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第一話 「大人びた孤高の男の子」

 最初は恋じゃなかった。ただ、観察していただけ。

 彼の言葉をメモして、仕草を記録して、感情を切り取って。

 小説のネタとして――それだけのはずだった。


 ……それなのに。

 いつの間に、恋になっていたんだろう?



***



 それは、突然の出会いだった。

 十五歳の春から通い始めたステラリウム王立学園の、中庭の葉が紅く色づいた頃。



 淡い金髪と碧眼の、男性というには幼く、少年というには大人びた男の子に声をかけられた。


「はじめまして。ウィンターガルド公爵家の嫡男、グレゴリオス・ウィンターガルドだ」


 その名前を聞いた瞬間、私は目を見開いた。


 ――なんて、なんてセンスのない名前かしら……!


 グレゴリオス……遥か南方の国に生息するという、ゴリラとかいう動物を連想させる野蛮に思える響きだった。

 間違ってもこんな金髪碧眼のひょろ男の名前ではない。

 もっと、軍人のようなたくましい男の名前であるべきだ。

 今のウィンターガルド公爵には、少なくとも名づけのセンスは皆無だと確信した。


 憐むような目をグレゴリオスに向けた。

 名前が長いので、心の中ではゴリラと呼ぶことにした。


「はあ……」

「よかったら、俺と友達になってくれないか?」


 かわいそうに。きっとゴリラは、友達がいなくて手当たり次第に声をかけているんだろう。

 名前のせいでいじめられているのかもしれない。不憫である。中身は案外いい奴かもしれないのに。

 ……とは思ったけど、私は断った。


「今の友人関係に満足してるので。他を当たってください」


 というか、そもそも声のかけ方が悪すぎる。いきなり名乗って友達になってくれって、警戒されるに決まってる。友達がいないから、そういうのも分からないんだろうな。


 そんなことよりも。


 (十五歳の男子って少年?それとも青年?)


 そちらの方が気になった。

 どちらもしっくりこない。

 微妙なお年頃である。そういうところこそ、描写のしがいがある。

 いつも、小説で表現するとしたらどうなるかを考えながら生活している。


 なぜなら私の夢は、小説家。


 学園寮に帰ったら毎日、読書と執筆の日々だ。もちろん、勉強はしない。私には必要ないからだ。

 ナタリー・エーベル。十五歳の男爵令嬢である。茶髪に茶目で地味だが、顔立ちは整ってる方だ。よく友達には、「黙って動かなければ美人なのに」と言われる。話して動けば、すぐ変人だってバレるらしい。


 できれば若さを売りにして、引退した老人貴族の後妻あたりになりたい。そして夫亡き後は、ずっと一人で暮らせるだけの財産が欲しい。

 生活の心配をせずに、小説だけに集中できる人生――それが理想だ。

 ずっと小説を書き続けて、いつか、プロになるんだ。


 そうして今日も、机に向かった。


***


「エーベル嬢」


 翌日の昼休み、またゴリラに声をかけられた。

 きっと一人で昼食を取るのだろう。ちなみに私もだが、友達がいないわけじゃない。お金がないのだ。

 男爵令嬢の友達は、貴族向けの食堂に向かった。私はというと、平民向けの食堂で格安ランチをいただく予定だ。貧乏男爵家にプライドは必要ない。浮いた分はお金を貯めて、ノートとインク代に充てる。


「はあ……なんでしょう?」

「今から食堂に行くのか?」

「そうですけど」

「良かったら、一緒にどうかな」

「ごめんなさい、平民食堂に行くので……」


 (早く行かないと、人気の日替わり定食がなくなっちゃう!)


「実は、貴賓個室を予約してあるんだ。ごちそうさせてくれないかな?」

「行きます」


 ごちそう?

 ごちそうしてくれるの?


 考える前に言葉が出た。

 よし、これでランチ代が浮いた!浮いた分でノートを買おう。ノートもインクも高いんだよね。ちなみに父が勉学用に買ってくれたノートは、すべて小説に使っている。


(貴賓個室かあ。初めて行くから、よく観察しておかないと)


 小説の描写に使えるかもしれない。細部まで、目と記憶に焼き付けておかなければ。


「……あれ?」

「どうかしたか?」


 二人で歩いていると、ふと気づいた。


「いえ、別に……」


 (――私、ゴリラにエーベル男爵家って名乗ったっけ?)


