第十二話 「子爵令息と三人の恋人」
私は、行き詰っていた。
小説の進みが非常に悪い。
少し前までは、話が溢れるように浮かんできて一気に書き上げていた。それが、いまはスランプだ。
いじめのざまあ小説も書こうとしてみたけど、私が書く主人公は大人しくいじめられてくれなかった。
すぐに反撃して相手をぼこぼこだ。
気づけば、学園最強トーナメントみたいな話になっていた。
なぜか金属製の鎖を振り回す子爵令息や、ナイフを舐める侯爵令息が登場し、制服は袖から破れていた。自分でもさすがに飛躍させすぎたと、お蔵入りにした。
やっぱり書いていて楽しいのは恋愛小説だと分かって、また書き始めたのだが、さっそく行き詰まってしまった。
「うーん」
机に突っ伏してうなった。
今回は、ヒロインがヒーローに片思いすることから始まる話を書きたいのだが。
(好きってどんな気持ちだろう?ドキドキってどんなの?)
やはりこの問題に行きつく。
分からないものは書けない。
でも、書きたい。
「……これは、取材するしかないかな」
腕を組みながら、取材を受けてくれそうな相手の顔を思い浮かべた。
***
「僕に何か用かい?」
目の前には、女たらしで有名なフリッツ・デュラン子爵令息がいた。
彼は裏庭のベンチで日替わりに女性を口説いている。
隣にいる女性はみんな頬を染めて楽しそうにしていた。
この人に口説いてもらったら、私もときめけるんじゃないだろうか?
「あの……初対面でこんなことを言うの恥ずかしいんですが……」
私はもじもじと恥じらいながら話した。
デュラン子爵令息は、機嫌が良さそうな笑顔になった。
「大丈夫だよ。勇気を出して言ってごらん」
「……私も、皆さんと同じように口説いてもらえませんか?」
「は?」
廊下を歩いていた生徒たちが、一斉に足を止めて振り返った。
「毎日、日替わりにいろんな女子生徒を口説いてますよね? だから私も口説いてほしくて……」
「ちょっ、ちょっと待った! なんのことかな? 僕はそんなことしてないよー?」
デュラン子爵令息は引き攣った笑顔で話す。
「それは嘘です。私は毎日、あなたが裏庭のベンチで女の子たちを口説いてるのを見ています」
「毎日!? お前、僕のことつけてたのか!?」
「そういうわけでは……」
取材交渉をしていると、女子生徒がデュラン子爵令息の周りにわらわらと集まってきた。
「フリッツ様! どういうことですの!?」
「フリッツ! そんなの嘘よね? 私だけでしょ!?」
「フリフリ! この女たち誰!? 私のことを愛してるって言ったじゃない!」
どうやら修羅場が始まったようだ。
すごい。普段はおしとやかそうな令嬢でも、修羅場になると鬼のような形相で胸倉を掴むものらしい。
勉強になる。やはり、現場に勝る取材はないな。
デュラン子爵令息は担がれるようにして、どこかへ運ばれていった。
今日は口説きのテクニックを取材したかったのに、残念だ。
「残念だなあ」
「……今のはなんだ?」
隣にはいつの間にか、ゴリラが立っていた。
「今の? 修羅場のこと?」
「君は……あいつが好きなのか?」
「うーん、好きっていうのがわからなくて、口説いてもらったら分かるかなって思ったの」
「……なんであいつなんだ。……俺でいいじゃないか」
「え、口説いてくれるの?」
「……いつも口説いてるが」
私は思わず瞬きを繰り返した。
思い返してみれば、ゴリラからは恋人にならないかとか、好きだとか言われていた。
あれは口説いていたのか。
……そういえば、ゴリラって仮面舞踏会に来てなかったっけ?
「あっ!!」
「どうした?」
ご、ゴリラってもしかしたら、めちゃくちゃプレイボーイなのでは!?
