突然の別れ
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ウィンターガルド領に移って、三週間が過ぎた頃。
ゴリラの両親である公爵夫妻が、南の領地へと戻ってきた。
ウィンターガルド領は、少し特殊な形をしている。
北と南、離れた二つの地域に領地が分かれているのだ。
それは、ゴリラのお祖父様――初代ウィンターガルド公爵にまつわる事情によるものだった。
彼はもともと、王家の第二王子として生まれた人物だった。
あまりにも優秀すぎたがゆえに、当時の王太子(後の国王)に疎まれていた。そして、王太子が戴冠すると同時にウィンターガルド公爵の位を賜り、北のエルフェン地方を任された。
エルフェン地方は、公爵領とは名ばかりの、寂れた寒冷地だった。
だが彼は、荒れ果てていたエルフェン領を、わずか数年で立て直した。
ちょうどその頃、レグナス王国全土が冷夏による食糧難に見舞われ、とくに南部では民が暴徒化し、領主の夜逃げが相次いでいた。
初代公爵の手腕を見込んだ王家は、彼に南の領地を任せようとした。
しかし、エルフェン領の民は初代公爵を深く慕い、これからもこの地を治めてほしいと強く願った。
民の声を受けて、初代公爵は王家にこう申し出た。
「南の領地を引き受けるかわりに、北も引き続き統治させてください」と。
王家はその申し出を承諾し、初代は北と南、両方の領地を治めることとなった。
その際、もともと「エルフェン領」と呼ばれていた北の地は、新たに「ウィンターガルド領」と名を改められた。
本来、貴族の家名と領地名は別々にするのが通例だ。
だが初代公爵は、「北も我が領地であることを明示し、守り抜く」という意思を込めて、領地名を自らの名に合わせたのだという。
それ以降、北と南を区別するために「北の領地」「南の領地」と呼び分けられるようになったが、どちらも正式にウィンターガルド領である。ただし、領地の広さや領民の数では南が圧倒的であり、公爵家の本邸も南に置かれている。
このため、単に「ウィンターガルド領」と言った場合、たいていは南を指すことが多い。
ちなみに、レグナス王国で、離れた場所に複数の領地を持つ貴族は、このウィンターガルド公爵家だけである。
また、家名と領地名が一致しているのも、この家のみだ。
……という話は、公爵家に滞在し始めてすぐ、家庭教師の先生に教わった。
「そんな基本も知らないのか」と、先生がちょっとお怒り気味だったのをよく覚えている。
卒業パーティーがあった日、ゴリラのご両親である公爵夫妻は北の領地にいたらしい。
その後、あの事件が起き、私たちと入れ違いになる形で公爵夫妻は王都に着いた。
事件の後処理を終えた夫妻は、ようやくこの南ウィンターガルド領へ戻ってきた。
そして私は、ついにウィンターガルド公爵夫妻と対面することになった。
――あれは、衝撃だった。
***
それは、ちょうどゴリラに「愛称を変えてくれないか」と言われた日のことだった。
私は少し考えたあとに、決め顔でこう返した。
「ゴリラでいいじゃない。だってあなたは、世界一素敵なゴリラなんだから」
けれどゴリラは、なんでもない顔でこう答えた。
「いや、世界一素敵でも……ゴリラはゴリラだから」
「ええっ!?」
おかしい。
この愛称の良さが伝わらないなんて、きっと何かの間違いだ。
私は、ゴリラという呼び名に込めた愛くるしさ、重み、可能性について熱弁をふるっていた。
その最中に、使用人が「公爵夫妻が屋敷に到着されました」と知らせに来た。
そして直後に、公爵夫妻が目の前に現れた。
私は、ウィンターガルド公爵の姿を見て、言葉を失った。
瞬きすら忘れて、じっと見つめてしまった。
そこには――
まごうことなき、本物のゴリラがいた。
まず、身長が高い。
ゴリラも私より二十センチほど高いが、真正ゴリラは二メートルはあるのではないだろうか?
しかも身体の厚みがすごい。
筋肉……?
筋肉だけであんなにゴツくなるのだろうか?
同じ人間とは思えない。威圧感が半端ない。
顔も……濃い。
濃いし、渋い。昔の戦士みたいな、骨太な男前だ。
整ってはいるのだけれど、隣の優美で涼やかな顔立ちのゴリラとは、似ても似つかない。
思わず、隣のゴリラと真正ゴリラを何度も見比べてしまった。
そして、真正ゴリラが口を開いた。
「ただいま戻った。そちらは、ナタリー・エーベル男爵令嬢か? 私は、グレゴリオスの父、エイゴリオス・ウィンターガルドだ。よろしく頼む」
――エイゴリオス……なんと、名前までゴリラっぽい。
しかも只者ではない気配が溢れる、重厚な低音ボイス。
むしろ、ボスゴリラだと言われても違和感がない。
(もう、これは……)
本物のゴリラは、この人だ。
そう思わずにはいられない。
グレゴリオスも嫌がっていたことだし、ゴリラの命名は、父公爵に譲ろうと思う。
彼よりもずっとゴリラっぽい。この人こそ、ゴリラだ。
私は心の中でそっと元ゴリラに謝った。
グレゴリオスは苦虫を嚙み潰したような表情で、小さな声で呟いた。
「いや……なんだか複雑な気分だな……」
「ナタリー・エーベルです。ゴリ……ウィンターガルド公爵にお会いできて光栄です! えっと……公爵家に滞在させてもらっています! よろしくお願いします!」
「うむ、元気が良いな。妻のアンゼリカだ」
「アンゼリカ・ウィンターガルドよ。ナタリーさん、あなた、全然マナーがなっていないわね? 現公爵夫人でありグレゴリオスの母として、あなたを厳しく鍛えて差し上げるわ。覚悟なさい」
「……!」
真正ゴリラの隣にいたのは、金髪碧眼の美女だった。まるで、グレゴリオスをそのまま女性にしたような顔立ちだ。
黒髪で淡い青灰色の瞳を持つ真正ゴリラの要素は、一切グレゴリオスに受け継がれなかった。
強さと美しさの戦いは、美しさが勝ったらしい。
むしろ、真正ゴリラがよくこの美女と結婚できたものだと驚くばかりだ。
でも、名前に劣らないゴリラ具合は評価に値する。
きっと公爵夫妻も、まさかグレゴリオスにゴリラ要素が一切受け継がれないとは思わなくて名づけしたんだろう。
グレゴリオスの唯一の欠点は、名が体を表していないことかもしれない。ミスマッチ過ぎる。
そんな考えを巡らせていると、グレゴリオスがスッと私の前に立ち話し始めた。
「父上、母上、お戻りをお待ちしておりました。このたびの件では、王都でのご対応、誠にありがとうございました。つきましては、早急にお伝えしたいことがあります。お時間をいただけますか?」
「……分かった。執務室へ来い」
「ありがとうございます」
公爵夫妻は身を翻し、屋敷の中へと向かった。
グレゴリオスは、私の方に向きなおして優しく囁いた。
「大丈夫だ。心配しなくていい。俺から話はつけておく。今から話し合いをしてくるから、君は自由に過ごすといい」
「うん? 私は一緒に行かなくていいの?」
「ああ、俺に任せてくれ」
「わかったわ」
なんの話をつけに行くのかは分からなかったが、一緒に行ったところで何を話せばいいか分からないため、ありがたくお言葉に甘えておこう。
屋敷に向かう彼を見送り、私は大事なことを考えることにした。
そう。
――彼の新しい愛称についてだ。




