第十四話 「恋が終わった日」
冬期休暇中に、私の作品が小説コンテストの最終審査まで残ったという連絡を受けた。
私はエーベル男爵家で大声をあげて喜んだ。
聞きようによっては奇声だったかもしれない。
家族は慣れたものだった。
「なんでこんな奴が公爵令息に見染められたんだ……」と言っていた兄は無視だ。
夢が叶うかもしれない。
そのことで胸がいっぱいになった。
もし、選ばれたら、プロになれる。
もしプロになれたら――一番に知らせたいのは、ゴリラだった。
まだ、小説家になりたい夢についても教えていないのに。
(でも、プロになれたら、言ってもいいかも。ゴリラは驚くかな?)
「うふふっ」
想像して、思わず一人で笑ってしまう。
こんなところを誰かに見られたら完全にヤバい奴だ。
でも頭の中では妄想ゴリラが『ナンテ、スゴインダー』と私を褒めたたえていた。
期待に胸を膨らませて結果を心待ちにしていた。
***
冬期休暇が明け、学園内ではもうすぐ卒業という雰囲気が高まった。
まだ選考結果は届かなかった。
私は入学前の頃、父さんに後妻の縁談を持ってきてほしいと伝えていた。
だがいくら待っても、そんな縁談は来なかった。
二年生以降は、公爵家からの縁談を保留にしたままだったので、当然かもしれない。
でも、公爵令息と結婚するつもりはないことは、父さんに伝えた。
父さんからは「いつまで耐えられるか分からんが……お前が嫌だというならそう伝えてはみる」と若干青白い顔で言われた。
公爵家から圧力などはかかっていないらしい。
ゴリラらしい。
縁談も決まらず、卒業後の進路も何も決まっていなかった。
でも、小説コンテストに入賞さえできれば、未来は明るい気がした。
***
ある昼食で、ゴリラに聞かれた。
「ナタリー、卒業後の進路はどうするんだ?」
「うーん。それがまだ決まってなくて。今のところエーベル男爵領に帰ることになりそう」
後妻は、もう考えていなかった。
小説家になれるかもしれないから。
卒業後はエーベル領でそのまま暮らせないだろうかと最近は考えている。
(兄のお嫁さんが嫌がるかなぁ……)
兄はもうすぐ結婚する。
小姑は疎まれる傾向がある。それはそうだろうが。
「うちに来るか?」
「え! 雇ってくれるの?」
「ああ、次期公爵夫人として」
「冗談やめてよー」
「冗談じゃない。本気だ。ナタリー、俺はウィンターガルドの次期領主だ。あそこは色々と問題を抱えている。学園を卒業したら、領地と領民のために動かなければならない。君と、会えなくなるだろう。だから、学園に在学の間に、決めてくれないか?」
「え……?」
「うちには俺しか子どもがいないから、早く結婚して後継を作らないといけない。君が、どうしても嫌だと言うなら……」
ゴリラは目を伏せた。
何を言おうとしているかは明確だった。
(――他の人と結婚するの?)
私は何も言えなかった。
彼とは結婚できない。
小説家になりたいし、身分の差だってある。
私は、小説は書けるが、社交はできない。
回し蹴りはできるが、ダンスは踊れない。
公爵夫人なんて、とても無理だ。
でも、心が千切れそうになるのは、なぜなんだろう?
結局、首を縦に振らないまま、昼食は終わった。
その日の夜、最終選考落選の連絡が届いた。
もう、すべてが嫌になった。
あれだけアイデアが溢れていた恋愛小説は、一切書けなくなった。
私は何も決められないまま、卒業までだらだらと自暴自棄に過ごしていた。
***
卒業パーティーの日。
学園寮の荷物はほとんどエーベル男爵領に送付済みだ。
明日、私は男爵領に帰る。
ゴリラとはその後、明確な話し合いはしなかった。
私が男爵領に帰ったら、話をしに来るのだろうか?
首をかしげながら、パーティーの準備をした。
彼は当然のように卒業パーティーのエスコートを申し出た。
ドレスや宝石を贈ってくれたし、それはすべて彼の色だった。
淡い金髪と同じ色の、ゴールデントパーズのイヤリングとネックレス。
瞳を思わせる深い青緑のドレスに、金糸の繊細な模様が踊っている。
肩にかけた金糸のショールは、歩くたびに揺れて、まるで彼にそっと抱きしめられているような気がした。
私の姿を見た彼は、それはそれは、大袈裟なくらい喜んでいた。
「目に焼き付けておかないとな」
その言葉が少し気になったけど、すぐにパーティーの開会式が始まり、移動している間に違和感は消えた。
私はダンスを踊れないので、ゴリラと踊ることはなかった。
「俺がリードするから、一曲だけでも」と何度か言われたが「無理、無理」と断った。
今日で学園の友達とはお別れになる。
サーシャとは手紙のやり取りは続けたいが、会うことは難しいかもしれない。
学園を卒業するということは、そういうことだ。
今日で、自由はおしまい。
卒業パーティーでは、「銀花の誓い」という恒例の告白イベントがある。
模造の銀の花を相手に渡し、受け取ってもらえたら、二人は永遠に幸せになる。
そんなロマンチックなイベントだ。
私は、結婚する気もないのに、どこかで期待してた。
彼から、銀花をもらうことを。
――でも、彼はくれなかった。
それぞれの場所で、告白が始まった時、私は胸が高鳴った。
そわそわと、落ち着かない手が、何度もショールを撫でていた。
それを見て、彼は困ったように笑って言った。
「大丈夫だ。心配しなくていい。銀花は渡さないよ。君と会うのは、今夜を最後にする」
一瞬、意味がわからなかった。
(……最後?)
「ずっと、決めてたんだ。学園在学中に君に受け入れてもらえなかったら、諦めるって。今まで、俺のわがままに付き合ってくれて、ありがとう」
言葉の意味が分かると、胸が引き裂かれるように痛んだ。
喉が熱くなる。
涙が出そうになり、彼に見られないように俯いた。
(私に泣く権利なんかないのに)
そうだ。彼は言っていた。
『学園を卒業したら、領のために動かなければならない。君と会えなくなるだろう。だから、学園に在学の間に、決めてくれないか?』
そして今日、学園は終わる。
私は、答えを出さなかった。
……いや、違う。私はずっと断っていた。
だからこれは、当然過ぎるくらい当然の結果だった。
どうして、男爵領まで来てくれると、傲慢にも思えたのだろう。
なぜ、卒業後も会えるような気がしていたんだろう。
周りが幸せそうに銀花のやり取りをするのを、ひたすら見守った。
私は、その場にいることができずに、化粧室に行くと言ってその場を離れた。
声が震えていたかもしれない。
化粧室に入り、零れる涙をハンカチで拭う。
鼻をすする音がトイレの外まで聞こえてるだろう。
今も護衛の人はついてきているのだろうか?
ゴリラは少し離れたところで待っているから聞こえないだろうけど、護衛がいたら聞こえてしまう。
もしいるなら、今だけは遠くに行っててほしい。
それとももう、私は必要ないから、いないのだろうか?
ポケットから、ハートゴリラのチャームを取り出した。
いかついゴリラがハートを持っているのが笑える。
「ふふっ」
そうやって心を落ち着けていると、後ろに人が来た気配がして、振り向くと急に、意識が遠のいた。
意識が遠のく直前に、ハートゴリラが床を転がっていくのが見えた。




