夫が連れてきた女
リオスと結婚して、もうすぐ三年が経つ。
まだ、子どもはできていない。
ただでさえそのことがストレスなのに、いま私は特大の執筆スランプに陥っていた。
小説の担当編集者とのやり取りは手紙だ。公爵家の夫人という素性を明かせないので、ペンネームは「ピンクローズ・スウィート」。私には辿り着けない名前にした。リオスが偽の住所と窓口を用意してくれたおかげで、少し時差はあるけれど問題なくやり取りできている。
そして先日届いた担当者からの手紙には、こう書かれていた。
「ヒーローがいつも同じで、読者に飽きられ始めている」
それは、学生時代にサーシャからも指摘されたことだった。
ヒーローのキャラクターが、どれもワンパターン。
……当然だ。
だって、私が描くヒーローはいつだってリオスがモデルなのだから。
リオス以外の男性を好きになったことがないし、惹かれたこともない。一途で、優しくて、紳士で誠実な私の旦那様が至高だ。というか、それ以外を知らない。
学園時代、クラスに男の子はいたけど、そんなに仲良くなかった。
クラスの男子と言えば、最初はよく話しかけられたが、少し話すと変な顔をして皆どこかへ行ってしまった。それからは、用事がある時以外は話しかけられることはなかった。
……今思えば、心の中の声が漏れていたのかもしれない。当時はそんなに漏れているなんて知らなかった。失礼なことを言っていたのだろう。確実に。私は、これまで会ったすべての人に失礼なことを……。
「あーあーあーあー」
過去の自分のやらかしを振り払うように、首を横に振った。
考えても仕方ない。過去は変えられない。
いま私にできるのは、新作の恋愛小説を書くこと。ヒーローのキャラを変えること。ペンを手に取り、机に向かって原稿用紙を睨んだ。
「……書けない……」
がっくりと肩を落とした、その時。
コンコンと扉を叩く音が響いた。
爽やかな笑みを浮かべたリオスが立っていた。今日も私の夫は麗しい。
「少しいいか?」
「うん。ちょうど全然書けないところだったから。お茶でもする?」
「いや……今日は、君に紹介したい人がいるんだ」
「紹介したい人……?」
リオスに言われた通り応接室で待っていると、ノックの音のあとに扉が開き、彼に伴われて一人の女性が入ってきた。
優雅な身のこなし、整えられた巻き髪、濃紺のドレス。
漂う色香、上質な香水の匂い――完璧に夜の女の気配。
(ビビッと来た! これは絶対に夜のお店の人だー!)
ん?なんでこの人を紹介するの?
……え?
まさか……リオスって、そういうお店を利用してるの!?
しかも妻の私に紹介してくるなんて――。
「えっ!? まさか、NTR!?」
驚きのあまり、つい心の声が漏れてしまった。リオスが反射的に眉をひそめる。
「ちが……」
「確かに最近、私の書く小説は溺愛ばっかりでマンネリって言われてたけど……」
私は、考え込んだ。
(浮気夫モノ? ざまぁ? それとも復縁系?)
「でも、NTRなんて……」
「待て」
「……ありかもしれない」
「「「いやいやいやいや!」」」
リオスは即座に否定した。隣の女性も、さらに横に控えていた執事見習いのベルンハルト・クロイツナーも、すごい勢いで否定した。
ちなみにクロイツナーは学園時代の同級生だ。私が政務科の上位クラスに移ってから同じクラスになり、困ったときには助けてもらった。そんな彼を、公爵家で再び見かけたときは心底驚いた。確か伯爵家出身のお坊ちゃんだったはず。リオスの親友らしくて、彼を支えるため、公爵家で執事見習いをしているらしい。
「誤解だ。彼女は相談役で、今回は君のスランプを――」
「えっ、まさか……夜の相談役……?」
子どもを授かりやすくなる方法でも教えてくれるのだろうか?
