騙されている娘と異常な公爵令息(と使用人たち)
ナタリーの父視点です。
本編中のグレゴリオスの様子も垣間見える回です。
ウィンターガルド公爵家のタウンハウスで客室に通されてから、俺は落ち込んでいた。
……公爵家の嫡男にあんな態度を取ってしまって、不敬罪にならないだろうか……。
娘が危ない目に遭ったと聞いて、つい頭に血が上ってしまった。
妻を連れてこなくて正解だった。
妻は型破りな性格だから、あの場にいたら、公爵令息に掴みかかっていたかもしれない。
ちなみに、ナタリーは妻似だ。
俺は両手で顔を覆い、声にならないため息を漏らした。
ナタリーは、すっかりあの公爵令息を信じ込んでいるようだった。
そりゃあ、あんな美形に優しくされたら、舞い上がるのも無理はない。
領地にもいたものだ。王都に出稼ぎに行って、悪い男に騙されて捨てられた娘たちが。
そういう娘たちは決まって、親の言うことは聞かないんだ。
娘を正気に戻すには、どうしたらいいのか……。
そんな風に考えていると、ノックの音がした後すぐに扉が開いて娘が入ってきた。
「父さん、ちょっといい?」
「ああ、ナタリーか……」
娘は俺の正面にあるソファに腰を下ろした。
「さっきはあんまり話せなかったからさ。すごい興奮してたけど大丈夫?」
「あ、ああ……。そんなつもりじゃなかったんだが、取り乱してしまってな。不敬罪にならないといいんだが……」
「ゴ……グレゴリオスは、そんなことしないよ。大丈夫!」
「そ、そうか」
娘の言うことは信じたいが、信じきれなかった。
貴族というものは、ずる賢いものだからだ。
娘が知らない裏の顔があってもおかしくない。
俺は周りを見渡した。
さっきのことがあったせいで、また誰かが聞いているんじゃないかと疑ってしまう。
「今は聞かれてないよ。父さんと二人で話したいし、邪魔しないでって彼に言っておいた」
「邪魔……まあ、そうだな……」
公爵令息にそんな言い方をして大丈夫なのか気になったが、話を進めることにした。
「お前、本当に……あの男と結婚するつもりなのか?」
「うん」
「小説家になりたいんじゃなかったのか?」
「うん、なりたいよ。結婚しても小説を書いていいんだって」
「お前……そんなこと出来るわけないじゃないか……」
ウィンターガルドといえば、公爵家の中でも別格の存在だ。
男爵家では想像できないほど社交の機会は多いだろう。
思いつくところだけでも、家政の統括、慈善・文化活動の後援、政治交渉や情報収集……ウィンターガルド公爵領となると交易港もあるから、他国が侵略してきたら戦場となる可能性だってある。
その時に、戦地に出た公爵の代わりに領地を治めるのは妻の役目だ。
ナタリーに務まるとは思えない。
ましてや、公爵夫人の務めを果たしながら小説なんて、無理だ。
……やはり、娘は騙されている。
「なんとかなるって言ってたよ? 私を病弱ってことにして、社交を免除してくれるんだって。最低限の社交以外は、執筆してていいって言われたよ」
「……は?」
思わず声が漏れた。具体的すぎる話に、言葉を失った。
たしかに、体が弱いという理由で社交に出ない貴婦人は少数ながらいる。
まさか、本気で……?