 さっきエーベル嬢と呼ばれたことを不思議に思っていると、貴賓個室に着いた。

 そこは貴族用の食堂ともまったく別の棟にあった。

 大理石の床と、繊細なレリーフの施された壁が広がっていた。……豪華すぎる。


 広い部屋の真ん中に、白いクロスが敷かれたテーブルが一つ。


(食べ物をこぼしたらどうしよう……)


 緊張である。

 給仕の使用人が椅子を引き、すぐに水と前菜が運ばれてきた。

 午後の授業があるから、すぐ食べられるのはありがたい。


「では、いただこう」

「は、はい」


 一応、貴族令嬢だから食事のマナーは習ったけど、こんな高級料理は初めてだ。

 優雅にナイフを動かすゴリラを観察し、マネしながら恐る恐る食べた。どれも美味しかった。

 特に、肉。肉だ。

 新鮮な肉は貴重なのだ。滅多に出ない。


 貴族でも、都市部以外では冷蔵技術が乏しく、新鮮な肉は高級品だとされている。王都には魔道冷蔵庫という高級品があるらしいが、持てるのは高位貴族と裕福な商人くらいだ。

 そもそも魔道具自体が高級すぎて、エーベル男爵家にはほぼない。インフラ整備のため、レグナス王国の全世帯に配布されている水道魔道具と排水魔道具くらいである。

 新鮮で美味しい肉は、祝い事の時くらいしか出なかった。

 だから嬉しかった。


 夢中で食べ終わり、デザートとコーヒーをいただいていると、ゴリラが話しかけてきた。


「喜んでもらえたかな?」

「はい、とっても! 鹿肉が最高でした!」

「そうか。……敬語は使わないでいい」

「え、でも……」

「学園にいる間は、君も俺もただの生徒だ」


 そんなことはあり得ない。なぜなら一年生のクラス分けが身分ごとだ。

 むしろ、「身分を忘れるな」という学園からのメッセージだと思っている。

 敬語を使わずに不敬罪にされてはたまらない。

 私が同意せずにいるのが分かったのか、ゴリラが口を開いた。


「頼む。敬語はやめてくれ」

「不敬罪になりませんか?」

「絶対に問わない。約束する」

「じゃあ……わ、わかった」


 あとで念書を書いてもらおうとこっそり思った。


「……さっきの話だが、鹿肉が好きなのか?」

「ううん、肉料理は全部好きなの。あっでも、猪肉は苦手かも。うちの領地ではよく猪が出て、仕留めたらみんなで食べるの。運が良ければ美味しいけど、運が悪いと泥臭くて。あと、下処理で失敗すると葬式みたいな雰囲気になるわ。結婚式で出る豚肉が一番好きかな」

「……なるほど。エーベル嬢の好みが知れて嬉しいよ」


 (そういえば、なんでこの人、私の名前知ってるんだっけ?)


 ……そこでふと、さっき疑問に感じたことを思い出した。

 考えるよりも先に、言葉が口をついて出た。


「……ねえ、ゴリラはなんで私の名前を……あっ失礼しました、グレゴリオス様!」


 一瞬、空気が止まる。

 凍りつく沈黙の中で、自分の口から出た言葉を思い出した。

 あわてて、口を両手で覆う。


 (やばっ……やらかした……!)


 今の聞こえた!? いや、絶対聞こえてた。ゴリラって言った。口が勝手に!!

 さすがに不敬罪で死刑!?

 死にたくない死にたくない!

 まだ小説を世に出してないのに、死ねるわけない!!

 脳内に警鐘が鳴り響くなか、恐る恐る相手の顔を見ると――


「……えっ?」


 彼は、照れたように笑っていた。


「もう、愛称で呼んでくれるのか。嬉しいよ」

「……っ!?」


 (ちょっと待って!?そっち!?!?)


 焦りすぎて口が動かない。

 彼は勘違い全開で、嬉しそうに続けた。


「愛称か……いい響きだな、ゴリラ。何だか力強くて、親しみがある」

「ち、ちが……ちがいます!! 今のは、えっと、その……」


 (どうしよう、これ以上言い訳したら、逆に本当にバレる!)


「私も、タリーと呼んでいいかな?」


 (……タリー?)