そうだよ!
そうじゃなければ、会ったばかりの私に、恋人になろうとか普通言わないよね!?
簡単に好きって言ってたし!
なんだ、そういうことかあ。
私はゴリラに向かって頷いた。
「じゃあ、いつも使ってる口説き文句、お願いします」
「そんなのはないが……君は、あいつに何をして欲しかったんだ?」
「好きだとか可愛いとか、そういう口説き文句と、ハグとか」
「ハグ!?」
「こうぎゅっとね、抱きしめるの。たまに彼らがベンチでしてるんだよね」
私は両手で空中を抱きしめるように動かした。
「……っ、俺が全部するから、なんでも言ってくれ。他のやつには依頼しないでくれ」
「さすが!」
さすがプレイボーイだ。
私は両手を広げてハグ待ちポーズをした。
「じゃあ早速」
「ここでか!?」
周りを見渡すと、みんなが私たちを見ていた。足を止めて、ガン見だった。
流石に恥ずかしい。
「じゃあ、ベンチまで行こうか」
「あ、ああ」
本館裏庭のベンチに向かう。
今日はデュラン子爵令息が修羅場で不在だから空いていた。
「ここだよ」
口説き場所と言えばここである。
ベンチに案内すると、ゴリラは私が座る場所にハンカチを敷いてくれた。
(すでに雰囲気作りは始まっている……!?)
さすがプレイボーイなだけはある。
ここはぜひとも、空気に飲まれに行きたい。
二人でベンチに座った。
「では、お願いします」
「ああ…」
「…………」
沈黙だった。
(あれ?怒涛の褒め攻撃から始まるものなんじゃないの?)
デュラン子爵令息はいつも、褒めちぎり攻撃から始まり、愛してるで心をつかみ、あわよくば抱き合っていた。
口説くとはそのような手順のものだと思っていたけど、もしかすると流派によって、違う……?
ゴリラの流派では、沈黙を制する者は恋愛を制す、みたいな格言でもあるのかもしれない。
奥が深い。
(プレイヤーが変わればアタックの型も変わるのね!)
初めてのパターンで胸が高鳴った。
たっぷりと沈黙を使ってから、ゴリラは口を開いた。
「君に『まだまだ』と言われてから、どう表現したら伝わるか考えていたんだ」
(ん?何のことだろう?)
ゴリラの中には何かしらのストーリーがあるようだった。
『まだまだ』と言うってことは、私は上司か何かの役かな?
想像するのは得意だが、ロールプレイングをさせられるとは思わなかった。
私のような初心者にはちょっときついが、上級者には当たり前のことなのだろう。
全力で頑張らせてもらう所存だ。
「初めて君を見たとき、ありきたりだが、雷に打たれたような衝撃を受けた」
隣に座るゴリラは、私の目を見ないで言った。まっすぐ正面を見つめている。
私はゴリラの様子を一つも見逃さないように腕を組んで観察した。
「君の髪はダークゴールドだが、私には眩しく光って見えた。君の瞳は私の心を掴んで離さない」
ゴリラは、以前は宝石の名前を並べていた口説き文句を、分かりやすい言葉に変えていた。
(ちゃんと宝石について調べたから、もう分かるのに……!)
