掌編小説/文鳥王トリスタン
私の自宅には、8年前から同居している白文鳥がいます。その名はトリスタン。イギリス中世騎士物語に登場する主人公の名からとりました。トリスタンを家に連れてきたとき、先住者がおりました。やはり白文鳥であるところの蘭丸です。蘭丸ははじめ男の子だと思っていたら実は女の子でした。つまるところトリスタンは蘭丸のお婿さんとして連れてきたわけです。
トリスタンは、ペットショップの大きな巣籠にいて、中には他に十数羽の文鳥がおりました。白に桜にシルバー文鳥。私は店員さんにたずねました。
「さえずるこはいませんか?」
「みんな若いんで……。あ、あ一羽だけいますよ」
「そのこください」
ペットショップでトリスタンを指名したとき、店員さんが何人かいらっしゃって、その中のお一人が、
「ああ、あの白文鳥、まったくほかの鳥を寄せ付けない奴だ」
ちょっと悪い予感──でも私はすぐに気を取り直しました。
(おおっ、いい面構え。鷹のようだ。君の名はトリスタン、決めた!)
トリスタンと一緒の籠のなかには、ほかにシルバー文鳥がおりました。私はそれも欲しくなってしまいついついそのこも指名してしまいました。スマートな美しい若鳥です。いまブログで連載しております『伯爵令嬢シナモン』の原形はこのときすでに存在しておりましたので、飛行船〝シルフィー〟の名をとりました。
(同じ釜の飯を食った仲というじゃないか、仲良くするのだぞ、君たち)
こうして私は二羽の文鳥を自宅に連れ帰ったのです、これから大戦争が起こるとは知らずに……。
トリスタンとシルフィーを連れ帰った私は、ベランダ側の窓際に巣カゴを三っつ並べました。蘭丸、それにトリスタンとシルフィー、一姫二太郎の配列。蘭丸と王様は白文鳥、シルフィーはシルバー文鳥。白文鳥同士だからお隣同士にしてお見合いを試みてみました。両者は合い寄ってなんだかいいムード。
(これはいけるかも……)
私は思いきって蘭丸の籠にトリスタンをいれてみました。蘭丸は上の止まり木に、トリスタンは下の止まり木にいて、しばらくみつめあっています。
(よしゃーっ、がんばれ、トリスタン!)
次の瞬間──
トリスタンが上の止まり木に飛び移って、蘭丸の襟首をとらえ、ぶるんぶるんと激しく宙に振るうや、そのまま床にたたき落としたのです。
(いずなおとしーっ!)
……〝いずなおとし〟とは、忍者漫画『カムイ外伝』の主人公カムイの必殺技のことです。トリスタンはその必殺技を女の子に仕掛けたのです。以降、わが家では、悪魔のようなその白文鳥のことをトリスタンとは呼ばずに、「王様」と呼ぶようになりました。
三羽の文鳥のかごの屋根をとって部屋の中を自由に飛ばせていると、ときどき白文鳥の王様が舞い降りて、シルバー文鳥のシルフィーに何度も攻撃を仕掛けてきました。シルフィーは暴力が嫌いです。シルフィーの飛翔は軽やかで貴公子のよう、やや鈍重な飛び方をする王様はついてはこれません。そして食器棚やサイドテーブルに難を避け、(ひゅん)と一瞥するかのようにさえずるのでした。
そんな貴公子シルフィーにすっかり魅了されたのは蘭丸です。(本来は王様が婿殿になる予定でしたのに……)やがて二羽は愛し合う関係となったのです。こうしてカップルが成立すると、いままで平和主義者であったシルフィーは、愛する者と誇りのため戦うようになりました。
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昔、垓下の戦いというのがありまして、漢の劉邦と楚の項羽とが天下分け目の戦いを行いました。そのはじまりは、谷間を挟んで崖っぷちのこちらと、あちらで悪口の言い合いでした。
項羽はいいました。
「降参しないなら、捕虜にしたおまえの親父とお袋をスープにするぞ」
「秦帝国に反旗をひるがえしたときは仲間だったんだから、一杯おれにもくれよ」
戦は膠着状態となりました……。
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これをうちの王様とシルフィーがやってます。
