掌編小説/雨の日のポエム
こうこうと松明は照り、宴は遅くまで続いて、俳優や道化が大臣たちを楽しませる。大公は舞姫を遣わせて宰相の杯に酒を満たすようにと命じた。
「君は、あのときの――」
「憶えていて下さったのですね」
宰相は舞姫の顔をみやった。
その人は、兵学を好み、騎士による一騎打ちを抑え、徒士による集団戦を採用。父親から宰相家の家督を譲られるや小国であった主家を東方の覇者となさせしめたのだ。隠居した父親が、得意の絶頂にあった息子を戒めるかのように古典劇の一節を壁に書く。
「傲慢となった者には滅亡が待っている」若い宰相はやり返した。
家督を譲られる前、一介の騎士であった彼は王立学校に行き秀才と称賛され首席で卒業したが、在学当時の成績が唯一月並みであったのが古典文学で、まったく興味を示していない。
舞姫は武編一辺倒であった英雄を変えた。狩場の森に出かけたとき、にわか雨が降ってきたので、谷間の里にある民家の一つに立ち寄り雨具を借りようとしたとこ ろ、軒先で膝まずいた娘は花一輪を差し出し、意味不明の言葉を口ずさんだ。
騎士は内心苦々しく思いつつも謝辞を述べて居館に帰った。
「それにしても、娘が口にしたあの言葉はなんだ?」
学識のある家臣に事情を話すと、娘が教養に秀でた亡国の姫君であることを悟り、求婚しようと谷間の里に引き返したのだが、彼の地に姫君の姿はなかった。以後 宰相は、兵学はもとより、古典文学を嗜むようになり、中原の知識人たちと盛んに交流。辺境の公国に文化の薫りをもたらしたのである。
細面の大公は、若い宰相が、血を吐き突っ伏す瞬間、横に立った舞姫の顔を見やった。
「亡国の姫君よ、お見事。今は亡き御一門の仇を討たれましたな。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。こやつは土民どもに媚びて名宰相などと世に知られているが腹の奥底には、わが公国を乗っ取ろうという野心があったので始末せねばならなかったのだ」
床に倒れた英雄が、(いいさ、君なら――)とつぶやき双眼を閉じた。
何ゆえか舞姫は仇のために涙を零し、出会ったときの一節を口ずさんだ。
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七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき
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――山間の茅葺のわが家は貧しく、実の《蓑》ひとつだに持ち合わせておりませんという意味の古詩は、『後拾遺和歌集』所収、兼明親王の作。
宰相の名は関東管領の一門扇谷上杉家の家宰太田道灌という。太田道灌が主君に暗殺された後、扇谷上杉家の領国が列強の草刈り場となって滅亡に至ったのはいうまでもない。ただ雨の日のポエム・ストーリーだけを残して……。
了
※作中の「傲慢となった者には滅亡が待っている」というくだりは、『平家物語』の一節「奢るもの久しからず」を作品仕様に改めたもので、また王立学校とは足利学校のことをさしています。
(ノート201206/校正20160508)