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掌編小説/灰色猫叙事詩

挿絵(By みてみん)

挿絵/Ⓒ奄美剣星「灰色猫叙事詩」



   第一節 狩り


    1 ジャングル


 真上にあった太陽が少し傾いてきたので狩りに出るとしよう。

 丸テーブルの前に置かれた藤椅子は、山吹色をしたベランダの陰にあり、ハニーは昼寝をしていた。

 ジャングルというのはどこにでもある。 屋敷を囲う白い塀。飛び越えると隙間のない森がどこまでも続いている。茂みはアーチになっていて掻き分けてゆく。森の中には、池から湧き出る小川がある。あたりには鳥やら獣が水を飲みにやってくる。少し離れた陽だまりになったところに獲物がいた。若木の小枝の皮を食べていて、ときどき、食べるのをやめ見回してはいるのだが、こちらには気づかない。

 かすかだが西から風が吹いている。

 俺は東に回り込んだ。音を立てぬように、静かに、静かに、はって前進を始めた。

 奴との距離は五メートル。近い。まだ食べている。よし! 全速で駆けだす。跳ぶ。両脚を思い切り延ばす。捕えた。あがきはしたが、すぐに観念して、ぐったりした。地ネズミだ。

 さあ、凱旋しよう。

 ――俺かい? 猫だよ。

   ノート20120701/校正20160508


     2 シャーベット


 ほう、戦いを挑むというのだな。いいだろう。侵略は許さない。

 戦いというのは脅しだ。もちろん、仕掛けられた場合のイメージ・トレーニングは万全にしてある。――俺はゆっくり、直線的に歩く。それだけでいい。

 敵は若い。耳を萎縮させ、隣の屋敷に逃げ込んだ。

 俺の王国と城は、ブナ林に臨む、波打った白い塀に囲まれた、オレンジ屋根と張りでたベランダが特徴の屋敷。――獲物がどっさりとれる狩猟場だ。

 巡視を終え、いつものように藤椅子に座るハニーの膝に乗ると背中を撫でてくれる。

 ラジオから彼女お気に入りの音楽が流れてきた。流行りボーカルで高音をだす若い男だ。甘い声という奴だ。歌が流れるときは、ぎゅっと抱きしめられ、頭に熱い涙の粒も落ちてくる。彼女の音楽趣味をとやかくいうつもりはないのだが……。


  君を愛してる。ああ。

  君を愛してる。ああ。

  だからいかないで、

  もしも捨てられたりしたら、

  死んじゃうかもしれなぃいい。

  君を愛してぇ~るぅ~♫


 初夏だ。

 ガラス製円卓上のデザート皿には冷蔵庫からだされたシャーベットの球が五つガラス皿に盛ってあって溶けかかっている。早く食べるといい。

 ――俺かい? 猫だよ。

     ノート20120701/校正20160508


    3 フィッシング


 漁というのは忍耐というより、岩や木そのものになりきることが重要だ。無我の境地。――うん、たぶん、それだな。

 いい風がふいて、枝葉が、さやさや、揺れている。小鳥のつがいが飛んできた。近くの地面をちょこまか歩いては、虫なんかをつついている様子。ふっ、運のいい奴らだ。今日の獲物はおまえたちじゃない。

 石に囲まれた大きな池だ。魚というのは奇妙なもので、そういうところに寄ってくるものだ。赤・黒・白のまだら模様の大きな奴だった。下手をすれば、こっちよりでかい。近寄ってきたそいつのエラを狙って一撃。

 エラはフックのようなものだ。瞬間的に爪に引っかけた魚は、宙に舞い上がって、半月のような形になる。それから地面に叩きつけられ、ジタバタのたうちまくっている。とどめだ。

 庇つきのベランダで、彼女は紅茶を入れていた。白い丸テーブルにはウェッジウッドのティー・カップが置かれていた。

 ほら、ハニー、プレゼントだ。

「きゃあああっ、お隣の錦鯉!」

 長い髪を後ろで束ねたハニーはジーンズにTシャツがよく似合っている。彼女は藤椅子にひっくり返って天井に双眼をむけている。――そうかそうか、卒倒するほど嬉しいのか。足元に置いておく。目が覚めたら食べるといい。

