二通目の手紙ーーー子供達は十六年間遊びながら過ごすーー
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https://youtu.be/dJUpKOMI2fs?si=etWed3hzRQu5GT_N
親愛なる皆へ
皆にキルギシアでの滞在を綴った紹介を見て、反応は人によって様々だったね。感激したとか信じられないとかいったメッセージを送ってくれた。とりわけ、この素晴らしい国では経済がしっかりと反映していることや、どんな仕事でも充分な給料がもらえて、しかも一日に三時間以上働かなくていいということに対して。
でも、これは事実なんだ。物質的なものだけではなくて、暮らしの中のゆとりもしっかりと保障された人々がどんなに心穏やかなものか、想像するのは難しいかもしれないけど。
今日、僕は学校を見せてくれと頼んでみた。学校っていえば当然、教室ごとに区切られた巨大な建物ばかり思っていたんだけど、僕が連れていってもらったのは子供達が遊びまわっている十か所くらいの公園だったんだ。
ここでは五歳から十六歳までの子供達が一日中遊んでいて、何か問題が起きれば常駐している大人が対処できるようになっている。
子供達二十人に対して、一人の大人がその世話と責任を受け持つんだ。両親が午前中に三時間の仕事を終える頃に学校でも休憩時間が認定されている。彼らは子供達を訪ねてきては一緒に食事をとり、午後もそのまま残って遊んでいくことが多い。こうやって二、三千人の子供達が色んな遊び考えながら楽しんでいる。
世界中の子供達の99%が望んでいる事ってなんだろう?遊ぶことだよ。そして実際にここキルギシアでは、子供達は思う存分遊んでいる。そう、ここでは人間の望みが全て叶えられているんだ。
「でも一日遊んでいるなら、いつ勉強するわけ?」僕は案内人に聞いてみた。彼は微笑みこう答えた。
「彼らは勉強するのではなくて、学ぶのですよ。」「というと?」
質問に答える代わりに、彼は一人の男の子に立ち止まるよう合図する。
「3543×68は?」
その子は元気いっぱいで、友達との遊びに夢中な様子だったけど、ほんの数秒だけ上を向き、早口で答えたんだ。「240924」ってね。
それから彼はまた仲間と一緒にかけていく。案内人は今度は9歳くらいの男の子を捕まえる。
「脾臓はどんな役割をするのかな?」って聞くんだ。
「血液を浄化する血小板を作るんです。」「じゃあ肝臓は?」
軽く息を弾ませつつも、少年はきっぱりと僕の目を見ながら続ける。
「エネルギーを制御する所で、グルコースとも言われるグリコーゲンを貯蔵します。あと、消化に役立つ胆汁や、他にもいっぱい作っています。あと、消化に役立つ胆汁や、他にもいっぱい作っています。」
「Do you speak English?(英語は喋れるかい?)」
「I speak five languages(俺は五か国喋れるぜ!)」と愛想よくいうと、彼は追いかけっこしていた他の男の子達に捕まらないように逃げていった。
「彼は言葉の家に通ってたんですね。各年齢の子供達の好きな映画が十の違う言葉で上映されています。ともかくこの国の子供達はみな少なくとも四ヶ国語は喋れますね。それは母国語と同じように、知らず知らずのうちに学んだものだからです。」
彼は学ぶことのメカニズムについて説明しながら、僕を公園の端っこに連れて行ってくれる。人間はいったん学んだものは忘れないものだし、勉強よりもずっと効率的だ。勉強というのはほとんどいつも義務的なものだし、教養として深く根を下ろすこともない。時間が経つにつれて急速に消えていってしまう。
勉強って、無理に覚えさせようとするわけだよね。つまり、興味や欲求から生まれるものじゃないんだ。あれは強制なんだよ。勉強を通して得た知識は切り花に似ている。記憶という名の花瓶に入れられたその花は、いくら水を入れ替えても遅かれ早かれしおれてしまう。
