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世界一素敵なゴリラと結婚します  作者: 志岐咲香
番外編:新しい愛称編

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30/56

改革と交渉

 公爵家当主の執務室に入ると、両親がすでにソファに腰かけて紅茶を飲んでいた。

 俺が向かいに腰かけた瞬間、母上の鋭い視線が突き刺さった。


「グレゴリオス。なんですの、あの娘は! ちっともマナーがなっていないじゃない! 言葉遣い、発声、動作、すべて貴族として失格よ! あのような振る舞いで、公爵家の夫人が務まると思っているの!?」

「……アンゼリカ。ひとまず、グレゴリオスの話を聞こう」

「……っ……」


 怒りを噛み殺すように、母上はそれ以上言葉を発さなかった。

 俺は静かに口を開いた。


「……父上、ありがとうございます。今回の件のご対応をしていただいて、概要はご存じと思いますが……」

「ああ。……今回は、本当に災難だったな。お前に非はないことは、調査の中で証言が得られた。グレイン伯爵家は代々秘密裏に闇魔法を使用し、不当に取引や政治を行っていたらしい。まさか、闇魔力の家系だったとはな。当主から使用人まで、すでに闇魔法にかかりすぎていて回復は難しいらしい。王家にも話を通して、近いうちに取り潰しが決まった」

「そうですか……」

「グレイン伯爵令嬢は、相当に思い込みが激しく、自分がいずれお前と結ばれる運命にあると信じていたようだ。何度も書状で断ってもなお、自分が選ばれると信じていたという。……まったく、話が通じる相手ではなかったようだな。クラスメイトにまで闇魔力を用い、ナタリー嬢を排除しようとしていたという報告も受けている」

「……ナタリーのことですが」


 俺は一呼吸を置いてから、話し始めた。


「……彼女は、事件の後遺症を患っています」

「なんだと? 具体的には?」

「昼間は、気丈にふるまっていますが、夜一人で眠ることが出来ません。ひどい悪夢を見るようで……寝言で『殺さないで』と叫んでいたんです。暗闇を極端に怖がり、就寝時に灯りを消すことすらできない状態です。……俺が把握していないだけで、彼女にしかわからない苦しみも、きっとあるのだと思います」

「……そうか。あれだけの事件だ。時間は、かかるだろうな」

「ええ。そう思います。なにせ彼女は、何の咎もないのに、連れ去られ、殺されかけたのですから。……俺が、彼女を好きになったばっかりに」


 思わず目を伏せた。


「そんなに自分を責めるな。その事件があっても、ナタリー嬢は結婚を承諾してくれたんだろう?」

「はい。ただし、社交を一切免除するという条件付きです」

「何ですって?」

「彼女は社交がネックで、結婚を断っていたようです。公爵家夫人の地位も権力も、興味がありません」

「はあ!? 一体、何様のつもりなの!?」

「アンゼリカ、落ち着くんだ」

「だってあなた、こんな――」

「母上」


 俺は鋭い声で母上を制した。


「彼女は、被害者です。俺に見つかったばかりに、理不尽に恨まれ、殺されかけた。……彼女は、俺じゃなくてもよかったんです。エーベル男爵ともお話ししましたが、いずれ男爵領の青年と結婚させるつもりだったようです。彼女は、卒業後に男爵領へ戻り、穏やかな生活を送り、男爵の認める男と結婚していたでしょう。……俺さえ、いなければ。なりたくもない公爵家の夫人になることはなかった。彼女が決断してくれたのは、俺が彼女を、どうしようもなく好きだからです。ただ、それだけなんです。厳しくすれば、彼女は逃げるかもしれない。そもそも、公爵夫人という立場は、彼女にとってはデメリットでしかない。それでも……なんとか、答えてもらえたんです。彼女は、俺の運命の番です。彼女がいなければ――俺は生きていけない。……この意味、父上なら、お分かりになりますよね?」


