕事を、公爵夫人やグレゴリオス様がすべて担っている。いくら事件の後遺症があるとしても、これは怠慢とさえ思える。
あるとき、それを言葉にした。旧友として、親友として、執事として。
「大変? 何のことだ? 俺は今、人生で一番満たされているが」
グレゴリオス様は、心底分からないという表情だった。
そんなはずはない。ナタリー様は日々を遊びに費やし、執務も家政もなさらない。そんな奥様を抱えて、グレゴリオス様が大変な思いをしているのは明らかだ。本来、ナタリー様が行うべき務めを、すべて彼が背負っておられるのだから。ただでさえ今、領地改革で多忙を極めているというのに。
だが、屈託のないご様子で言葉を返された。
「仕事? そんなものは大したことではない」
その言葉を聞いても、私は信じられなかった。きっと優しい彼が、ナタリー様に気を遣って口にされたに違いないと思い、気の毒にさえ感じた。
しかし、それは全くの見当違いだった。
「ベルンハルト。俺は、本当に幸せ者だ。アリィーは、この公爵家から出ることはない。俺が何も言わずとも、自室に籠りっきりだ。はは……しかも、俺をモデルにした恋愛小説を書いている。彼女は俺と一緒にいない時にも、四六時中、俺のことを考えているんだ。これが、どれだけ俺を満たすか、分かるか?」
グレゴリオス様は笑みを浮かべながら、真剣な瞳で言葉を重ねた。
「俺が何と言ったか、どう動いたか、それを反芻して、屋敷でひたすら俺のことを考えて小説を書いて過ごしている。誰にも会わずにな。俺はたまに、彼女をどうしようもなく閉じ込めたくなるんだ。だが、彼女は自ら俺の檻に入る。そのたびに、俺は幸福を感じる。間違いなく、今が一番満たされているよ。彼女がそばにいるからな。だから、俺は何も不満はない。仕事なんていくらでもできるし、苦にもならない。これ以上の幸せはない。だから、お前も余計なことを考えるな。彼女は俺の幸福そのものだ。わかったな?」
反論を許さぬ眼差しで言い切られ、私はただ平伏するしかなかった。
私は思い違いをしていた。
ナタリー様は自由奔放に過ごし、グレゴリオス様が堪えていると考えていた。しかし、それは誤りだった。
それこそが、グレゴリオス様の幸福だったのだ。
ナタリー様が夫人としての務めを果たさないなど些末なこと。どうでも良い。彼女がそばにいることだけが重要だったのだ。
私以外の使用人の中にも、同じようにグレゴリオス様を不憫に思う者はいた。
けれど、それは全くの見当違いだった。一言でも苦言を呈していたら、今頃、私は……。そう思うと冷や汗がにじむ。これからは使用人たちにも徹底させねばならない。万が一おかしな行動を取る者がいれば、取り返しのつかないことになる。。
グレゴリオス様は現状に満足しておられる。
ゆえに、ナタリー様は、このままでいい。
いや、むしろ、ナタリー様はこのままでいなければならないのだ。
ナタリー様がいてくださるからこそ、グレゴリオス様は正常でいられるのだと、やっと理解した。
グレゴリオス様の仄暗い瞳を思い出すと、背筋に冷たいものが走った。
私はこれからもグレゴリオス様が幸せであるために、力の限り仕えようと心に誓った。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
少しストックができたので投稿頻度が増えるかもしれません。
次回もベルンハルト視点です。