一方で、学んで覚えたことというのは、知りたいという強い気持ちが先にあるわけだから、言ってみれば土にまかれた種に似ている。少しずつ成長して、やがては身を結ぶ。生い茂っては、また新しい種が芽生える。
だから学ぶということがかけがえのない楽しみであるのに対して、勉強というのはしばしばストレスや不安や病気の元になってしまう。勉強が、何かを知るということそのものに拒否感を抱かせるためにあるとすら言えるだろう。
でも、この若者たちはいつどんな風に学ぶんだろう。公園の周囲には二階建ての建物があって、それぞれに異なった知りたい内容によって割り当てられているんだ。「哲学の家」「地理の家」「人体の家」「動物の家」「文学の家」「言葉の家」「数学の家」「食べ物の家」「拓也の家」といった具合さ。
子供達雨降りの時や、あるいは来たいと思った時に、こういった家にやってくる。どの家も、中はこんな様子だ。一階には食堂と、その家の分野についての起源から現代までのあらゆる情報を提供するようにプログラムされたコンピューターが、何百台も設置されたホールがある。
二階にもホールがあって、そこからは公園の素晴らしい景色が見渡せる。そこにあるコンピューターからは、その分野が今後どういう風に発展していくのか、沢山の考え方が引き出せるようになっているし、子供達はそれについて自分でも考えながら研究に参加できるんだ。
「以前には教育委員会や教師や校長や用務員や教科書に使っていたお金で、私達は毎日子供達を無料で養い、設備も三年ごとに一新することができます。宿題もテストもなければ、卒業という制度もありません。子供達は遊びを通してだけでなく、こんな風にしても学んで行きます。いろんな家を訪れたり、そこで会話をしたりして、膨大な情報に触れるというわけなんです。」
一人一人が今までとは違う自分の価値を見出して、生きていくうえでの当然の権利をちゃんと尊重する。そうすれば、僕たちの社会ではしょうがないことだと諦めてしまっているような問題や犯罪だって、失っていくものなんだろうなって思えて来るよ。
「子供達は16年間遊びながら過ごすわけだよね、それからはどうなるんだろう?」「沢山の家を訪れて培ってきた事をそれぞれに仕事で実践していくんです。この国ではどの地域でも一日三時間働いて社会で貢献することで、必要なものきちんと手に入るようになってますから。まぁ、単純に言えば、自分の人生を自由に生きていくんですよ。」
ーーー思いがけず脱線ーー
僕のキルギシアからの紹介で友達が寄せてくれた返事に逐一触れるつもりはなかったんだけど、この人の返事はとても重要に思えたのでの載せることにしました。
あなたの土曜付けのキルギシアからの手紙を職場の同僚が読ませてくれて、本当に驚きました。あなたの手紙を読む内に「労働時間えお減らし、労働機会を増やそう」という昔のスローガンが思い出されたのは不思議でした。私があなたに感謝したいのは、あなたの紹介だけであっても私に夢を見せてくれた事です。人間が自由になることで生まれる、新しい社会モデルの存在を示してくれた事です。
キルギシアからの手紙をこれから読ませてくれるように友達に頼んで見ることにします。労働者みんなが意識を持つきっかけにもなるし、全く違った社会というのもあり得るんだと啓発もできますね。順応主義や右に倣えの精神から心を解き放つことが出来ればいいなと願っているんです。
新しい技術の登場は労働時間を飛躍的に短縮する事で、私達を仕事の抑圧から解放してくれるはずでした。残念ながら、僕達にあてがわれたのは、やっと生きていくだけのせせこましい時間であって、人生をじっくりと味わえるようなものではなかったんです。やっと余裕が出来るようになるのは随分老け込んでからのことだし、その頃ではもう遅いんですよね。人生を満喫する事なんて出来なくなるわけだから。
これはまだ夢の予感に過ぎないのかもしれないけれど、ともかくありがとう。