妄想が暴走する私をたしなめるように、女性はくすっと笑ってから一歩前に出た。
「まあ、ご挨拶が遅れましたわね。私はリィーナと申します。しがない平民ですわ。花街で『マルセリア』というサロンを営んでおります。皆様からは『マダム・マルセリア』と呼ばれておりますの」
薄紫の髪と水色の瞳を持つマダム・マルセリアが、艶やかに微笑む。その艶やかな微笑みに圧倒され、思わず息を呑んだ。
「あ……グレゴリオスの妻の、ナタリー・ウィンターガルドです」
「……奥様とはずっとお会いしたかったのですわ」
「そ、それはどういう……」
「実は私……奥様の……いえ、ピンクローズ・スウィート先生の身代わりを演じさせていただいておりますの」
「ええ!?」
こ、こんな華やかな女性が身代わり!?
不釣り合い過ぎない!?
「担当の編集者の方とは何度かお会いしておりますわ。話の齟齬がないように、ピンクローズ先生の小説もすべて拝読しております。すっかりファンになってしまいましたわ」
完璧な笑顔と、相手を立てる会話内容。色気とともに気品もあって、身のこなしが優雅。
……さすがだなぁ。
私は、ただただ圧倒されていた。
「マダムは君の代役だから、いずれ紹介しようと思っていたんだ。だが今日は、別の目的もある」
「別の目的?」
「ああ。最近、スランプだと言っていただろう? マダムは花街にサロンを持っている。男女の話に詳しいんだ。いろんな恋愛談を聞くといい」
「へえぇ」
「うふふ、お役に立てるか分かりませんけれど、私が知っていることなら何でもお話いたしますわ」
それを聞いて、私は一気に興味津々になり、根掘り葉掘りと質問を重ね、取材を始めた。
花街については、家庭教師の授業で聞いたことがある。以前、お義母様が領地改革の一部を担って、売春宿の集まる花街を大改革したのだという。女性が虐げられているのが許せなかったらしい。本当に格好いいお義母様だと思う。
その改革で、劣悪な環境に置かれていた女性たちの生活は大きく改善された。宿はすべて公爵家の許可制となり、ルールを守る者だけが営業を続けられる。希望する者には、別の職業への紹介も積極的に行った。中には『この仕事が性に合っている』と、そのまま働き続けた者も少なくなかったらしい。仕事を辞めたくなった時には自由に辞められるし、様々な保証もある。 ところが、そんな噂を聞きつけてレグナス王国中から娼婦が集まり、花街をなくしたかったお義母様の思惑とは反対に、ウィンターガルド領は「王国一の花街」を有するようになったんだとか。なんとも皮肉な話だ。
ただし、多くの女性が集まったことで店の形態も多様化し、必ずしも性的なお店ばかりではなくなった。むしろ、会話を楽しむために訪れる貴族や商人も多いという。そして、『マルセリア』のサロンはまさにそういう店だった。接待の場としてもよく使われるそうだ。
それでも、従業員の女の子は自由恋愛が認められているので、お金持ちのお客さんと結婚することもあるらしい。マダムのお店の女の子は、上流階級の男性とも渡り合えるように鍛えられていて、そんな魅力的な彼女たちを口説く手段をいろいろ聞かせてもらって興味深かった。
「へぇぇ。バラの本数に意味があるんだぁ」
小説に使えそうなネタも多く、私は夢中でメモを取った。例えば物語で、ヒーローがヒロインに徐々に本数を増やしてバラを贈る展開。想像するだけで素敵だ。
……そういえば、リオスからもよく花をもらう。中でもバラが多かった。それも意味があったのかもしれない。ちらっと彼を見ると、悲しそうな瞳がこちらを向いていた。ご、ごめん。『本数が増えてるなー』としか思ってなかった……。
マダムはまだまだたくさんのネタを持っているようで、今後も定期的に話を聞かせてもらうことになった。これでスランプを抜け出せるかもしれない。リオスとマダムに感謝だ。
良いネタを仕入れ、胸を弾ませながらその日を終えた。
――紫色の髪の上品な美人がウィンターガルド公爵家に定期的に出入りすることが密かに広まり、やがてそれが、思いもよらぬ疑惑を呼ぶことになるとは、このときの私は夢にも思っていなかった。




