三通目の手紙ーー僕達は誰しもが自分という国の元首なんです。ーー
親愛なる皆へ
僕はこの社会の実験的な取り組みを繰り返し伝えているわけだけど、返事に目を通していると、どうやら皆は驚いていたり、あっけにとられたりって調子だね。これは現実なのかそうでないのかとか、キルギシアは本当に実在しているのかどうなのか疑問が当然あるかもしれない。
でも確かに皆は喜んでくれた。社会を一握りの権力者の為ではなくて、そこに生きる人間の為に作りあげる。そんなの本当に出来るのだろうかと訝しむのは、がんじがらめに支配され、のびのびと生きることが出来ていない何よりの証拠だよ。
キルギシアには、時折映画の撮影現場で感じるのと同じ雰囲気があるんだ。誰かが理想の社会を舞台にした映画をとっている。でも、撮影が終わると同時に、全てが取り壊されて、今の僕達の社会みたいに戻ってしまうんじゃないかって思ってしまうんだよ。上辺だけは効率がよくて、上辺だけは国民の為で、上辺だけは生活に根差していて、何よりも上辺だけは誰もが幸せだというような僕達の社会みたいにね。
新しいテクノロジーが生産効率を飛躍的にアップさせたのに、労働時間は元のままかわっていないことに、僕達の社会ではほとんどの人が気づいていない。どうやらそんな事さえ忘れてしまったのかもしれない。
学校やら宿題やらで、子供達は一日に約八時間も椅子に縛りつけられている。なのに、卒業する頃には、ちょっとでも知的な話になったら、目を泳がせるか、「わからない」なんて言葉で片付けるようになってしまっている。しかもこんな状況がもう半世紀以上以上に渡って続いているってことに気づいている人はもっと少ない。自分のやりたいことをやったり、自分の教養を深めたり恋愛が出来るような日々の時間が増える事を、いったい誰が嫌がるだろう? 案内人は、自分の考えを思いつくまま色々と話してくれたんだ。
「僕たちは誰しもが自分という国の元首なのです。そう考えると一つ一つの行動が大事になって来ますね。行動というのは僕たち一人一人が生み出すわけですから、その責任は自分で引き受けるべきなんです。
キルギシアは誰もがのびのびと呼吸出来る場所なのです。アジアの真ん中に人知れずあるこの小さな国では、人が人が望むことと必要なこと、それを何よりも第一に考えるようにしているんです。だからここでは、労働時間が抑制されていたり、遊びや正しい情報に基づいた人間形成の場が用意されているだけじゃなく、誕生したその瞬間から、命が尽き果てるまで、その道のりを自分で描けるようになってきているんです。何の不安もなく平穏な日常を送れるようにね。」
「因みに僕たちの食堂では誰でも一日に一回はちゃんとしたご飯にありつけられます。例え元犯罪者でもその待遇は受けられます。昔だったら武器とか刑務所とか裁判所とかボディーガードとかおまわりさとか教師とか、たばことか酒とか売春とか大臣と代議士とかに流れてた金を使えば、国民全員に毎日大盛りのメシを一杯食わせることが出来ました。
六十歳になると、夜も食堂で食事が出来るようになっているんです。勿論タダだし、お店も自由に選べます。バスや地下鉄、電車や飛行機といった交通機関は自由に乗れるようになります。それから、映画館や劇場、コンサートといったにも全くお金を払うことなく通うことが出来るんですよ。まぁでも、ろ老人の話はまた今度にしましょうか。この国では何も急ぐことはないのですから。」
案内人はふいにちょっと離れると、オレンジ色に塗られた小さな戸棚のようなものを開けた。そこからちりとりと箒を取り出すと、歩道の一角を掃除し始めた。そこで僕は気が付いた。どの建物や住居の前にもそのオレンジ色の小さな戸棚がおいてあるんだ。
「日常的な運動の一つですよ。筋肉もほぐれるし。地面が汚れたら、気づいた人が戸棚を開けて綺麗にするんです。」
道や広場がどこも信じれれないくらい清潔だなとは思っていたけど、なるほどそういう事だったんだ。
「広告なんかはあるのかな?」「ありましたよ。でもこの国の経済学者がね、発見したんですよ。広告をやめればものの値段は全部半額になるんじゃないかってね。それからは・・・」
「それからは?」「生活環境改善省が宣伝広告をやめて、きちんとした情報を公開する事を提案したんです。」
気が付いたらもう真夜中、こんな調子じゃ今回の執筆もなかなか終わりそうにない。また近いうちに書くことにするよ。
こんにちは。