第十七話 カミラ・グレイン伯爵令嬢視点
※この話には、登場人物の偏った思い込みによる強い執着描写や、処刑を連想させる場面があります。苦手な方はご注意ください。
グレイン伯爵家には、昔から闇属性の魔力を持つ者が多く生まれてきた。
魔力の強さには個体差があるものの、その属性はおおむね血筋に従う。
たとえば、王家に生まれた者は例外なく魔力を持っているが、それ以外の家系ではそうとは限らない。
魔力の血を引いていても、まったく魔力を持たずに生まれる子もいるのだ。
グレイン家でも、魔力のないものはいた。だが、多産によって魔力の家系を繋いできた。
そして魔力を持つ者が、爵位を継ぐのが慣例になっていた。
代々誰かが闇属性の魔力を持って生まれていたが、父の代で初めて途切れた。
父以外に子が生まれることはなく、魔力を持たないまま伯爵位を継ぐことになった。
その息子――私の兄も、魔力を持たなかった。
そんな中で、誕生したのが、私だ。
闇属性の魔力を受け継いだのは、私ひとり。
しかも、魔力は先代のお祖父様よりも強く、Aクラス並みだろうと言われている。
闇魔法は精神に干渉することが出来る希少な魔法だ。
たとえ魔力の総量が少なくても、属性が闇であるだけで価値がある。
そのため、貴族の家に闇属性の子が生まれれば、たいていは王宮付きの魔法士になる。
闇属性であることが判明すれば、王家への申告義務すらあるほどだ。
とはいえ、現時点では属性を正確に測定する手段は存在しない。
だから、その申告も結局は、自己申告にすぎない。
グレイン家は――それを利用してきた。
闇属性の魔力持ちであることを、代々、王家には隠してきたのだ。
誰にも知られぬまま、闇魔法を習得し、密かに用い、財を成してきた。
そうして築かれた地位が、今のグレイン家を支えている。
私は幼いころから、お祖父様から闇魔法の使い方を教わった。
我が家では闇魔法持ちがすべてにおいて優遇される。
食事に手を付けるのもお祖父様の後は私、その後が当主である父だった。
そうやって、代々家を守ってきたのだ。
お祖父様は亡くなるまでに、知っているすべての闇魔法を私に教えてくれた。
私はすべて扱えるようになった。
お祖父様が亡くなってからは、皆が私に従った。
グレイン家の大事な商談には私が見習いとしてついていき、闇魔法で商談相手を操ることもあった。
お祖父様が逝ってからというもの、私に頼るしかなくなった父は、私に頭が上がらなくなった。
兄も母も、みんな私には逆らえない。
私はこの家で強者だった。
そんな家族が、初めて私の命令に逆らった。
「なんですって? どういうことよ!」
「カミラ、怒らないでくれ……こればっかりはどうしようもない。相手はウィンターガルド公爵家だ。我が家の力では縁談の打診状を送るくらいしかできない。断られたらそれ以上は……」
「この! 役立たず!」
私は、手元にあった紅茶を父にぶちまけた。
父は情けない声を上げて、慌てて逃げ出す。
「ふん!」
腕を組み、ソファに深く座り込む。
つい最近、私は学園に入学した。
上級貴族クラスには、あの方がいた。
――グレゴリオス・ウィンターガルド公爵令息様。
学園に入学してからというもの、無礼な奴らばかりで、イライラが募っていた。
ある日、廊下を走ってきた令息に驚いた私は、手にしていた本を落としてしまう。
それを見て、女子生徒たちがクスクスと笑った。
怒りで動けずにいた私のもとへ、グレゴリオス様が現れた。
本を拾い上げて、微笑みながら差し出してくれたのだ。