 タリー――昔、東の大陸で見つかったという、目が飛び出た謎の古代生物。ぬるっとした奇妙な姿のモンスター。


 (ゴリラとタリー。モンスターコンビだわ。絶対に遠慮したい)


「や、やめて」


 私は断った。


「普通にナタリーでいいわ。私もグレゴリオスと呼ぶわね」

「わかった、ナタリー」


 (グレゴリオス……噛みそうな名前ね)


 またうっかりゴリラ呼びしてもいけない。

 私は心に決めた。ゴリラのことは、極力呼ばずに過ごそう。


「ところで、ナタリー」


 グレゴリオスが、ひとつ咳払いをした。

 それから、わざとらしいくらい真面目な顔で背筋を伸ばす。


「昨日、友達にはなってくれといったが」

「ああ、うん」

「では、恋人になってくれないか?」

「は?」


 友達になれないから、恋人?

 どういう思考?


「なんで私? 私なんて地味だし、もっと可愛い子いるでしょ?」


 彼は、目を瞬いた。


「君は誰よりもきれいだ」


 真剣な目でまっすくに見つめてきた。


 (これは……恋愛小説の参考になる!!)


 今まで恋愛小説は書いたことがない。

 でも、これを機に新たなジャンルにチャレンジできるかもしれない。

 文学オタク仲間のサーシャが「恋愛小説は売れる」と言っていた。

 彼女は商家の娘だから売り上げを見ての言葉だ。信頼できる。

 ということは、恋愛小説を書いた方が、プロになれるチャンスは高まるということだ。

 今まで恋愛小説を読んだことはないが、これから勉強していきたい。


 口説き文句を実際に聞いたのは初めてで、こんなふうに言うものなのかと感心して、思わず何度も頷いてしまった。

 導入がスムーズ過ぎて、口説きのターンに入ってることに気づかなかった。

 寮に帰ってから絶対にメモせねば。

 興味のあることへの記憶力はいい方だが、時間が経つと記憶は大まかになってしまう。

 事実と、その時の空気感と、感情を含めて、メモを残しておけば、きっといつか創作の役に立つ。

 そのメモは私の財産になる。そう思って、私はよくメモを書いていた。

 一言一句、聞き逃すまいと、じっと次の言葉を待つ。……が、沈黙が続く。


 待ちきれなくなって、自分から促した。


「どうぞ、続けて?」

「えっ?」


 私は彼の目を見つめながら頷いた。

 彼は少し目元を赤らめて口を開いた。


「き、君の瞳は……君の瞳は、まるで琥珀だ。陽に透けたときの、あの静かな輝きに似てる」

「……」


 コハクって、……なんだっけ?

 宝石?

 縁がないから見たことない。

 それってどんな色なの?陽に透けたら、何色になるの?

 これって本当にほめられてるの?


 思わず首をかしげてしまった。たぶん眉間にしわもよってると思う。

 彼は慌てて次の言葉を始めた。


「君の髪は、まるで、蜜を溶かしたトパーズを編んだような髪だ」


 トパーズ……これも……宝石だったはず?

 私の髪色は、ダークゴールドだ。光に透かすと金色がかっているが、一見すると茶色っぽい。

 トパーズとは、そんな色の宝石なのだろうか。

 蜜は、蜂蜜の色でいいのかな?溶かすって何?

 トパーズと混ざるとどんな色になるの?

 ダメだ、宝石の知識が全然足りない……!

 小説を書くには、こういう比喩の引き出しが命なのに!


 放課後に図書館で宝石について調べてみる必要がありそうだ。

 小説を書くにあたって、知識はあればあるほどいい。

 自分のレベルの低さにうんざりしてしまった。


 (私は知識が全然足りていない。小説家として、まだまだね)


「……まだまだね」

「えっ」


 私はため息をついた。

 時刻を確認すると、午後の授業が始まるまでまだ少し時間がある。

 放課後と言わず、今から調べに行こう。善は急げだ。

 学園にいる間に図書館で得られる知識はなんでも得ないと。

 ついでに恋愛小説も読めるだけ読もう。


「そろそろ行くわ」

「えっ、もう!?」

「ごちそうさまでした。じゃあね」

「ナタ……」



 パタン、と扉が閉まる音がした。

 貴賓個室には、呆然とナタリーが出ていった扉を見つめるグレゴリオスがいた。


 「まだまだね」が自分への評価だと思い込み、静かに失恋ショックを噛み締めていたのだった――。



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