 ――俺かい? 猫だよ。

     ノート20120701/校正20160508


    4 チャンプ


 チャンプには毒がある。対戦者としては魅力的だ。ほう、ファイティング・ポーズをとって一撃をかましてきたか。あんたのパンチを喰らえばこっちが沈む。二撃、三撃と繰り出してきやがる。しなやかな肢体がまるで鞭のように俊敏だ。だが、俺のほうが少しばかりフットワークがいい。動きは読んだ。案外直線的で単純な動作しかできないようだな。

 四撃はなぎ払った。俺はここで秘密兵器もつかうことにした。隠していた爪だ。いつも研いでいるからカミソリみたいによく切れる。五撃、六撃もかわしながら、俺は変則カウンター・パンチを喰らわした。

 チャンプ、あんたの時代は終わりだ。

 奴は間をおき、貯めたエナジーで最後の突撃を仕掛けてきた。

 宙に舞い上がり奴の喉笛に奥の手の牙をお見舞いする。

 土煙が上がった。

 素晴らしいファイトをありがとう。

 凱旋だ。

 ベランダの藤椅子に座っていたハニーは、一度立ち上がると、「蛇ぃっ!」と声をあげ、またもたれかかった。天井をむいている。失神するほどに嬉しいらしい。プレゼントだ。足元においておくから後で食べてくれ。

 ――俺かい? 猫だよ。  

     ノート20120701/校正20160508


    5 ニンジャ


 神は犬に翼をお与えにならなかった。なら猫についてはどうだって? さあな。ふつう、犬は木に登らない。しかし犬族の狸なんかは例外だ。茂みを走っていたかと思うと、ふいに消えることがある。それは枝にジャンプするからだ。何事にも例外って奴はあるもんだ。――奴は軍用犬で、木の枝をジャンプし、枝から枝を伝って屋根の上にまで追いかけてくるもんだから、仲間が少なからず餌食になっている。危険なそいつは、ニンジャって呼ばれている。

 ニンジャはふだん、屋敷の前で寝そべっている。暑い日中は特にそうだ。幸か不幸かこちらの行動パターンと一緒だな。飼い主が、人の腕ほどの太さがある牛の骨を放り投げる。奴のおやつだ。宙で受け取ったニンジャは三回くらい咀嚼すると骨は粉々に砕ける。体高百センチ弱、グレートデン、対ライオン用狩猟犬だ。

 その日は、森に行けば鼠が捕れそうな天気だった。屋敷の境になっている塀を歩いていたら、そいつが駆け寄ってきた。やばい。ニンジャは塀の上を走ることができる。追いかけてきやがったぜ。――速い。木に跳び移っても奴は追いかけてくる。隣の屋敷の庇からベランダ、それから屋根へ。しつこい。ニンジャは俺を餌にする気でいるのか? いや単純に、殺すのが趣味なのかもしれない。そういうところは猫が鼠をもてあそんでから殺すのと一緒だな。だが、同じ目に遭うのはごめんだ。

 俺はまた庭に飛び降り、隣の屋敷の庭の真ん中に孤立した菩提樹みたいな古いシイの木に駆け登った。もちろん奴も追い詰めてきた。ニンジャがけたたましく咆哮した。俺は可能な限り木のてっぺんに登った。ところが、ついに枝が耐え切れなくって折れてしまった。回転しながら落下する。丸い葉っぱ、小枝、そして鋭い牙を並べ開いた奴の口がみえた。奴が容赦なく跳びかかってくる。

 ガブっ。

 俺の指には、いつも丹念に研いでいる爪が仕込んである。カミソリのなみによく切れる。どんな獲物でも一撃で仕留めてきたもんだ。ニンジャが俺の頭をかみ砕く寸前、俺は、パンチを繰り出し、フックになった爪を奴の顔に引っ掛けてやった。

 キリモミ返し。――必殺技だ。

 窮鼠猫を噛む。ああ、ちょっと違うか。またつまらぬものを斬ってしまった。メンテナンスをしなくては……。

 俺は指先を舐めた。

 背中から地面に落ちたそいつは、顔を押さえて悲鳴をあげ、のたうちまわっていた。

 ベランダではハニーがお茶を済ませて、昼寝している時間だ。

 戦ったことなどなんぞ彼女には悟らせず、何食わぬ顔で、俺は膝に跳び乗る。

「あら戻ったの?」

 Tシャツとジーンズがいかしている長い髪の彼女が背中を撫で始める。最高だぜ。

 ――俺かい? 猫だよ。

     ノート20120701/校正20160508


   6 遭遇


 県境には木こりの集落がある。駅から集落までは十五キロ。夏の一か月だけバスが三往復している。終点になったバス停からキャンプ場までは二キロ。管理人小屋で登山手続きをして、頂上を目指す。頂上には神社本殿があって、そこへ至る登山路の要所要所に山小屋がある。スケジュールは三泊二日。本日はキャンプ場から五キロ先にある、第一の山小屋に泊まる予定だ。

