第三話 「将来の旦那様を探しに仮面舞踏会に行ったら、公爵令息にお持ち帰りされました」
レグナス王国では年に数回、仮面舞踏会があるという。
冬に開催されることが多く、そのほとんどは、ワンナイトロマンスを求める者たちだ。
女好きで有名な伯爵家が開催しており、仮面舞踏会には、貴族なら誰でも参加できる。
ただしドレスコードがあるため、私は友人のサーシャにドレスを借りに来た。
「ねえ、まだー?」
「うるさいわねっ! 突然来てドレス貸してとか正気!? こっちにもいろいろとあるのよ! なんで仮面舞踏会になんか行くのよ!?」
「将来の旦那様を探しに行こうかと思って」
「はあ!!???」
サーシャは何か殴り書きのような手紙を書いていた。
覗こうとしたらはたかれた。痛い。
サーシャの家は商売をしているため、男爵家ながら王都にタウンハウスを構えるほどの裕福さだ。夕方に突然訪問したのに、快く引き受けてくれたところなのだ。
サーシャは手紙に封をして、使用人に預けていた。使用人は慌ただしく走っていった。よほど急用なのかもしれない。
「ごめんって。だって、知ったのがさっきだったんだよ。学生寮の子が行くんだって。なんか未成年でも行けるんだってね? しかも、貴族なら誰でも行けるくらい緩い夜会なんだって。私はドレスなんて持ってないからさ。サーシャなら持ってるかなって。忙しかった? それだったら他の友達に……」
「いや、大丈夫! 私が貸してあげる!」
そうはいったものの、あーだこーだと文句をつけてなかなかドレスを着せてくれなかった。
途中で夕食までごちそうになった。もう開場の時間になったから、こうなったら直接、開催会場に行ってドレスを貸してもらえないか聞こうと思ったところで、さきほどの使用人が慌ててやってきた。サーシャが使用人とこそこそ話を終えると、ようやく私はドレスに着替えさせてもらえた。
淡いラベンダーグレーのAラインドレス。首元や袖は薄いレースで覆われていた。
「あれ? 仮面舞踏会って、もっと大胆なドレスじゃないとダメなんじゃ?」
「透けたレースがセクシーでしょ? ほら、もう行って来なさい! くれぐれも知らない人に付いていかないようにね!」
「……いってきまーす」
私の夢は小説家である。
できれば一日中、執筆していたい。
そうなると、昼間に仕事をするのは避けたい。
だから、文官や侍女など、普通の仕事は却下だ。
次に、どこかの貴族の妻。
これも忙しいからダメだ。
うちの母さんは、男爵夫人の仕事もしながら、畑仕事、料理や掃除まで何でもこなしていた。もちろん乳母なんていないから、子育ても。
執筆なんてできるはずがない。
この選択肢は、絶対に却下だった。
だから、私の理想は、引退した元貴族の後妻だ。
子供を産む必要がない。
むしろ相続がややこしくなるから産んでほしくないだろう。
おじいちゃんだったら、閨の機会も少ないはずだ。
引退してるなら社交の必要はないだろうし、穏やかな人だったら言うことなし。
仮面舞踏会では、高位の貴族にも話しかけて良いと、寮の子たちが言っていた。
普通の夜会じゃ、そんなの絶対ムリ。
こんな機会でもない限り、おじいちゃん貴族と出会えない。
父さんにお願いしたけど、希望を伝えたら即反対されて、お見合いなんて全然探してくれない。
だから、自分で動くまでだ。
仮面舞踏会の会場は、ある伯爵家の邸宅だった。
入り口で仮面を渡され、それをつけて中へ入る。
天井が高くシャンデリアが複数吊るされた豪華なホールに入った。
壁側では楽団が音楽を奏でていて、すでに何組かの男女がダンスをしていた。
(もうとっくに始まっちゃってる!出遅れた!)
早くめぼしいおじいちゃんに声をかけねば。
周りを見渡すが、みんな仮面をしていて、顔が見えなかった。
(しまった!仮面で年齢わかんないじゃん!!)
顔で判断できないなら、白髪で判断するしかない。あとは、背骨の曲がり具合。
エーベル男爵領にいた最長老のおじいちゃん職人を思い浮かべて探すが、いない。
首をかしげて次は白髪を探すが、白髪交じりの人はいても、真っ白の人はいなかった。
(おじいちゃんは早寝だから夜会には来ないのかな?)
白髪交じりの人にとりあえず話しかけるか迷っていると、声をかけられた。
「なにをしているんだ」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには仮面をつけたゴリラがいた。
息が少し上がっている。走ってきたのだろうか。
そしてなんと彼は、場違いなことに、軍服を着ていた。
肩から下がる金の飾り紐は、私が見たことのあるどの軍服よりも多く、重そうだった。
胸元には星の形をした勲章が三つも並び、腰のベルトのバックルには、ウィンターガルド公爵家の紋章が堂々と刻まれていた。
一目見て只者ではないと分かる軍服だった。おそらくウィンターガルド軍の礼装用なのだろう。
ゴリラは嫡男で、ウィンターガルド領の次の最高指揮官だから、軍服の特別感も当然なんだろうけど……。
(仮面舞踏会なのに、そんなの見たら誰かすぐ分かるじゃん……!)