笑っていた女子生徒たちは、途端に静まり返った。
お礼を言った私に、彼はやさしい笑顔を向けてくれた。
彼は、私に相応しい素敵な方だった。
だから私が結婚してあげようと思ったのに。
まさか、断るだなんて。
私はギリギリと爪を噛んだ。
(……明日。彼に、分からせてやる)
密室で二人きりなら、もっと確実に、闇魔法を使える。
けれど、大勢の目がある学園内では危険が大きい。魔力の高い者には、闇魔法の気配が視えることがあるからだ。
グレゴリオス様は、王家の分家筋。おそらく、魔力持ちだ。
だから私は、彼に挨拶する瞬間、声に魔力を忍ばせることに決めた。
この方法は、家族や使用人を実験台にして、私が編み出した。
グレイン家は、代々闇属性の魔力を持つ家系だが、それを公言することはできない。だから、正式な魔法士に師事することも許されていない。
代わりに、私たちは、自ら使い方を研究し、密かに受け継いできた。
魔力を声に乗せる技術は、正規の魔法よりも遥かに弱い。
だが、繰り返せば、やがて魔法に近い効果をもたらす。
一度では効かない。
二度でも足りない。
けれど、十度、二十度と繰り返せば――その思考は、私の声に染まっていく。
もちろん、魔力持ちには効きづらい。
それでも、感知魔法で探られたとしても痕跡は残らない。
微細な魔力にすぎないから。魔法ではない、言葉に過ぎないから。
(……もうすぐ、彼が私を、好きになる)
私は、音もなく微笑んだ。
私が登校した時、グレゴリオス様はすでに教室にいた。
自然な足取りで近づきながら、喉奥に闇魔力を忍ばせる。吐息にまぎれるほどの、ごく微細な魔力。
「おはようござ……」
挨拶をしようとした瞬間、「ビーッ!」という警報音がグレゴリオス様から鳴り響いた。
教室中の視線が一斉にこちらへ向く。
私の心臓が大きな音を立てて動いた。
(な……何これ!?バレた!?)
グレゴリオス様は眉をひそめ、制服の内ポケットから懐中時計型の魔道具を取り出す。
ふたを開け、つまみをひねると、音はあっさり止まった。
グレゴリオス様の隣にいたベルンハルト・クロイツナー伯爵令息が、首を傾げながら尋ねた。
「今のは、なんだい?」
「公爵領で開発中の感知魔道具なんだ。試作品を身に着けるように言われたが、誤作動を起こしたらしい。皆、騒がせてすまなかった」
後半は、クラスメイト達の方に目配せしてグレゴリオス様は言った。
そしてそばにいた私に気づいたグレゴリオス様は、声をかけてきた。
「……? 何か用だったか?」
「い、いえ……通りかかっただけですわ」
そのまま足早に、その場を離れた。
私の心臓は、まだ激しく打ち続けていた。
(……なに!?あんな微力な魔力すら感知する魔道具を開発しているの!?)
危なかった。
あの大音量の警報が、私の声をかき消してくれた――あの音量に助けられた。
高鳴る鼓動を押さえつけるように、私は手を固く握りしめる。
(……まさか。彼の前では、闇魔力を使えない……?)
初めての事態に、私は戸惑い、混乱した。
これまで、何もかも闇魔力で手に入れてきた。
この魔力こそが、私の誇り。私の価値。私のすべて。
そして彼も、いつか必ず手に入れる。私のものにする。
それからは、遠くから彼を見つめる日々が続いた。
闇魔力は使えないけれど、彼が私を好きになってくれればいい。
ううん、もう……私を好きになっているわよね?
だって、たまに目が合うもの。あれは偶然なんかじゃない。
あなたも、私と、同じ気持ちなのよね?