 登山道はもともと参道だったところだ。土地の少年は十五歳になると、標高二千メートルの山頂にある神社を詣で、大人として認められる。入口には、登山者の無事を祈って、夫婦を象った道祖神があり、俺達を守護しているようだ。

 参道とはいっても、石畳とか階段とかはない。雨季の大雨のせいだろう、道は、至る所で抉れて、そのたびに、法面すれすれを歩く羽目になる。ステップ状になった木の根の上を歩いて尾根に上がると、今度はがけ崩れしたばかりの場所に出くわし、下を見ると谷底は数百メートルくらいあるように思えた。

 登山者が小休止するために、ベンチを置いた広場が一キロ間隔で設けられている。そこで、俺と彼女は食事をとった。熊よけの鈴を一つリュックにつけた彼女。ベンチの横には、「熊出没注意」の黄色い看板がある。まったく、女というのは、無謀なものだ。

 昨今は、あれやこれや、ハンターに規制をかけたもので、熊が異常に増えた。ハンターが少なくなると、熊は人を恐れなくなる。そして、少数ないしは単独で登ってくる登山者を、忍び足で近づき、襲い掛かるのだ。

 ——おい、ハニー、リュックの自家製パンがいい香りを出している。熊が嗅ぎつけたようだぞ。

 登山口と山小屋との中間地点が、ブナ林に覆われた尾根になっている。

 熊は彼女の後ろに、のっそり、と現れた。

 彼女は気づいていない。

 熊は片手をリュックに引っ掛けようとする。

 しかし、そうはいかない。俺は、松の幹を三角飛びして、奴の腕に飛び乗った。

 一瞬、目が合う。

 熊は、もう片手で俺を払いのけようとする。その一撃はスイカ一つを粉々にしてしまう破壊力を秘めている。

 俺は跳躍した。奴の手が空を切る。——チャンス——俺は、自重に任せて落ちてゆきつつ、カッター・ナイフのようによく研いだ爪で、奴の鼻先に一発食らわす。噛みつこうったって無駄だ。奴の目が白くなったり黒くなったり、あたふたと動いた。

 俺は着地した。

 奴が鼻を押さえ、悲鳴を上げ、急斜面から谷底へと駆け下りていった。そのときになって、ようやく、彼女は何が起きたか理解したようで、ヘタヘタと地面にしゃがみ込んだ。

 ところで、おまえは何者だって?

 ――俺かい? 猫だよ。

     自作小説倶楽部第15冊第90集「猫」より ノート20171209


    7 ダイビング


 宙に浮くような。――まさにようそういう感覚を味わっている。

 居心地の悪い部屋だった。どういうつもりなのだか、ハニーの「お友達」とやらのとこへ引っ張り出された。気圧が変わって耳鳴りがした。部屋に着くと、「お友達」と紅茶ばかり飲んで話に夢中だ。何のために連れてこられたのか疑問だ。わずかに扉が開いている。向こう側にはベランダがある。欄干の向こうには自由があるに違いない。

 俺はそっちにむかって跳んだ。

 しかし地面がない。

 同じ高さのビルは少し離れた所にある。隣のはだいぶ下のほうだ。百メートル以上だな。動く車がやたらに小さい。摩天楼ひしめくコンクリートの森。高層マンションって奴だな。スカイ・ダイビングってあるだろ。パラシュートを開くまでの間、ムササビみたいに四肢を思いっきり伸ばして落ちてゆくのを楽しむ。

 下の階のベランダには親子がいて目を丸くしている。ママと坊ちゃん。

 Nice to meet you!