 父上は、眉間にしわを寄せながらも頷いた。


「母上のおっしゃる通り、彼女は確かにマナーが得意とは言えません。だからこそ、彼女にとっても公爵家にとっても、社交を免除するべきです。体調を理由に、社交を控えるご夫人もおられます。彼女の後遺症は、言い換えれば体調不良です。嘘にはならない。必要とあれば、彼女も社交に出る覚悟は持っています。それ以外は、できれば、母上に協力していただければと」

「私!?」

「ええ。母上ほど完璧で立派な淑女が、社交界で存在感を持って君臨してくだされば、彼女がいなくても何の問題もないでしょう?」

「あら、よく分かってるじゃない。まあ、そうね」

「後遺症のこともありますし、彼女はいつ社交に出られるようになるかは分かりません。それまでは、母上に公爵夫人として、社交界を引っ張っていただきたいんです」

「……私なら、難しくはないわね」

「さすが母上です。頼りになる」

「まあ、どうしてもと言うなら?」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

「ふふっ、私の出番というわけね。ならば、引き受けましょう。そうと決まったら、お茶会の準備をしないといけないわね。失礼いたしますわ」


 意気揚々と、母上は部屋をあとにした。

 残された俺と父は、沈黙の中、目を合わせた。

 父上は呆れた表情で俺を見ていた。


「お前、あんまりアンゼリカを持ち上げるんじゃない」

「嘘は申しておりませんが」

「一体いつまで俺たちに仕事をさせる気だ。お前が結婚したら俺たちは隠居するつもりだったんだぞ」

「ご冗談を。ウィンターガルドを俺一人で支えろと?」

「……お前は結婚するんだ。ナタリー嬢に支えてもらえばいいだろう。俺はアンゼリカと北の領地で静かに暮らす」

「北にはお祖父様がいらっしゃるじゃないですか。お元気だと伺っています。少なくともお祖父様がお元気な間は、父上には南でご尽力いただきたいです」

「だが、何をすることがある? もう俺の代で軍部を立ち上げ形にした。あとは継続するだけだろう。俺が必要か?」

「そのことなんですが、今後について考えていることがあります」


 俺は最近考えていた、ウィンターガルド公爵領の大改革について、父上に話した。


 大きな柱は三つ。武力、経済、そして政治。


 今のウィンターガルドにあるのは、武力だ。

 父上が立ち上げた軍は、もともとこの地にいた気性の荒い者たちの受け皿になっていた。飢えに苦しみ、賊として生きるほかなかった者たちに、職を与え、生きる意味を与え、軍律と誇りを叩き込んだ。その結果、軍備は強化され、犯罪率は下がり、外部の敵に対する抑止力にもつながった。多少、時間はかかったが、彼らは今やこの地を支える大切な戦力だ。


 だが、これだけでは足りない。


 これから俺が力を注ぐべきは、経済と政治。

 どちらも表裏一体であり、切り離すことはできない。


 今まで俺は、公爵家は、王家に目を付けられないよう、控えめに振る舞ってきた。目立たず、受け身で、牙を隠して。

 だが、ナタリーを守るためには、それでは不十分だ。

 いずれ、王家と渡り合う日が来るかもしれない。俺たちにその意思がなくとも、敵意を持たれる可能性は常にある。ならば――舐められないようにすべきだ。扱いにくい、強気な公爵家として、威圧すら辞さぬ姿勢で、王家と対峙する覚悟をしておかなければならない。少なくとも、抑止力になるような体制を整えたい。


 まずは公爵領を裕福にする経済力だ。

 経済が潤えば、領民の心が潤う。安定した社会は、忠誠心を育てる。

 そして莫大な経済力は、権力そのものだ。

 権力とは、明確な剣ではない。だが確実に、誰かの一歩を封じる見えない刃となる。


 そのために、まずは魔鉱山を巡る統制機関を立ち上げたい。ウィンターガルド領の鉱山だけでなく、他の領地の魔鉱山所有者たちを集めて、協会を作る。

 ここで年間の流通量を調整し、価格を管理する。参加する家には優遇措置を与え、呼びかけに応じなかった家は、不利な条件でしか後から加入できない仕組みにしておく。王家すら無視できぬ存在に育て上げる。