分かってる、私は分かってるから。
だけど、何度、縁談の打診状を送っても、届くのは決まって断りの手紙だった。
(おかしい……こんなの、間違ってるわ)
きっと、彼が断っているんじゃない。
家柄のせいよ。そう、私の家が公爵家ほどじゃないから――。
だから、まわりの誰かが止めているの。
そうよね、だってあの手紙、筆跡はきっと彼のものじゃなかった。
あれは、誰かが私たちの仲を裂こうとしてるのよ。
でも、無駄よ。そんなこと、私には通じない。
ある夜、私は母に命令して夜会に出向いた。
本来、成人していない貴族令嬢は夜会に出席できない。
けれど、母は私に逆らえない。
もうとっくに洗脳済みだ。
私のお願いはなんだって聞いてくれる。
私は従姉の名前を借りて、母とたまに夜会に出ていた。
目的は、情報収集。
彼の好み、交友関係、縁談相手の選び方――聞けるものは何でも集めるつもりだった。
私にここまでさせるなんて。
結婚したら、グレゴリオス様には反省してもらわないといけない。
そこで、信じられない噂を耳にした。
グレゴリオス様が、仮面舞踏会に行った。
男爵令嬢をお持ち帰りした。
翌日には、わざわざ学園寮まで送り届けた。
その令嬢と、熱い夜を過ごした……と。
私というものがありながら、なんていうことだろう。
「エーベル……男爵家、ね」
私は怒りに震えながら、その名を口にした。
許さない。絶対に。
学園でも、その噂を耳にした。
「エーベル男爵令嬢は身持ちが悪く、いろんな男を侍らす悪女。夜な夜な仮面舞踏会に出かけては、男漁りをしているそうですよ。ウィンターガルド公爵令息は、そんな彼女に騙されて貢がされているんですって」
その話をしていたのはミレイユ・デルタ子爵令嬢だった。
彼女は、学園の寮生から直接聞いたらしい。信憑性は高い。
やはり彼は騙されているのだ。
教室に彼の姿がないのを確認して、私はゆっくりと口を開いた。
言葉に、微細な闇魔力を乗せて。
『ウィンターガルド公爵令息と恋仲のエーベル男爵令嬢は身持ちが悪く、いろんな男を侍らす悪女ですわ』
『夜な夜な仮面舞踏会に行き、男漁りをしているとか』
『ウィンターガルド公爵令息は彼女に騙されているのですね。お可哀そうですわ』
魔力が皆無なヴァネッサ・ルゼリック侯爵令嬢とミレイユ・デルタ子爵令嬢には見事に効いた。
だが、セリーヌ・エルバート伯爵令嬢は不審な表情を浮かべていた。
(きっと、魔力持ちね)
経験上、魔力持ちには効果が薄い。
特に、声に魔力を忍ばせるような微細な干渉魔法では、顕著だった。
だから私は、エルバート伯爵令嬢がいない隙を見計らって、何度も彼女たちに魔力を吹き込んだ。
『エーベル男爵令嬢に制裁を与えるべきですわ』と。
想定外だったのは、ルゼリック侯爵令嬢の浅はかさだった。
なぜ、すぐに殺さなかったのだろうか。
さらに男子生徒を手下に使う甘さに失笑が出た。
けれど、思わぬ収穫があった。
姿隠しのマントを手に入れたのだ。
高度な魔道具は、王家や公爵家などの一部の高位貴族しか持てない。
騒動の最中、人目を盗んで、それを拾ったのだ。
これを使って、エーベル男爵令嬢を攫えばいい。
マントを運ぶ途中、ちらりと彼女の方を見て、目を疑った。
なんと彼女は、回し蹴りを繰り出していたのだ。
あれが、淑女の振る舞いだというの?
まるで、野蛮な猿。
グレゴリオス様に、あんな女はふさわしくない。
間違った状況は、私が正す。
そう――すべて、正しい形に戻さなければならない。
私は、あの女が油断する瞬間を狙っていた。
二人きりにさえなれればいい。
その場で闇魔法を使って意識を奪い、そのまま連れ去れば、それで済むはずだった。
けれど、それからというもの、彼は常に女に護衛をつけていた。
護衛は四六時中そばについていた。
私は魔力が高いため、その護衛の使用していた魔道具の魔力が見えていた。
そのため、なかなか手が出せなかった。
彼が、女に寄り添うたびに、女に微笑みかけるたびに――私の胸が締めつけられた。
私にこんな思いをさせて、後で思い知らせてやるんだから。
あなたの運命の相手は私なのに。
騙されているのよ、あなたは。
あの、悪女に。
卒業パーティーが、ラストチャンスだった。
それが終われば、彼とあの女は共にウィンターガルド領へ移るだろう。
そうなれば、もう手出しはできない。
それに何より――銀花の誓いを、あの二人が交わすところなんて、絶対に見たくなかった。
銀花の誓いが次々と交わされ始めた頃、ちょうどいいタイミングで、あの女が化粧室に立った。
私は確信した。今しかない。