 遠くには大柄な娘が立っている。

 やあ、お嬢さん、女神なんだってね。いつも片手をあげていて疲れないかい? おすまししてないで笑うといいよ。そしたらハニーといい勝負だ。

 道路が大きくなってきた。街路樹がみえる。

 生きてりゃ、いつかは死ぬもんだ。ここらが勝負どころだな。

 ボールのように身体を丸め、植え込みをクッションにする。枝葉が弾け飛ぶ。

 野次馬が集まってきた。

「こないだテレビで特集番組をやっていたのを視たんだ。奴らがマンハッタンの摩天楼から落っこちる事故が多発しているんだと。けど、深手は負うものの、生還するんだって話だ」そんな声が聞こえてくる。

 人の群れを押しのけてハニーが駆け寄ってきた。

 揺らすなよ、それなりに深手。――でも生還したぜ。

 ――俺かい? 猫だよ。

   ノート20120701/校正20160508



挿絵(By みてみん)

挿絵/Ⓒ奄美剣星「灰色猫叙事詩」



   第2節 漂流譚


    1 追跡 


 大学へと続く街外れの下り坂だった。停留所でバスを降りた中年男が先をふらふら歩いていた。茶色のコートに黒地に赤のチェックになったズボン、白のスニーカー。眼鏡をつけている。頭は禿げていた。色白で小太り、一重まぶた、団子っ鼻でタラコ唇、無精ひげときている。おまけに、目の下には隅まであった。さらにまた、両ポケットに手を突っ込んでいて、……ん、コートのボタンがかけていないではないか。

 そこへ二人連れの女子高生が坂道を上ってきた。

 目が合う。

 ――やばっ。

 と、いう感じで女の子たちは、流れが悪くなっている道路を横切ってむこうへいった。

 オヤジは、ちぇっ、と舌うちして中古本屋チェーンのブックオブジェに入った。

 女子大生くらいの店員さんが、

「いらっしゃませ」

 といった途端、顔をひきつらせ、身をのけ反らせた。

 本棚と本棚の間に座り込んで本を物色していた、若い客たちも、オヤジがくると、モーセの『出エジプト』みたいに、ささっ、と立ちあがって本棚にへばりつき道をあけた。

 だが、オヤジ、可愛いらしい中学生男子生徒の前に立ち止った。BL趣味だったのか!

 そこで、ついに……。

 がばっ。

 細身・ブレザー姿の少年は直立したまま凍結した。

 オヤジが開いたのは、コートではなく、本棚のライトノベル『篠宮ハルヒの憂鬱』だった。

 うぷぷ、くくく……。

 類は友を呼ぶ。いつのまにやら同じタイプのオヤジどもが、ライトノベル・コーナーに集結し占領していたのだ。

 さて、尾行した俺が何者か、付け加えておこう。

 ――俺かい? 猫だよ。

     ノート20140301   


    2 夢枕に駆けるライオン 

   

 軍艦のように細く長く延びたキューバ。カリブ海に浮かんだ島にある入り江の小さな村からでてきた小さな帆かけ船、それが老人が操る船だ。

 ノッポだが骨と皮ばかり、黒ずんでいて皮膚癌にでもなっていそうな感じの老いた漁師は、仲間たちが飲みもしないドラム缶から肝油をすくって飲んだ。もう九十日もアタリがない。それで村じゃ、奴はもうツキに見放されたっていう噂でもちきりだった。

 若いときはアフリカ西海岸とここを往復していたもので、ライオンの群れもみたことがあった。多数の妻と子供、それを守る雄。タテガミをふるわせたライオンがサバンナの浜辺を悠然と歩いてゆくのだ。その風景が忘れられない。

 沖に繰りだして数日、カモメの群れが海面すれすれを旋回しているのがみえた。

 たぶんあそこには魚群がいるのだ。たぶんイワシだ。

 そして、老人が狙っている大マグロがそこにいるのに違いない。マグロ――この辺では大物をそう呼ぶ。老人の釣糸に引っかかったのはカジキマグロなわけだが、細かい名札は港の市場で仲買人どもがつけてくれることだ。

 老人は問題のポイントに釣糸を垂れたわけだが、アタリの大きさに戸惑い、少しずつ船に寄せてゆく。目が合い、胴体が船に横づけされたとき、その大きさに驚いた。なんたって船よりもでかかったのだから。

