手紙
ナタリーの父視点は今回で最後となります。
翌朝、朝食を終えたら、俺は王都を発つつもりでいた。
そのことを朝食の席で、ナタリーに伝えた。
「えっ、今日一人で帰るの!? この後すぐ!? なんで!?」
「お前たちの気持ちも確認できたしな。それに、村のことが心配だ」
「あ……そっか。今は兄さんに任せてるんだったよね。でも、そんな急に予定を変えたら、グレゴリオスだって困るんじゃない?」
「いや、昨夜、お父上から聞いていたから問題ない」
「そうなの!? なに、いつの間にそんなに仲良くなったの?」
グレゴリオス君と俺は、視線を交わして笑い合った。
「男同士なんてのは、酒を酌み交わせばだいたい分かり合えるもんさ」
「ふーん? ……じゃあ、本当に行っちゃうんだ。ごちそうさまでした!」
そう言って、ナタリーは突然席を立った。
「父さんはゆっくり食べてて! 渡したいものがあるから、私がお見送りに行くまで、絶対に出発しないでね! あ、私の分は後で食べるから、置いておいてください!」
朝食にほとんど手をつけないまま、娘は足早に部屋を出ていった。
……本当に、先が思いやられる。
こんなんで、公爵家の嫁が務まるのか。
「……本当に娘でいいんですか? 今ならまだ間に合いますよ?」
「ナタリーがいいんです。……俺に必要なのは、彼女だけ、なんです」
「まあ、あなたがそう言うなら……いいんですが」
朝から甘い微笑みを浮かべるグレゴリオス君は、なんとも幸せそうだった。
彼が守ってくれるなら、きっと大丈夫だろう。
***
朝食後に身支度を整え、屋敷の玄関で出発の準備をしていると、バタバタと足音を立ててナタリーがやってきた。
「遅くなってごめん! 書いてたら長くなっちゃって。はい、これ!」
満面の笑みで差し出されたのは、一通の手紙だった。
「帰りに読んでね!」
「ああ。では、お世話になりました。突然の訪問にも関わらず、対応いただき感謝します。……ナタリー、元気でな」
「うん!」
「……グレゴリオス君、娘を、頼むぞ」
「えっ!?」
「はい。全力で、大切にします。どうかご安心ください」
「ええっ!?」
「うむ。じゃあな」
「ちょ、ちょっと待って! どういうこと? 父さん、反対してたんじゃなかったの!?」
俺は呆れた目で娘を見下ろした。
「お前なぁ……俺が一人で帰ると言った時点で分かるだろう? 次に会えるのは、結婚式か? 礼儀作法と準備、がんばれよ。じゃあな」
屋敷の玄関先で、一同が見送ってくれた。
娘はまだ騒いでいたが、構わずに馬に乗り、ゆっくりと歩き始めた。
少し進んでから振り返ると、娘が元気よく手を振っていた。
その姿につられて、思わず笑みがこぼれる。
公爵家からは護衛付きの馬車を用意するという話もあったが、どうせ村に入る道は狭く、馬車では通れない。
だから丁重に断った。とはいえ、村までの護衛はつけるとのことだった。
王都を出ると、寂しさを振り払うように馬を走らせた。
後方には、三頭の馬が適度な距離をあけてついてくる。
公爵家の騎士団だ。護衛を嫌がる俺に配慮して、あえて距離を取っているらしい。
俺まで護衛対象にするとは、婿殿はどれだけ過保護なんだか。
夕方には宿を取り、食事を済ませた。
騎士団の連中も、別のテーブルで食事をしている。
いつも泊まる宿より、ずいぶんと良い宿だった。
道中の費用はすべて公爵家が負担してくれているらしく、宿探しも支払いも、俺が動く前に騎士たちがさっさと済ませてしまった。
金銭目当てで娘を嫁に出すつもりは毛頭ないが、こうした細やかな配慮を見るに、社交界での評判を気にしているのだろう。
ありがたく、甘んじて受けておく。
なんとなく、酔ったところを見られるのが気恥ずかしくて、酒は部屋で飲むことにした。
食堂で赤ワインを注文すると、澄んだガラスのカラフェとワイングラスに注がれて、部屋まで運ばれてきた。
ひとりで静かに飲むには、十分すぎる量だった。
灯りの下で、ルビー色の液体が揺れる。
昨夜、グレゴリオス君が飲んでいたのも、こんな色のワインだった。
公爵家のワインと宿屋のワインでは、味は雲泥の差だろうが。
ふと思い出し、ナタリーから渡された手紙を取り出す。
あいつは小さい頃から、文字を書くのが好きだった。
よく手習いで書いた手紙をもらったものだ。
「なんでそらはあおいんですか。わたしはあかいのがいいです。」
「おとうさんへ だいだいだいだいだいだいすき。さて、なんこだいとかいたでしょう?」
たどたどしい字で自由に綴られた手紙に、いつも笑わせてもらった。
懐かしさに自然と口元がほころぶ。
さて、今回はまた、どんな突飛な手紙を書いてくれたのか。
『父さんへ
先日、無事にステラリウム王立学園を卒業することが出来ました。
今だから言うけど、一年生の頃は、卒業できるかどうか不安な時もありました。
でも二年生で政務科に進んで、少し授業が面白くなったの。
政務科では領地経営や文官の仕事について学びました。
そこで、私が思い出したのは、いつも父さんの背中。
そして授業で「男爵領には通常、一人の文官が任命される」と習ったとき、ふと考えたの。