いや、そんなはずはない。
きっと形だけの結婚でいいという話なのだろう。
やはり、本来は妻にできないような身分の者が本命にいるのかもしれない。
しばらく話していると、再びノックの音がして、夕食だと告げられた。
ナタリーと共に、食堂に向かい夕食の席に着いた。
だがそこには、公爵令息の姿はなかった。
「グレゴリオス様はただいまお怪我で療養中のため、お部屋からは出られません。今夜はご息女様とのご夕食を、どうかごゆっくりお楽しみください。お口に合えば幸いでございます」
執事がそう言い終わると、順番にコース料理が運ばれてきた。
料理は、どれも舌鼓を打つほどの美味しさだった。
スープも前菜もメインも、どこかしらに肉が使われていたのが少し気になったが、ナタリーの好物に合わせてあるのかもしれない。
娘は嬉しそうに、モリモリと口に運んでいた。
使用人たちも、それを微笑ましく見守っている。
それだけで、娘がこの家で大切にされていることが伝わってきた。
料理があまりに美味しくて、俺はつい食べすぎてしまった。
腹をさすっていると、娘が笑顔で言う。
「大丈夫だよ、父さん。残ったものは、後で屋敷のみんなで食べるんだって。だから無理しなくて大丈夫!」
「あ、ああ、そうか。わかった」
領地では、ほぼ自給自足の生活で、食べ物を残すなんてことはない。
そもそも、家族全員が食欲旺盛だから、我が家の大皿はいつもあっという間に空になる。
公爵家ともなると余るほど料理を出すのが当たり前なのだろう。
それを気にして口にするあたり、やっぱりナタリーらしい。俺は、ふっと笑った。
だが次の瞬間、思わぬ言葉が娘の口から飛び出した。
「グレゴリオスは食いしん坊なんだよ! 私の残した分は、いつも彼が嬉しそうに食べちゃうの」
「……うん?」
食堂の空気が、一瞬で変わった気がした。
使用人たちが、俺と目を合わせなくなった。
さっきまでの穏やかな雰囲気が、どこかへ消えていた。
――公爵令息が、残り物を?
それも、嬉しそうに?
……違和感しかない。
だが、まるで良い話でもしたかのように満足げな娘の様子を見て、否定の言葉は飲み込んだ。
その後、食事を終えて各部屋に戻ったが、俺はどうしても気になって、使用人に尋ねた。
先ほどの話は、本当なのか、と。
使用人は、顔を真っ青にしてたどたどしく答えた。
「は、はい……。あの……グレゴリオス様は、食べ物をとても大切にされるお方でして……。ナタリー様から一度、その、注意を受けられたこともありまして……。ええ、そのためでして……! け、決して、やましい理由などでは……ないと思いますっ……!」
そう言うと、使用人は逃げるようにその場を後にした。
残り物を食べるなど……それこそ、家族や使用人がするような行いだ。
「……もしかして、本当に……?」
半信半疑のまま、その夜は眠りについた。
***
翌朝、朝食を終えた俺は、またしても信じがたい光景を目にすることになる。
「……ナタリー……何をしているんだ?」
「え? 執筆だけど?」
娘は、公爵令息の自室の立派な机と椅子に、当然のように腰掛けていた。
その堂々たる様は、まるでこの部屋の主のようだった。
「お前……いくらなんでも、それは公爵家に失礼だろう……」
「どうして? ここで執筆していいって言われたよ?」
「それは社交辞令……」
「エーベル男爵」
隣の部屋から、公爵令息が現れた。
「ここで執筆してくれと頼んだのは私です。だから彼女には気にしないで執筆してほしいんです。この椅子も机も、元々自分の書類仕事用に書きやすさを重視して作らせた特注品で、きっと執筆もはかどるかと」
「すっごい座りやすいんだよ!」
申し訳なさそうな公爵令息と、何も考えなさそうな娘。
「しかし、若い男女が同じ部屋というのは、感心しませんな」
「何もやましいことは…………ありません」
(絶対あるだろう! 昨日、抱き合ってたじゃないか!)