呆れた気持ちで彼を見つめた。
すると、飾り紐が少し曲がってることに気が付いた。
「……飾り紐が、ちょっと曲がってるよ」
「そんなことはどうでもいい」
「直してあげる」
私は手を伸ばし、飾り紐を整えてあげた。
すると、周囲からざわめきが起こった。
振り向くと、仮面の貴族たちがこちらを見ていた。
(ん?)
さっきまでは、誰も私を気にかけていなかったのに。
やっぱりこの軍服は相当目立っているらしい。
でもヒソヒソと囁かれているのが気になった。
「ねえ、もしかして、これ触っちゃいけないやつだった?」
不敬罪とかになったらどうしよう。
「いや、君なら大丈夫だ」
「そう? でも……」
周囲を見渡すと、彼が再び尋ねてきた。
「どうしてこんなところに来たんだ?」
「うん? 将来の旦那様を探そうと思ってね」
「ここで!?」
(生きが悪ければ悪いほどいい。死にかけてくれてたら最高だ)
「……」
「いないかなあ。うんと年上で、目がかすんでて、耳もちょっと遠いくらいの」
「……俺でいいじゃないか」
ゴリラを見つめる。
まだ若く、先は長そうだ。しかも公爵家嫡男。無理である。
「無理である」
思わず口から洩れた。
「隠居貴族の後妻を狙ってるの。できるだけ死にかけてる人がいいな」
「……」
夫になってくれる老人を物色し始める。
「死にかけている老人は、こんなところに来ない。ここにいるのは、生命力にあふれた男たちだ」
雷に打たれたような衝撃だった。
「た、たしかに!」
この日は諦めて帰ることにした。
「送っていく」
「サーシャに借りた馬車があるからいいわ」
「君は、こんな夜中に学園寮に帰るのか? 門限は? そのドレス、一人で脱げるのか? クリーニングはどうする? それとも、こんな時間にサーシャ嬢のところを訪ねるつもりか?」
彼は畳みかけるようにいくつもの疑問を挙げた。
再び、雷に打たれた。
「ほ、ほんとだ!! 門限!! ど、どうしよう……」
意味もなく視線を左右に振る。
もうとっくに門限は過ぎていた。門限破りの罰は一カ月のトイレ掃除、無断外泊は一週間である。なぜか門限破りの方が重い罰なのだ。こうなったら、別の場所に泊まるしかない。
「……とりあえず、サーシャのところにいくしか……」
考えてなかったが、ドレスだって持ち運ぶのが大変だ。
クリーニングだって、どこに出せばいいのか分からない。
サーシャに土下座して、家に入れてもらうしかない。
「うちに来ればいい」
「え?」
「客室で寝るといい。部屋はいくらでもある。侍女もいるからドレスの管理も心配ない。寮にも使用人に連絡させて上手く説明しておこう」
「ありがとうございます! お世話になります!」
サーシャに貸してもらった馬車は、御者にお礼と事情を言って帰ってもらった。
夜中まで働かせてしまい申し訳なかった。
仮面舞踏会の煌びやかな灯を背に、ゴリラと一緒に公爵家の馬車でタウンハウスに向かった。
将来の旦那様は見つけられなかったけど、いつか小説の役に立つかもしれない。
良い経験ができたと思うことにしよう。
このあと社交界で、「ウィンターガルド公爵令息が一人の男爵令嬢をお持ち帰りした」と噂になっていたことを、私が知ったのは、ずいぶん後のことだった。
***
その夜、タウンハウスの自室で、グレゴリオスは、静かに息をついた。
――危なかった。
サーシャ嬢から緊急の手紙をもらって慌てて準備した。
見慣れない男爵家からの手紙だったため、使用人がいくら緊急だと訴えても、俺の元に届くまで数時間かかってしまった。
引き下がらないその使用人に根負けして、手紙の中身を確認した執事から連絡をもらったときは、肝が冷えた。
ナタリーは、年上が好きなのだろうか?
枯れ専というやつか?
他は変えられても、年齢だけは変えられない。
それにしても、あんな場所で、一人だけレースで首元まで覆うドレスを着ていた彼女はかなり目立っていた。
もともと、きれいな顔立ちをしているから、周りの男たちは狙っていたに違いない。
俺が到着したとき、彼女に声をかけようとしていた男どもがいた。
慌てて声をかけたが、軍服で来て正解だった。
誰が彼女に声をかけたか、一目で分からせることができた。
そのおかげで、以後、誰も彼女に近づこうとしなかった。
家名がなければ、俺なんてまだ16歳の未成年だ。
彼女を狙う輩に舐められて、ひと悶着あったかもしれない。
本当に……あと五分遅れていたらと思うと身の毛がよだつ。
明日、サーシャ嬢には礼をしなければ。
彼女と初めて話す前に、友人たちに声をかけておいたのは正解だった――グレゴリオスは、胸をなでおろしたのだった。
作中に出てくる「生きが悪い」は、ナタリーの造語です。
正しくは「活きが悪い」なのですが、それだと魚みたいでちょっと残酷すぎるかな……と思い、あえてこの表現にしました。