王様が、くちばしを止まり木に激しく何度も打ち付けステップを踏み始めます。
(びよん、びょん、びょん、ぴぴぴぴぴ……っ)
対するシルフィーも負けてはいません。シンセサイザーのように、
(シュウーン、シューン、シューン、シュルルルル……)
とさえずっています。決着はなかなかつきません。
そして、ついに均衡が破れました。蘭丸がシルフィーに加勢するようになったのです。暴君の王様は敗れ、〝二人〟は勝利したのです(愛の力、すばらしい!)。
愛に勝利した貴公子シルフィーとキュートちゃん蘭丸のカップルが誕生しましたので、同じ巣かごにしてやりました。新婦蘭丸は巣穴から顔を出したり引っ込めたりご機嫌です。しかしこのペアには間もなく悲劇が訪れました。なんと、蘭丸が急死してしまったのです。夏でした。
蘭丸は実にいい子で、私が職場から帰ってくると、自家用車のドアの音をきいただけで飛び跳ねたり地鳴きしてはしゃいでいたそうです。シルフィーもショックで、しばらく愛の巣の跡にむかって呼びかけるのですが、いくらさえずっても蘭丸はいつものように顔をだしてはくれませんでした。
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秋になるとシルフィーは、身体が冷えてきて衰弱していく一方。そんなシルフィーに対して、好機とばかりに領土拡張を狙うのが王様で、シルフィーの巣かごに飛んできては猛攻をかけてきます。
(王様、君には情けというものがないのか!)
クリスマスを過ぎた頃、衰弱しきったシルフィーはもう飛べなくなり、巣穴と餌箱を往復するのが精一杯。しかし、息を引き取る日まで蘭丸との思い出の場所を死守したのです。最後までシルフィーは貴公子でした。
蘭丸に続くシルフィーの死で、王様はとうとう独りぼっちです。年齢もいつのまにやら7歳、文鳥の寿命が尽きるころ。二羽が死んでから王様には鏡を与えてやり、ストレスの発散をさせてやっていました。鏡にむかって王様は、例のタップダンスで求愛とも宣戦布告ともつかない態度を繰り返しています。
(君も老いたねえ、ブラッド・ピットの『ジョー・ブラックをよろしく』を一緒に見たろ。ダンディーな大富豪のパパが現実派の娘に繰り返しいうじゃないか、「一生に一度くらい身を焦がすような恋をしてみろ」ってね)
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私は、若いシルバー文鳥の女の子を新しい同居者に迎え、そのこの名前を徳姫とし、通称を姫姫としました。徳姫の名の由来は、私の故郷の伝説的なヒロインで奥州藤原氏の姫君、その人がいるだけでみんなが幸せになったといいます。また通称の姫姫は英語に直せば〝プリンセス・プリンセス〟となります。
しかし姫姫は飛び方が変です。気になって獣医さんに看ていただいたところ、白内障とのこと。これでは王様とペアになって二世を育てるのは無理な話。私は弱すぎる姫姫の巣かごに王様が侵入しないように、天井の蓋を外しません。それでも姫姫は王様が大好きです。王様が飛んでくると、喜んで地鳴きしたり羽ばたいたりします。
相変わらず乱暴者の王様は姫姫を威嚇して、〝戦いの踊り〟をしているのですが若い姫姫は意味が判らず、女の子だというのに男の子のようなステップダンスをしています。もちろんさえずりが出来ずに〝地鳴き〟で、ちゅんちゅん、やってます。
ある日、試しに王様と姫姫を捕らえて、姫姫に王様の背中を蹴らせてみました。ぐるるるるっ、と王様はお怒り。私は怪我をさせる前に、姫姫を王様から引き離しました。
しかし。
先日、休暇で出張先から帰ってみると家内が、
「すごいよ。王様と姫姫がキスしてた、かごの格子を挟んでだけど……」
といいますので、再び私は王様と姫姫を捕らえ、姫姫に王様の背中を蹴らせてみました。王様はもう怒りません。生涯の最後になって、ついに他者を愛することを知ったようです(よかったね、王様!)。
了
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ノート20090228/校正20160507