 網をかける。しかし巨大な魚は網を引きちぎった。

 銛をぶち込んだときの痛みにのたうち、船に体当たりをかけて、舵を欠けさせた。

 灼熱の太陽。

 朦朧とする意識。

 葛藤。

 水を飲んでいる暇などない。

 第二、第三の銛をぶち込んでいった。

 激闘は二日に及んだ。

 そしてついに奴は腹をみせて浮かんだ。

 尻餅をついた老人は、そいつをどうやって港まで運ぶか思案した。

 港に持ってゆけば四か月は食っていける大物は、小舟に載せたら最後、転覆してしまうほどの大きさがある。

 仕方がない、ワイヤーで船体に固定してゆこう。

 貿易風が吹いている。

 舵がぶち壊れたがなんとかなる。

 しかし、鮫が獲物の血の匂いを嗅ぎつけてやってきた。

 最初は一匹。

 つぎは二匹。

 最後は群れで襲い掛かってきた。

 機関銃でもあればよいのに。

 ナイフのような歯をもったやつらは、つぎつぎと魚肉を剥ぎとってゆく。

 もちろん抵抗はしたさ。老人は奴らの目から脳にむけて銛をぶち込んだ。

 そして、一匹の鮫が海面を蹴って船体を飛び越えていった。

 ――俺に出会ったのがおまえの運命だったのさ。

 奴の飛翔にあわせて、マストに駆けのぼり、そこから飛び降りて、四つんばいになった格好で双眼に喰らわせてやる。

 ――ムササビ撃ち!

 たまらず奴は失速し甲板に落ちた。

「やるな」

 老人が白い歯をみせた。

 けっきょく、港についたとき、獲物は鮫に食われて骨だけになっちまったが、全力を尽くして戦った男は美しい。貧乏神扱いしていた連中が、老人に敬意を表した。

 たぶんな、いまごろはベッドでライオンの夢でもみているだろうよ。

 俺が仕留めた鮫を売れば、まあ酒代くらいにはなる。あとでやってくれ。

 ところで、おまえは誰だって?

 ――俺かい? 猫だよ。

     ヘミングウェイ『老人と海』読書感想文にかえて ノート20141103


   3 灰色猫が消えたわけ


 昼下がりになると、伯母が紙切れにメモ書きをして、そそくさバスケットに突っ込む。そのバスケットを持たされた僕は、軽便鉄道路線のいくつか先にある停車場、馴染の雑貨屋に、遣いにやらされたものだった。

 伯父夫妻が住んでいたところの停車場は、郊外にある、キャンパス前にあった。ベランダみたいになった、乗車口から軽便列車に乗ると、他の教会との連絡役をやっていたらしい、始発から終点までの停車場を往来する、黒の聖衣を着た若いシスターが、僕に〝特等席〟を譲ってくれた。〝特等席〟というのは、運転台の真後ろにある席で、僕はフロントの窓越しから迫ってくる風景を楽しんだものだった。

 僕が、いつも降りる雑貨屋前の停車場近くには、信号手が寝泊まりする小屋があった。信号手というのは、軽便列車に、対抗車がくるのを鉄道用の信号で報せたり、踏切の管理をしたりする係のことだ。

 小庭があって、プラムやイチジク、ザクロといった果物がなっていた。郵便受けの上には決まって灰色の猫がいた。実をいうと、灰色猫は、朝方、伯父の家の郵便受けの上にいたのだ。

 ちょっとだけ、僕の秘密をいっておこう。子供時代の僕は、猫と会話をすることができた。

 友達になった灰色猫は、自分が〝天使〟だと主張した。  

 〝天使〟は〝悪魔〟をよく退治する。そして、狩りを楽しんだ後、美味しそうに、ムシャムシャ食べるのだ。僕がオヤツのチーズやベーコンをやろうとしても見向きもしなかった。〝天使〟は施しを嫌った。――信じられないくらいに、プライドが高かった。

 少し大きくなった僕は、伯父夫婦の厚意で、遠くの町にある寄宿学校に入れてもらえた。入学翌年の夏休みのことだ。懐かしい友人と再会するのが楽しみで、帰省してみると、そこに彼の姿はなかった。

 灰色猫はどこへ行ったのだろう? 伯父夫妻にきいたのだが、そんな奴はみたこともきいたこともないと、笑って答えた。

 夏祭りに、僕は、伯父から小遣いをもらった。それで、始発地から終点までゆくぶんのだけの、軽便列車往復切符を買った。

 まずは始発地に行ってみた。

 屏風みたいな山の麓に、集落と修道院があった。折り返すのを待っていると、例のシスターがでてきて乗った。

 そのころになると、あのときほど、〝特等席〟に執着もしていなかった。しかし例のシスターは、小さいころの僕を憶えていてくれて、また席を譲ってくれた。たぶん、シスターは、僕に席を譲るのが趣味なのだろう。

