第十話 ミレイユ・デルタ子爵令嬢視点
※本話は、ナタリーに水をかけた黄髪の子爵令嬢、ミレイユ・デルタの視点です。
※本日二度目の投稿です。前話(第九話)では、赤髪のヴァネッサ視点で彼女がなぜそこまでしたのか、その心情が語られていますので、未読の方はそちらからお読みください。
私の家、デルタ子爵家は新興貴族だ。
我が家は社交界での立場が弱く、子爵家の中でも軽んじられていた。
社交界で軽んじられる我が家にとって、見た目の華やかさは数少ない武器だった。
お母様譲りの黄髪も、その一つだと、よく言われてきた。
両親であるデルタ子爵夫妻は手柄を上げようと必死だった。
お姉様は、学園卒業後に社交界デビューしたものの、いまだ縁談は整わず、焦っていた。
うちはお兄様が家を継ぐから、このままではお姉様は売れ残るか、せいぜい次男か三男と結婚して、実質的には平民落ちだ。
そんなお姉様が、初めて社交界で注目を浴びた出来事があった。
ウィンターガルド公爵令息にまつわる噂――その出どころは、私だった。
それ以来、これまで相手にもされなかった高位貴族令嬢や夫人が、姉に声をかけてくれるようになったらしい。
お姉様は大喜びし、情報源である私を褒め称えた。
初めてお姉様に褒められて、本当に嬉しかった。
一年生の頃、同じクラスだった寮生の子から、ウィンターガルド公爵令息がエーベル男爵令嬢を三頭立ての豪華な馬車で送ったと聞いて、軽い気持ちでお姉様に伝えただけだった。
そしてお姉様からも、社交界でのエーベル男爵令嬢の悪評を聞き、私は怒りを覚えた。
お姉様と一緒に、悪女の悪口を言った。
それを学園で友人に伝えると、とても盛り上がった。二年生になり淑女科の上位クラスになってからもいろんなクラスメイトにその話をした。またお姉様に伝えられる情報収集のためでもあったし、この話は鉄板で誰に話しても盛り上がり、楽しかった。
特に、仲良くしているヴァネッサ・ルゼリック侯爵令嬢はこの噂を聞きたがった。
カミラ・グレイン伯爵令嬢も同じだった。
彼女たちから何度も聞かれて、もう新しい情報を持っていなかった私は、軽い気持ちで話を大きく盛ってしまった。
「他にも付き合っている男がいるらしい」とか「公爵令息に貢いでもらってるらしい」など。
噂の内容からすれば、たぶん本当なのだろうと、そう思っていた。
皆で悪女の悪口を言い合った。
多少、エスカレートしてしまったところもあるのかもしれない。
そのうち、噂話が真実と思えるようになり、悪女への憎しみが強くなった。
でも、悪いのは悪女と呼ばれていた男爵令嬢のほうだと――
自分は悪くないと、心の底から思っていた。
それが、まさかこんな大事になるなんて、私は予想もしていなかった。
***
デルタ子爵家のタウンハウスの一室に、バチン!という鋭い音と、家具の倒れる音が響いた。
「お前はなんてことをしてくれたんだ!」
デルタ子爵であるお父様に頬を殴られ、私は椅子から転げ落ちた。
一緒にお茶をしていた母と姉の悲鳴が響く。
「ウィンターガルド公爵に目をつけられたら社交界で終わりだ! なぜ公爵令息のお気に入りに手を出した!」
それまで一度も手を挙げられたことのなかった私は、驚きで声も出なかった。
「放っておけばいいものを! 愚か者が!」
お母様が青ざめて叫ぶ。
「あなた! やめて!」
お姉様も、声を荒げた。
「お父様、どうしてそんなに怒るの? エーベル男爵令嬢は悪女なんですのよ!? 水をかけるくらいで――」
「お前たちはウィンターガルド公爵の冷酷さを知らんのだ! 最悪の場合、我が家は取り潰しだ! しかも全員処刑でな!」
「処刑……?」
お父様は、グレゴリオス様の父親である現ウィンターガルド公爵が、冷酷で有名だと言った。
武人のような大きな身体で、逆らった者は平民なら親戚に至るまで一族もろとも皆殺し、貴族なら取り潰しの上、一家を処刑。
私たち若い世代は知らなかったけれど、実際にあった話だという。
広大な領地を治め、軍も創設し、領地から取れる魔鉱石で王家の次に権力を持っている公爵家。
新興の子爵家など簡単につぶされるだろう。
「水をかけてお前に何の得がある! ルゼリック侯爵令嬢に命令されたのか?」
「ひっ……命令は……されました……」
「……よし。権力に逆らえなかったということで、何とか嘆願するしかないな。それで通ればいいが……。本当に、なぜそんな愚かなことをしたんだ? エーベル男爵令嬢がいなくなったらお前が後釜になれるとでも思ったのか?」
「……え?」
後釜なんて……考えたこともなかった。
(どうして私は、あんなこと……したんだろう……?)
冷静になってみれば、ウィンターガルド公爵家の怒りを買うなんて、考えればすぐにわかることだったのに。
なぜこんな愚かなことをしたのか。
頭の中の黒い靄が晴れていくようだった。
でも、もう遅い。――それだけは、私にもはっきりわかった。
十日間の謹慎処分を受けたあと、私は息をひそめるように学園生活を過ごした。
あれ以来、誰も私に噂話を聞きに来ることはなかった。
ヴァネッサ様が男爵令嬢を襲わせたと聞いたときは、心臓が止まるかと思った。
王国治安院で取り調べを受けた私は、公爵家に目をつけられたという噂まで立った。
卒業を迎える頃には、私に縁談を持ちかける貴族はいなくなっていた。
私は、そんなにも取り返しのつかないことをしてしまったのだろうか。
(最初は……ただ、お姉様に褒めてほしかっただけなのに……)
後悔の声だけが、胸の奥で何度も何度も繰り返された。