あれ? うちにはいなかったなって。
そう気づいた時に、ようやく分かったんだ。
父さんが全部、一人でやっていたんだって。
書類も、予算も、報告書も、問い合わせも。
誰かに任せることもせず、毎晩遅くまで灯りをともして働いていたのは、全部、領地のためだったんだって。
高い税を課して裕福になっている領主もいると学んだけれど、うちは違ったよね。
決して便利とは言えない場所なのに、みんな笑っていて、誇らしそうに「うちはいいところだ」と言っていた。
……それは、父さんと母さんが作ってきたものだったんだと、やっと、心からそう思えるようになりました。
そういえば、私が体術を習いたくて自警団に行ったとき、女だという理由で追い返されそうになったことがあったよね。
あのとき、父さんがみんなに「こいつは根性があるから、やらせてやってくれ」と言ってくれた。
その一言で、私は受け入れてもらえたし、みんなが父さんをどれほど尊敬しているのかが伝わってきました。
実は、父さんが本当は私の怪我を心配していたこと、私はちゃんと気づいていました。
それでも、私がやりたいと言ったことは、何も否定せずにやらせてくれた。
ありがとう、父さん。
小さい頃は、父さんと母さんが忙しくて構ってもらえないことにひねくれたこともありました。
でも今なら分かる。二人とも、大事な仕事をしていたんだよね。
そしてそんな中でも、私のことをちゃんと見てくれていた。
今回も、心配して王都まで来てくれてありがとう。
まさか来てくれるとは思わなかったから、とても驚きました。
真剣に心配してくれて、改めて愛情を感じました。
私は、父さんの子供に生まれてこれて幸せです。
グレゴリオスの怪我が治ったら、そっちに帰れると思います。
そしたら、父さんに私たちの結婚を認めてもらえるように、頑張るね!
彼は本当に、誠実な人だよ。
父さんが心配しているような裏がある人じゃないって、きっと分かってもらえると思う。
優しい父さんだから、信じてくれるって、私は信じてる。
村に帰ったら、私も何か手伝えることがあるかもしれません。
成長した、新しい私を楽しみにしていてください。
私の、自慢の父さんへ。
追伸
「会合だ会合だ」と言って出かけるのを、お酒を飲みたいだけだと思っていて、本当にごめんなさい。
領民と距離が近い、頼りになる領主だったんだね。
でも、あんまり飲みすぎちゃだめだよ。
体に気を付けて。無理はしすぎないでね。
ナタリーより』
読み終わったとき、目尻から雫が零れた。
あいつは、いつの間にか、成長したんだな……。
そういえば、もうすぐ成人だ。
もう、大人だ。
結婚を認めた話を帰る直前にしたから、まだ村に帰ってくる気でいたんだな。
だが、ナタリーが我が家に戻ることは、もうない。
ナタリーの身の安全のためには、村では不十分だからだ。
昨夜、グレゴリオス君と話し合い、ナタリーはこのままウィンターガルド公爵領へ連れて行ってもらうことになった。あそこには軍もあるから安心だそうだ。
求婚だけで命を狙われた娘だ。
婚約が明らかになれば、さらに危険になるかもしれない。
だから、あいつがもう家に帰ってくることはない。
また目尻から零れそうになる雫を、目をぎゅっと閉じて、耐えた。
もっとも、公爵領からは、婚約が整う前にエーベル男爵領にも兵を派遣すると言われた。
ナタリーの家族である俺たちが、人質に取られる可能性もゼロではないらしい。
本当に、とんでもない人物に見染められたものだ。
それにしても、あいつは鈍すぎるところがあるが、大丈夫なんだろうか。
俺が「一人で帰る」と言った時点で、結婚を許したと気づいてほしかったんだが……。
小説を書くくせに、人の心の機微に疎かったり。
そうかと思えば、こんな手紙をよこしてきたり。
……ほんとに、面白い奴だ。
***
家に帰ると、妻が不安そうな顔で出迎えた。
ナタリーを連れて帰らなかったことに動揺していたが、あいつらの熱愛っぷりを冗談を交えながら話すと、ようやく笑顔になった。
子ども達も心配していたようで、「とんでもない美形の公爵令息を捕まえとったぞ」と言うと、皆そろって驚いていた。
特に三女は「ずるい! 羨ましい!」と怒ってたな。
だが公爵令息の溺愛っぷりを話したら、全員が引いていた。
特に残り物を嬉しそうに食べる話で、「公爵令息は変態」というイメージが定着してしまったような気がする。
グレゴリオス君には申し訳ないが、俺はそのままにしておいた。
そのあと、子どもたちはきょうだいだけで、こそこそと話していた。
「あいつ容姿は良いけど……中身がバレたら、出戻りになるんじゃね?」
「ナタリー姉ちゃん、可哀そう」
「ナタリー姉に公爵夫人なんて勤まるわけないんだから、その時は温かく迎えてあげよう!」
そう言っていたのを、俺はしっかり聞いていた。
……でもなあ。
たぶん、そんな未来は来ないと思うぞ。
……婿殿が、あいつを離さんだろう。
俺は笑いながら、エールビールを味わった。
庶民的だけど、ほっとする味だった。
この味が、俺の居場所なんだと思った。




