お忍びデート
結婚式が終わり、蜜月と呼ばれる日々も過ぎて、しばらく経った頃。
私はようやく体力を取り戻し、外に遊びに行きたい気分になっていた。
それにしても、蜜月があんなに過酷だとは思わなかった。
……ちなみに、初夜に私が寝落ちした。緊張疲れで爆睡だった。翌朝、目覚めるとグレゴリオスが起きて待っていた。その後の蜜月がどれだけ大変なことになったかは、言うまでもない。……言うけど。
最初の三日ほどは、四六時中子づくりに専念させられ、外に出ることも許されなかった。食事さえ自室で、ぐったりしている私をグレゴリオスの膝に乗せて食べさせる始末だ。ようやく庭園の散歩が許されたのは、もちろん彼が付き添っていることが前提だった。とにかくずっと一緒で、直視できないほど熱い視線にさらされ、丸焼きにされるかと思った。
公爵家では跡継ぎがリオスしかいないから、子どもを作るのは最重要課題らしい。
あそこまでではないけれど、これから子どもを十人生むまでは、毎日子作りがあるらしい。十人って、うちの村でも多い方だ。公爵家の夫人って社交がなくても激務だな……と、思わず遠い目になった。
そんな過酷な期間もやっと終わり、最近は馬車で三十分ほどの領都フォルネアまで出かけて、リオスと観劇や買い物を楽しめるようになった。
ただし、「ナタリー・ウィンターガルド公爵令息夫人は病弱」という設定のため、私は外で元気な姿を見せてはならない。公爵領で遊びまわっているところを誰かに見られると「公爵令息夫人が病弱なのは嘘」と噂が立つ可能性があるからだ。まあ、嘘なんだけど。
だから私は紫色のカツラをかぶり、化粧をして面影を隠し、侍女の制服を着て変装をして外出する。化粧は普段ほとんどしないから、張り切った侍女たちに「変装ですので!」といろいろ施された。ここまで化粧に力を入れた侍女なんて見たことないし、どう見ても侍女らしくはない気がするけど、変装としては悪くない。たしかに顔の印象が変わる良い変装になった。侍女服は以前も着たことがあるが、着心地も良くてなかなか気に入っている。ところが変装を始めてしばらく経つと、私の侍女服だけ高級感のある布地の特別仕様になっていた。こんな侍女はいないだろう。汚したら大変だ。とはいえ、変装していても公爵家の夫人だから格式は大事と言われ、従うしかなかった。
観劇も買い物も、個室が用意されていた。もちろん、セキュリティのためだ。観劇のときは個室の外や劇場のあちこちに護衛が配置され、買い物のときは個室の中にまで護衛が入り込んで見張っていた。
リオスは領民に顔を知られているから、私は侍女を装って個室まで一緒に入る。個室で公爵家の者だけになってから、ようやくリオスと普通に話せる。それくらいの徹底ぶりなのだ。個室の中でも、公爵家以外の従業員がいるときは私の素性を明かさないようにしている。「私はただの侍女です」というふうに振舞っている。リオスに敬語を使ったりして、これはこれでなかなか面白い。
この前なんか、やはり人前で平気でベタベタしようとしてくるリオスに、「いけませんわ。旦那様には奥様がいらっしゃいますのに!」と高位貴族に言い寄られて困る侍女を演じて遊んだ。
リオスも意図を察して、「いいではないか。妻は病弱でこんなところに来られないんだ。君が相手をしてくれ」と浮気者の貴族令息を演じてくれて、思わず吹き出してしまった。もちろん周囲に公爵家の者しかいない時だ。公爵家の者は皆、新婚夫婦のいちゃいちゃを見せつけられてさぞ大変な仕事だっただろうに、にこやかに見守ってくれていた。
観劇や買い物は高級店に行くこともあるけれど、私は平民向けのものが好みでよく連れて行ってもらう。
平民向けのお店のときは、リオスも一緒に変装してお忍びデートをする。もちろん、周りは同じく変装した護衛で固められている。街の雰囲気は楽しめる上、安全なのが有難い。
平民の恋人同士のデートは腕を組み身体を密着させるものだとリオスから教えられた。確かに周りを見ると、皆、大胆だった。これは、平民も読む小説を書くときには気を付けないといけない。貴族と平民にこんな違いがあったとは。私のいた村は、平民ばかりだったけど控えめな方だったらしい。
周りから浮かないように教えを守っているおかげで、私たちは素性が知られることもなく平民に溶け込めているようだ。私は元々ほぼ平民みたいなものだから難なくできる自信があるけど、リオスは質素な服に身を包んでも溢れ出るオーラがあるから、只者じゃない雰囲気がだだ漏れだ。よくこれでバレないものだと、不思議に思う。
そんなふうに、結婚してから毎日楽しく過ごさせてもらっていた。
***
「リオスは来週から、王都に行くの?」
「ああ。間もなく社交シーズンが始まるから、俺は両親と王都のタウンハウスに行かなくてはならない……」
私は社交を免除してもらっているけれど、リオスは社交をしなければならない。私がしない分、さらに仕事は増えているだろう。
申し訳なくなる気持ちとともに、湧き上がった疑問。
(え? 夜、一人で寝るってこと?)