喉まで出かかったツッコミを、理性で飲み込んだ。
そのまましばらく部屋に居座ってみたが、特に変わったことは起きなかった。
「……ゴリラ……やっぱりタイトルに入れたいよね……ふふっ……」
娘がひたすら楽しそうに独り言を言いながら書き物をしているだけだった。
退屈だった俺は、扉を開けたまま退室した。
昨日とは違い、侍従と侍女が部屋にいたから、まあ良しとしよう。
部屋に戻ると、執事が庭園の散歩を勧めてきた。
特にすることもないので、行ってみることにした。
まだ三月だが、今日は天気が良く、庭園に降り注ぐ陽光は温かかった。
庭園には、一面にチューリップがグラデーションになるように植えられていた。
その風景は、まるで絵画のような光景だった。
庭園のガゼボに腰を下ろすと、銀のポットから香り高い紅茶が注がれた。
「あの、僭越ですが……」と最初に話しかけてきたのは、屋敷に長く仕えていそうな、穏やかな侍女だった。
「グレゴリオス様は、ナタリー様のことを……ずっと、気にかけておられました」
それからというもの、入れ代わり立ち代わり、使用人たちが『あの方の真剣さ』を語りに来た。
まずは侍女だ。
「今、ナタリー様が滞在しておられる客室は、元々は落ち着いた色合いのお部屋でした。初めてナタリー様がこちらにお泊りになったのは、一年ほど前のことでした。それは偶然の出来事で、もちろんグレゴリオス様は紳士的に対応しておられました。その直後に、グレゴリオス様はその客室を、若い女性が好む内装に替えたいと、模様替えを言い渡されました。壁紙から調度品まで、すべてグレゴリオス様がお決めになり、それはもう熱心なご様子でした。もちろんこのお部屋は、ナタリー様しかご利用になっておりません」
そして次は、若い男だった。
「自分は主であるグレゴリオス様の命で、エーベル嬢の護衛をしております。主は、エーベル嬢に夢中です。それだけは断言できます。自分も、なぜあんな変わった……というか、変態……いえ、自由奔放なお方を見染めるのかと不思議には思いましたが、やっと両想いになったんです。どうか認めてもらえませんか? エーベル嬢が誘拐されたのは……自分が目を離したせいなんです……一生お仕えしてお守りするので……どうか……お許しを……」
その男は、最後には号泣していて……俺はドン引きだった。
ちょっと待ってくれ、熱量が違い過ぎる……。
男は護衛をしてると言っていたが、婚約もしていない女の護衛を、普通つけるか?
背筋が冷たくなった。
最後には執事までも。
「グレゴリオス様がナタリー様に初めて出会った日は、忘れもしません。真っ赤な顔で帰宅されました。心臓が異常な速さで鼓動していたそうで、すぐに主治医を呼ばれました。それが身体的な異変ではないことを知り、愕然とされておりました。その後すぐに、王都の有名な菓子折りをご所望になり、ナタリー様に渡すのかと思いきや、ナタリー様のご学友に贈り情報収集されておりました。なかなか話しかけられなかったようです。やっと話しかけたときには、初対面で『ヒョロ男』と言われたそうで、それ以来、グレゴリオス様は鍛錬に励まれ、筋肉を身に付けておられます。そのおかげで、先日の刺殺事件では筋肉が刃物の侵入を防ぎ、一命をとりとめたのですが……。え? 刺殺事件ですか? ナタリー様をかばって刺されたと聞いております。犯人は、グレゴリオス様に懸想していた伯爵令嬢だったそうです。愚かなことです。グレゴリオス様が愛を注がれるのは、ナタリー様お一人だけですのに。……エーベル男爵閣下、どうされました? 顔色が悪いようですが……?」
俺は情報過多で頭を抱えるしかなかった。
✦補足✦
ナタリーは「ヒョロ男」と言うつもりはなかったんですが、その部分だけうっかり口から洩れてしまっていました。(第一話)
それを聞いたグレゴリオスは、ナタリーの好みのタイプが筋肉質な男と勘違いし、好きになってもらおうと必死に鍛錬をしていました。(健気)
卒業時には努力の甲斐あって、それなりに筋肉がついてます(笑)
ちなみに、ナタリーはただ「名前と見た目が合わない」って思っていただけです。
なお、グレゴリオスがナタリーの残り物を食べるのは、変態的な意味ではなく、ナタリーと約束したことと(第四話)、ナタリーの食べかけを他の者(特に男)に食べられるのが嫌だからです。
今後、グレゴリオスがヤンデレっぽい描写があるかもしれません。(タグ追加しました)
ヤンデレが苦手な方はご注意ください。
実際に病んだり暴走したりはしない予定ですが、たまに予定を無視してキャラが勝手に動くのであくまで予定です。