 軽便列車は、駆動車と遊覧車の二両編成で、それぞれが約七メートルある。運転台には、青銅か真鍮かでできたハンドルといくばくかのメーターがくっついていた。折り返してきた列車は、キャンパス前に停車した。

 伯父は、大学の準教授で子供がいなかった。僕の両親は、海外旅行の際、伯父夫妻に僕を預けたのだが、飛行機事故で逝ってしまい、そのまま、夫妻の実質的な養子に収まっていたわけだ。伯母は平凡な主婦だったのだが、伯父は、その道で、よく知られた物理学者だった。沿線にいた誰もが伯父の名前を知っていた。

 軽便列車は、雑貨屋前停車場の前にきた。信号手の小屋がみえた。

 僕は、シスターに、例の灰色猫のことをきいてみた。

「あの小屋の信号手のお爺さんがいるでしょ。革命前は大きなお屋敷に住む貴族様だったんだって。お友達と招待されたことがあるわ。小部屋には書斎があるの。いろんな本があった。お爺さんは、年をとった猫は猫魔岳に登って化け猫になるんだっていってた」

「化け猫に?」僕がきき返すと、シスターは大きく目を見開いて、「いいこと、これは二人だけの秘密よ」といった。世捨て人な貴族様の小屋には、相変わらず、プラム、イチジクやザクロが、垣根になって実っていた。

 それにしても、灰色猫の〝天使〟は、どうしていなくなったのだろう。けっこう元気だったし、餌となる〝悪魔〟どもは、穀物倉庫や屋根裏を相変わらずたくさんいたのに……。

 雑貨屋前をでた軽便列車は、さらに何駅かを通り越した。

 甲虫みたいな自家用車や二頭立ての馬に曳かせたバスを追い越して、海岸の別荘地を抜けた。この季節になると、避暑にやってくる人たちは、庭先に仮設小屋を建てて、ご近所の人を招き御茶会を開く。僕は、招待された伯父夫妻と一緒に、そういう別荘の一つに、何度か連れていってもらったことがあった。

 伯父は高名な物理学者だ。別荘に住むセレブたちは、伯父が御茶会に招待を受けてくれるのをとても名誉としている様子だった。他方で、キャンパスの職員用大学寮は3LDK。そこに住む伯父夫婦は、セレブたちとは、かけ離れた慎ましい生活を送っていた。たまに、僕は、講堂の窓から、伯父の講義をのぞきこむことがあった。

 昔の物理学者の引用文献のなかに、〝ナントカの猫〟というのがある。不思議な箱に猫を押し込めて、ある条件を満たすと毒ガスが発生し、猫は死んでしまうのだという。――そんな例え話を思い出した。

「えっ、まさか、そんな!」

 灰色猫は、年をとって猫魔岳に登って、化け猫になったんじゃない。伯父さんが捕まえて生体実験したんだ!

 シスターが、席の横に座って僕を抱き寄せ、髪を撫でてくれた。

 軽便列車の終点になる、停車場は、海水浴所がある砂浜だった。レールは、停車場からさらに、先に延びているのだが、波打ち際にたどり着く前に、砂に埋もれて途絶えていた。

 駅舎は、ヨット・ハーバーのラウンジを兼ねていた。

 横に、ゴシック風の崩れかけた修道院があった。大戦でだいぶ壊れているのだが、信じられないことに、シスターはそこに住んでいた。さまざまな町や村から寄付金を集め、少しずつ修理をしていたのだ。

 停車場に降りると、ラウンジの改札口のところで、運転士が、ヨット・クルーザーの所有者である、紳士と会話しているのが耳に入った。

「こないだ、中古の魚雷艇が競りにかけられたんだ。なかなかいい船だったよ。そいつを、富豪が買ったんだとさ」

「どんな船だね?」

「魚雷艇は、武装を外されて、高速クルーザーに改装されたものだった」

「どんな奴が買ったんだね?」

「実は、誰もみていないんだ。ただ、灰色の猫がクルーザーに出入りしているって、ヨット仲間が噂している」

 僕は、砂浜からヨット・ハーバーに、猫の足跡が続いているのをみつけた。

 〝天使〟は、穀物庫や屋根裏から、海へ、狩場を変えていたのだ!