この夫婦の寝室には、いざという時のための隠し通路がある。その開け方も教えてもらってばっちりだ。でも、そこはかとなく不安が押し寄せてきた。一人で眠るのはまだ怖い。
「……私も一緒に行っちゃだめ?」
「もちろん構わない。一緒に行こう」
リオスが食い気味に返事をした。
「いいの?」
「ああ。だが、社交はしたくないだろう? そうなると、君はここ公爵領に残って一人で過ごしているように装わなければならない。身代わりになる者はこちらで用意するとして、向こうに着くまで変装してもらうことになるが、いいか?」
「うん!」
むしろ、侍女服はドレスよりも楽だから有難いかもしれない。意気揚々と準備をして、出発の日を迎えた。準備と言っても、私が念入りにしたのは、お気に入りの筆記用具と紙を詰め込んだくらいだが。
翌週、私は紫色のカツラをかぶり化粧をし、侍女服を着て出発のときを待った。義両親が馬車に乗り込み、次にリオスが私のそばに来る。彼にエスコートされて、私は一緒に馬車に乗り込んだ。
久しぶりの王都なので、楽しみだ。公爵領の観劇も良いけど、王都には王都でしか見られない劇団もある。リオスと行けたらいいな。そんな他愛のない話をしながら、王都に向かった。移動途中の宿でも、もちろんリオスと同じ部屋に泊まった。
王都ではリオスの社交がない日に、二人でお忍びで観劇やスイーツ巡りをした。リオスもとても楽しそうで、それを見るのも嬉しかった。
変装は誰にも気づかれず、快適な滞在だった。何度か学園時代の知り合いを見かけたけど全く気付かれなかった。侍女たちの化粧のおかげだ。そうやって穏やかに楽しく、王都滞在を終えたのだった。
***
社交界では、今日も煌びやかなドレスをまとった貴族の夫人や令嬢たちが、賑やかに言葉を交わしていた。
「ねえ、お聞きになりまして?」
「ウィンターガルド公爵令息のことでしょう? まだ新婚だというのに、愛人にご執心なんだとか。紫の髪色の『アリィー』という名の侍女と人目も憚らずお出かけになっているんですってね」
「お若いから、お元気ですわねぇ」
「愛人はとても美人で、公爵令息はその方に夢中だそうですわ」
「もともと公爵令息ご夫婦の出会いも仮面舞踏会なんだとか。その後に、ほら、あの事件で奥様が傷物になった訳でしょう? 本来は結婚するつもりはなかったのに、責任を取って娶らざるを得なくなったんでしょうねぇ」
「まあ、責任を取ったんだから愛人の一人や二人、よろしいんじゃなくてぇ? おほほ」
「奥様は田舎の男爵家出身ですもの。それくらいで公爵家に入れるなら有難いお話ですわよね。ウフフ」
実際はただの夫婦デートなのに、社交界では公然の秘密としてグレゴリオスは愛人がいると語られていた。
ナタリーの変装が本格的すぎて誰も見破れなかったことと、『アリィー』という愛称が『ナタリー』から連想できなかったため、二人を見かけた領民も貴族も皆が浮気現場だと信じ込んだ。
なにより、二人を目撃した人に浮気を確信させた原因は、グレゴリオスだった。妻相手に、あんな甘い笑顔を向けるわけがないという皆の先入観が勘違いをさせた。彼は、妻をいつも全力で楽しませ、口説き、愛した。それはあまりに世間とかけ離れた行為であったため、グレゴリオスを知らない者たちには分からなかった。
この噂をナタリーが耳にするのは、もう少し先のこと。