ゴリラが以前例えた『君の瞳は、まるで琥珀だ。陽に透けたときの、あの静かな輝きに似てる』『君の髪は、まるで、蜜を溶かしたトパーズを編んだような髪だ』、あの言葉について私なりに調べたのだ。
琥珀――それは、太古の森の樹脂が長い時間をかけて化石になった宝石で、あたたかみのある金茶色の輝きを持つ。陽に透かすと、ほんのり赤みを帯びた淡い光が通り抜けて、柔らかく光るらしい。つまり彼は、私の瞳がぬくもりを含んだ、深く穏やかな光を宿していると言いたかったのだ。
そして、トパーズ。黄金色や蜂蜜色が最も古くて伝統的な色らしい。蜜を溶かしたような――というのは、たぶん蜂蜜色、黄金色の透明な輝きを指している。つまり私の髪は、光をまとって艶やかにきらめく、希少な宝石のような美しさだと……そう言いたかったに違いない。
うん、たしかに口説き文句としては、悪くない。いや、むしろ素晴らしい。
あのとき、もっとちゃんと反応できたらと悔やむ。
そしたら今、もっと高度な口説き文句を聞けたかもしれないのに。
……おそらく私の無知を察して、レベルを落としてくれたのだろう。屈辱である。でも私が無知だったのは事実だから、仕方ない。後で別バージョンもお願いしてみよう。今はとりあえずこのパターンで最後まで聞くことにした。
「……私は、生涯、君を想い続けるだろう。君が好きだ。結婚してもらえないだろうか?」
「けっ……け、結婚??」
結婚って言った!?
三段跳びくらいで話が飛躍していった。
デュラン子爵令息は、女子生徒たちに「愛してる」とは言ったが、将来の約束は決してしなかった。
女子生徒たちは言質を取ろうと失言を巧みに誘導していたのに、尻尾はつかませない高度な駆け引きを繰り広げていた。
結婚と軽く言ってしまうなんて、ゴリラは少々、迂闊なのではないだろうか?
(これがゴリラのプレイスタイル?これじゃ結婚詐欺になっちゃうよ。男爵令嬢と公爵令息が結婚できるわけないじゃん。無理でしょ)
「うーん、無理でしょ」
「えっ」
(はっ!しまった、今ロールプレイ中だった!うっかり言葉が出ちゃってた!?上司っぽい答え方ってどんなの!?)
私は姿勢を正して、上司になり切った。
「おほほ! 私がそんな言葉になびくと思ったのかしら? 出直してきなさい」
これでいいのだろうか?
あってる?
不安になってゴリラを見た。
ゴリラは傷ついたような表情で、ちょっと涙目になっていた。
なんだか、自分がすごくひどいことをしている気になってしまった。
ただのロールプレイなのに。
役に入るって、こういうことなのか。ロールプレイ……侮れない。
なんだかゴリラを慰めたくなって、私は再び両手を広げてハグのポーズを取った。
「はいっ!」
「この状況で!?」
ゴリラの突っ込みが冴えわたる。
力強くうなずく私を見て、ゴリラは言った。
「絶対に、俺以外にはこういうことをしないで欲しい」
「うーん、分かった。口説き続けてくれるなら」
「……約束だぞ」
目尻を赤くしたゴリラが、ゆっくり身体を近づけて来て、ぎゅうっと抱きしめてきた。
ひょろ男だと思ってたゴリラの体は、意外と硬くてたくましく感じた。
柑橘系の良い香りがして、なんだかとても胸が高鳴る。
(こ、これが、ときめき……?)
ゴリラの心臓の音も振動で伝わってきて、私よりも爆速で鳴っていた。
ぎゅうっと、さらに強く抱きしめられた時、ふと思い出してしまった。
(……あれ?私、昨日、お風呂入ったっけ?)
昨日は小説のアイデアが出ずに、そのまま寝落ちしてしまった。
学園の共同入浴場は別棟にあり、早朝から開いているが行くのが面倒で……一日くらい、いっか!とそのまま登校した…………。
(へ、変なにおいがしてたらどうしよう……!?)
がばっとゴリラを押し返した。
私の顔は真っ青だったのか、真っ赤だったのか。
「お、お風呂入ってくる――――!」
私はそう叫びながら入浴場に駆け込んだのだった。
――その夜の小説メモには、『ヒロインは毎日入浴必須』という文字がしっかりと書かれていた。
次回は、少しモヤっとする展開になるかもしれませんが、ご安心ください。
最後には、ふたりがちゃんと笑顔になれる結末が待っています。