     自作小説倶楽部第13冊第74集「灰色猫が消えたわけ」より

     ノート20160831


4 御堂関白ノ猫王


 今は昔、平安の都に、さる公卿の五男坊がいらした。叡山に小僧としてやられるものと覚悟していたところ、兄君がこぞって流行病でお亡くなりになり家督を継がれた。温厚で策略というものをつかうことがない。人徳ゆえに、ついには左大臣に昇進。藤原長者・御堂関白と呼ばれた。

 秋の彼岸に近いころ、寝殿造りになったお屋敷、そこの池に臨んだ築山の麓で、大臣は泣かれていた。

「今をときめく大臣が、なにゆえに泣いているのだね?」

 そう問いかけたのは灰色の猫だ。老いたる猫は人語を介し、人を食い殺すともいう。あるいは死者の上をまたいで尾が二つに割れて、猫又と化すともいう。築山におるその猫は猫又ではない。タメ口をきくものの品がある。――ゆえに大臣は猫王とお呼びになった。

 大臣には若い舎人が配されていた。舎人というのは、朝廷の要人警護役だ。身分こそ高くないのだが、地方名族の子弟がこの職にあることが多い。

「下毛野公時が死んだ? まだ十八ではないか?」 

 舎人・下毛野公時は武芸百般に秀でた好青年だ。――大臣は公時に目を掛け、後一条帝の随臣に推挙なされた。――悲劇がおきたのは青年が、相撲使として、筑紫に下向し力士を募集する旅の途中に病を患って倒れたとのことだ。

 しかしそれは表向きの話。――鬼に寝込みを襲われたというのが実情だった。 


「相変わらず、神出鬼没」

 天才と称せられる陰陽師は、琵琶の名手・源博雅朝臣を自邸に招いて、玄象なる琵琶の音色を肴に、月見の宴をしていた。猫王は、内裏の鬼門・土御門に居を構える陰陽師の家を訪ねてみた。

 二人の公卿は大臣同様、猫王の素姓を耳にしていた。ゆえにそれが喋ろうとも臆している様子はない。

 猫王は、南都の高僧が、経蔵を荒す怪異を除くため、召喚した神獣だ。高僧が藤原家出自であることから、長者を守護するようになったという。巷での猫王の噂では豹のようだとされる。しかし実際は、灰色をした、ふつうの大きさの猫だ。耳が大きく、尻尾が長い。豹に似ているところといえば毛並にブチがある点だけだ。

 屋敷の門は〝式〟が護っている。猫王とは懇意らしく、前に立つと、家霊は当然の如く扉を開けた。

「これは、これは、猫王殿。よい鮎を手に入れました。早速もたせましょう」主の陰陽師がいった。

「いや、水だけでよい」

「要件は?」

「下毛野公時を殺害した下手人とのことかな。猫王殿、筑紫にゆかれてもおりませぬ。かの者は京に戻っておりますのでな」

「京? 京といってもけっこう広い。どのあたりだね?」

「羅城門」

 羅城門といえば都と外界との境界をなす南門だ。しかも大路に設けられた正門である。とはいえ、門の二階には行き倒れの死者を投げ込んで鬼がでるともいう、すえた臭いのするところでもあった。


 御堂ノ大臣が、猫王の共につけたのは、源頼光なる武士だった。武士とはいっても下郎ではない。股肱の臣で、左馬権頭をしている殿上人である。

 頼光は、大臣の近臣で、腕利きの武者たちを抱える武闘派だ。血気にはやった連中が、「このような朽ちかけた門なぞ焼き払ってしまえ」とわめいていたのを抑えた。

「さて鬼は?」

「死霊は丑三つ時に、鬼・物の怪の類は夕暮れの逢魔が刻にあらわれる」 

「されば」と、源博雅が古詩を吟じ妖器・玄象を奏で始めた。カラの六朝・梁武帝の作なる詩ときき及ぶ。――あるとき皇帝は神仙境に迷いこむ夢をみた。


  水華究霊奥 陽精図神秘 具聞上仙訣 留丹未肯餌 潜名遊柱史 

  隠迹居郎位 鳳臺日 分明柏寝事 蕭史暫徘徊 待我升龍轡


 水は華やかに奥をきわめてかすみ、陽は神秘の精図なり。上仙は具聞し、丹をとどめてこれをくらわず。隠跡(神仙郷)に郎(自分)あり。台のオオトリのいわく、明け方まで柏で寝ておれば、いつの間にやら蕭史(梁王朝)になっていた。わたしは昇龍のくつわをとって侍るといたしましょう。