 次に政治力を高めるには、情報が必要だ。

 そのために、隠密隊の層を厚くしたい。特に王都や国内の主要都市に諜報員を派遣し、情報を収集する。だが、ただ送り込むだけでは目立つ。そこで、商会を立ち上げる。表向きは交易、裏では情報工作。これは、経済の強化にも繋がる。

 


 武力、経済、政治――三本の柱を、盤石に築き上げること。

 それが、ナタリーを守るための礎だ。



 父上が築いた武力の基盤に、俺は財と情報と交渉という牙を加える。

 そうして初めて、どこからでも、誰からでも、彼女を守れるのだ。


 他にも忠誠心の高い者を育てるための案や、魔道具開発についてなど、話したいことはあったが、とりあえず重要な改革について話し終えると、父上の意見を待った。


 父上は、ソファにもたれ、天井を仰いでいた。


「……父上?」

「お前、それ、全部するつもりか……」

「はい。どれか一つだけだと、隙が出来るので」

「……軍を作るだけで、だいぶ大変だったんだぞ。お前の代だけで、そんなに出来ると思うか?」


 父上はゆっくりと顔をこちらに向けた。眉間にしわを寄せ、じっと俺を見つめている。

 俺は領地防衛の再構築についても話した。外敵を拒む壁を築き、出入口を限定し、すべての領民と、来訪者に対しては、身分証の発行と常時携帯を義務づける。

 さらに領内の平民には基礎教育と最低限の福祉を提供し、暮らしを安定させることについても。

 なお、教育にはさりげなく「公爵家への感謝」と「忠誠の精神」を組み込む。


「しばらくの財源は、魔鉱石です。その間に商会を大きくします。この中で最も難しいのは、忠誠心を育て、根付かせることです。これは、教育に公爵領への忠誠心を盛り込むことで実現可能です。二十年後には、その効果が現れると考えています。今の領民たちも、決して公爵領に悪感情は持っていない。それは父上とお祖父様が、領民のための領地運営をしてくださったからです。時間はかかりますが、二十年後にはさらに忠誠心の厚い世代が完成する予定です。隠密隊の増員についても案があります。この改革によって、公爵家はより盤石なものとなります。きっと、俺の子や孫の代、その先も――。しかし、これらは俺一人では無理です。だから、父上と母上にも協力していただきたいのです」

「……で、ナタリー嬢は何をするんだ? 俺たちを死ぬまでこき使っておいて、まさかお前の嫁は何もしないわけじゃないよな?」


 父上は、皮肉を込めて吐き捨てるように言った。

 父上が老後を北の領地で母上と二人で静かに過ごすことを楽しみにしていたのを、俺は知っていた。母上が社交好きで、社会に貢献することを生きがいにしていることも。さきほどの話でやる気に火がついた母上を、父上には止められない。だからこそ、嫌味の一つも言いたくなるのだろう。……俺も、もし将来、子どもに同じことを頼まれたら……全力で拒否するだろう。強面からは想像できないが、父上は驚くほど優しい人だ。きっと断れないに違いない。それを分かっていながら、俺は譲らなかった。


「彼女には俺を支えてもらいます」

「具体的には?」

「社交には出しません。彼女を外に出せば、最悪、命の危険もあるでしょう。彼女さえいてくれたら、俺は何でもできます。彼女には好きなことをしていてほしい。その分、俺が働きます。彼女が隣で笑っていてくれたら、いくらでも働きますよ」

「……」


 父上はとうとう、両手で頭を押さえ、深いため息をついた。


「……お前なぁ……」

「父上、お願いします。母上にも、楽しく過ごしてもらえるようにしますから」

「……アンゼリカは、お前の嫁の教育をしたがってたぞ。口ではああ言っていたが、実のところ楽しみにしていたんだ。そして、心配もな。自分も襲撃に遭ったことがあるからな、他人事とは思えないんだろう。いいか、教育は身を守る力にもなる。嫁を甘やかすだけじゃなく、アンゼリカの教育を受けさせろ。それが条件だ」

「……母上の、ですか……ナタリーに相談してみます」


一日に三時間、母上の計画した淑女教育を受けることが父上の条件になった。


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