あらかじめ洗脳しておいた庭師に清掃員の扮装をさせ、例の姿隠しのマントを使って共に化粧室に入った。
護衛に魔力がないことを願いながら。
高魔力保持者なら、庭師の姿隠しの魔道具が見えてしまう。
念のため、卒業パーティーの前にマントにはたっぷり闇魔力を流し込んでおいた。
これで数時間は効果が持続するはずだ。
見えないで、と、ただ願いながら行動した。
幸いなことに、いつも化粧室の出入り口近くにいるはずの護衛が、その時は少し離れた場所に待機していた。
――チャンスだ。
もし出入口のそばにいられたら、たとえ姿を消していても、庭師の気配で違和感に気づかれていたかもしれない。
緊張で心臓が痛いほどに高鳴る。
洗面台にいたエーベル男爵令嬢に、私は背後から闇魔法を放ち、意識を奪った。
そこまでは、完璧だった。
だが。
すぐに化粧室の外から声がかかった。
おそらく、護衛の男だろう。
「エーベル嬢は、中にいますか?」
私と庭師は、化粧室の入り口を凝視した。
私は無言のまま、視線と手振りで指示を出す。
姿隠しのマントを、男爵令嬢にかけさせた。
平静を装いながら、私は返事をした。
「いませんよ」
だがあろうことか、護衛の男はこちらの返答を疑ったのか、そのまま化粧室に入ってきた。
息を呑む間もなく、彼は無言で個室を一つずつ確認しはじめた。
私は心臓の音が外に響くのではとさえ思った。
やがて、護衛は何も言わず、足早に化粧室を去っていった。
安堵する間もなく、私は庭師に命令した。
「すぐ、運んで」
男爵令嬢を抱えさせ、手早く馬車へと移動させた。
私もそのまま乗り込み、伯爵家のタウンハウスへ走らせた。
車内は、魔道具の淡い光でぼんやりと照らされていた。
その光の中で、私は改めて女の装いを目にして――思わず、息を呑んだ。
女の来ていたドレス、身に着けていたアクセサリーは全部、グレゴリウス様の色だった。
許せない。
許せるはずがない。
これは、本来、私が身に着けるはずだったものだ。
この女は泥棒だ。制裁を与えなくてはならない。
女をタウンハウスへと運び込み、庭師用の作業小屋に寝かせた。
事前に、両親には「今日は絶対に誰も裏庭に近づけないように」と命じてある。
もちろん、逆らえるはずもない。
手足には、あらかじめ用意していた拘束具をつけさせる。
念のために、庭師には小屋の外で見張りをさせた。
女を始末するための準備をしていると、女は目を覚ました。
泥棒風情が、怯えたような目でこちらを見る。
野蛮な猿のくせに男に媚びるその醜い顔。
(気に入らない。気に入らない。気に入らない……)
頭に血が上って、気がついた時には、私は、その顔を叩いていた。
何度も。何度も。何度も。
女は顔をかばいながら、身を縮めていた。
それさえも、癪に障った。
まずは、その醜い顔をぐちゃぐちゃにしてやる。
私は、準備していたナイフを手に取った。
震える女に近づく。
お前さえいなければ……グレゴリオス様は私を好きになったのに……!
(死ね 死ね 死ね 死ね)
ナイフを振りかぶった、その時だった。
――信じられないことに、彼が来た。
女の名前を呼びながら。
両親には誰も入れるなと、命じていたはずなのに。
まったく、あいつらは本当に役立たずだ。
男爵令嬢を仕留める寸前、グレゴリオス様が女をかばった。
私は、そのまま彼を刺してしまった。
刺し傷は、場所が悪ければ命取りになる。
彼が死ぬかもしれないと思うと、正気ではいられず叫んだ。
でも。
彼が、見るのは、男爵令嬢だけ。
なぜ?
私の方が、あなたを愛しているのに――
私は拘束され、長い時間、馬車に乗せられた。
着いた先は、ウィンターガルド公爵領だった。
やっと私と結婚する気になったの?
そう期待したのは、一瞬だけだった。
そこは軍部だった。
私よりもずっと、魔法に長けた闇魔法士がいた。
グレイン伯爵家が、代々秘密裏に紡いできた闇魔法は、お遊びみたいなものだった。
私が知るどの闇魔法よりも、数段上の魔法が、そこにはあった。
抵抗できたのは、最初のうちだけ。
それ以降のことは、よく覚えていない。
気がつけば、私はすべてを話していた。
グレゴリオス様への好意から、グレイン伯爵家の秘密まで――。
私は最後まで叫んだ。
グレゴリオス様の最愛は私であること、あの女は悪女だということ、こんなことはまちがっていること。
そして私は、断頭台に立ち、最後に口を開いた。
「グレゴリオス様、愛しています。あの女は、私が殺してあげるから。あなたの隣にふさわしいのは、私だけ……私だけなのよ! あなたは私のもの――」
そこで、刃が下ろされ、私の記憶は途絶えたのだった。