 器を粗略に扱えばツクモ神になる。天竺から伝来した宮中の名宝・玄象ノ琵琶はこれになって消えた。帝が怪しんで琵琶の名手・博雅に捜せた。するとだ。玄象が宮中を徘徊しているではないか。さっそく捕えて奏でてやると怪異はピタリとやんだ。帝は喜んで玄象を博雅に与えた。

 そんなふうに曲をきき一同は羅城門で逢魔が刻を過ごした。

 ――きたようだぞ。

 歌にききほれたのか、鬼は姿を現した。見目麗しき十二単の姫に化けている。着物で隠しているが、片腕がないようだ。

 源博雅の横にいた、頼光はきいた。

「かようなところにいるとは面妖な、どこぞの姫を内より食いやって、羅城門に現れたのか?」

 美姫に化けた鬼が笑った。

「頼光殿、公時殿から何か預かっていらっしゃいましょう」

 甲冑をつけた頼光が、したりと笑った。

「これかな?」頼光が鬼の腕を近習から受け取った。

 美姫の頭から、牛角が頭から生えて夜叉の姿をなした。いわれてみれば右腕がない様子。

 鬼は、腕をひったくるように奪うと、都を離れた。

 ――まんまと罠にかかりおった。

 一同が顔を見合わせて笑う。

 公時は、鬼の腕を斬り落した。片腕を斬りおとされた鬼は、取り戻そうと、その寝込みを襲った。しかし、その直前、公時は、元上司の頼光に、塩漬けにした鬼の腕を、麾下に命じて送らせていた。

 猫王は、頼光と博を供にして、猫王の後を、ついていった。それが狙い。鬼どもの巣窟をつきとめることができるというものだ。

 着いた先というのが山城国の国境・大江山に登った。そこは鬼どもが城を築いたところだった。

 頼光が、木こりの集落にでて、鬼の特徴を挙げて、正体をきいてみた。

「それは、茨城童子と申します」

「茨木童子?」

「酒呑童子の家来衆の一人ですよ」

 野には菊花が咲いていた。

 沢には揚羽が飛んでいた。


 茨木童子がたどりついた先は、街道が峠となったところから、山に外れたところにある、荒れた堂宇で、そここそ鬼どもの巣窟だった。茨木童子は、宿敵の寝首をとったのと、奪われた腕を取り戻したのがよほど嬉しれしかったのだろう、宴が催されていた。茨木童子がふらりと堂宇の外にでてきた。公時に斬られた腕が戻っている。それで通力を回復したのだ。杉の木立がいくつかあり、一瞥するや、雷が落ちたかのように、バシッと音がして、幹の途中から折れてしまった。

 物陰でみていた頼光がつぶやいた。

 ――公時はあんな鬼の腕を斬りおとしたのか!

 鬼衆は、大酒のみだが、それ以上に若い女の生血を好む。女の中でも、良家の娘が大好物。吸血鬼といいかえても良いくらいだ。

 茨木童子は女の装いだ。山姥というほどの年寄りではないが、小娘でもない。色も盛んな年増というあたりか。――女装した男鬼ではなく、れっきとした、長髪の女だ。

 博雅がいった。

「鬼どもは山伏と懇意であるときく。ここは山伏に変装して近づき、隙をついて、茨城童子の首級を挙げましょうぞ」

 しかし、話半ばで、猫王が飛び出して茨木童子の前に立った。

 女が小首を傾げた。


  あやにあやに くすしくとうと

  おおえのみやまの かみのみまえを

  おろがみまつる


 ゆらゆらと、陽炎がたつような感じになった。

 猫王が口にしたのは、陰陽道でも法術の類でもない、きいたこともない呪文だった。

 茨木童子は般若の形相となって、先ほど戯れに杉を折ったように猫王に雷撃を食らわそうかとしたのだが、通力を封じられていた。

 隙に乗じて頼光が飛びだし鬼の首級をとり、博雅が加勢して、鬼衆の囲みを破り都に帰還。御堂ノ大臣に仔細を報告した。

 頼光は博雅との間にいる神獣にきいた。

「それにしても貴公はいったい何者なのだ?」

「俺かい? 猫だよ」

          ノート20160930



          了

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