掌編小説/神宮少佐奇譚
01 幽霊
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トパーズを削り出して天に向けた格好の三階建てアールデコ風建物。そこが「彼」の城だった。
「ようこそ『研究所』へ。貴女が何しにここに来たかは分かっているし、リストは手元に届いている。ああ、私か。陸軍参謀本部の神宮少佐だ」
「お若いのですね。その若さで所長。もっともこの分野ばかりは年功序列も出自も関係なく、異能の『血筋』でしか勤まらない」
若い高級将校は葉巻をくわえると机の上に軽く腰掛はにかむ。
「ご令嬢、『憑き物』にお悩みとのことだが大した問題ではない」
「え? 私は生まれたころからこれで悩んでいた。どんな祈祷師でも『払う』ことはできなかった」
「払う? そんなことに意味はない」
「意味がないですって!」
令嬢は紅潮して勢い詰め寄る。少佐は平手を上げようとした女性の手をつかみ抱き寄せると唇を奪った。大きな窓から月明かり。長い口づけ。髪につけた赤いリボン、青いドレス。そればかりが床に残る。
「ふうん、生霊ねえ。願いはかなえてやったよ」
神宮少佐が官舎で眠るのは執務が終わる深夜二時だ。眠気覚ましにベルを鳴らして珈琲を部下・風見少尉に命じた。
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02 浴衣
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トパーズを削り出して天に向けた格好の三階建てアールデコ風建物。そこが「彼」の城だった。
「ようこそ『研究所』へ。貴女が何しにここに来たかは分かっているし、リストは手元に届いている。ああ、私か。陸軍参謀本部の神宮少佐だ」
「貴男様が噂の神宮少佐? 本当にお若い。異能の『血筋』の世界では『プリンス』とも呼ばれていらっしゃるとか」
若い高級将校は葉巻をくわえると机の上に軽く腰掛はにかむ。
「夢二ですか。あの画家はいけない。早く別れなさい。それが御身のためというものです」
「それが出来たら、悩みなど……」
か細い身体が床に崩れ落ちる寸前、葉巻をくわえた青年が、帯に手を触れた途端に浴衣が、はらり、と落ちて全裸となる。その背に透けた感じの優男がおり、若い娘を後ろから犯した形となっている。神宮と目が合う。
「みつけたよ、夢二君」
若い少佐の手には小さな香水瓶があり、親指で蓋を外して水を娘の背に垂らす。「聖水」だ。
ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ。
画家の生霊は悲鳴をあげたが神宮は涼しい顔だ。そいつは娘の後ろから交わった格好のまま、一分ほどのたうちまわり、やがて消えた。
若い女をソファに寝かす。裸に手を触れたのがよほど不快なのだろう。神宮少佐は葉巻をくわえたまま洗面器で熱心に手を洗い、それからデスクの上のベルを鳴らした。
「風見君、珈琲を」
ほどなく士官学校出たての少尉が珈琲を運んできた。
翌日、画家の死が報じられた。さらに、「事象」のあった夜からかなり経って、浴衣の娘は結婚し一子を授かったということを風見少尉から報告を受けるのだが、少佐は葉巻をくわえたままデスクに向かって無関心な様子だ。
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03 秘書
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トパーズを削り出して天に向けた格好の三階建てアールデコ風建物。そこが「彼」の城だった。
「ようこそ『研究所』へ。貴女が何しにここに来たかは分かっているし、リストは手元に届いている。ああ、私ですか。陸軍参謀本部の神宮少佐です」
「初めまして神宮少佐。首相秘書の桜澤と申します。単刀直入に申しまして、合衆国と戦争になった場合、勝てるのですか?」
若い高級将校はソファを指さして若い女性秘書に座るよう勧め、葉巻をくわえると机の上に軽く腰掛はにかむ。
「敗けますよ。国土は焦土と化し植民地同然になる」
「大臣や将軍たちに向かって、どうして貴男は反対しなかったのです?」
「しましたよ。どっぷりと憑かれているのでね」
「あなたなら祓えるでしょうに」
「無駄だ」
「なぜ?」
「国そのものが『神』に憑かれているからです」
長椅子に腰かけたスーツ姿の秘書官がスカートからはみ出した長い脚を揃え、少し前かがみとなり低い声で訊き直す」
「『神』というのは?」
「この国の体制自体を許さない『世界意思』とでもいうべき怨念」
「貴男ほどの方でも勝てないのですね?」
「国に生命を捧げます」
桜澤秘書は部屋を出て行った。
代わってソファには、ちょこんと、童女が座っている。長い黄金の髪、赤いリボン、エメラルドの瞳。
「『天使』君。来訪の際は一報してからと忠告したはずだが」
「出ていく時に震えているのをみたでしょ。抱いてやればよかったのに。あの仔、 強く望んでいたわよ。抱かなかったのは私への義理立て? 愛しているから?」
問いかけを無視する。笑みを浮かべた神宮少佐が、「天使」と呼ぶところの招かれざる客も期待している様子はない。
「首相を狙っているのか?」
「まさか。事務屋軍人の東条英機は御しやすいの。『神』が手をくださずとも、勝手に踊ってこの国を破滅させる。敗けて裁判にかけられ絞首刑にでもなればいいのよ」
「するというと狙いは山本五十六閣下あたりか?」
「さあ、どうかしら」
童女が腕を伸ばして中空に舞わす。白鷲のような翼となり、マントのように翻し、日輪のような後光が暗い部屋を真っ白にしてから消える。
眩しげに双眼を細めた神宮は立ち上がるとデスクの灰皿に葉巻をねじるようにして火を消してからベルを鳴らした。
「風見君、珈琲を」
ほどなく士官学校出たての少尉が珈琲を運んできた。
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04 アイスクリーム
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トパーズを削り出して天に向けた格好の三階建てアールデコ風建物。そこが「彼」の城だった。
「陸軍参謀本部の神宮少佐です。ようこそ『研究所』へ。貴女が何しにここに来たのか事前の連絡を受けておりませんが……」
「首相秘書桜澤です。神宮少佐、アイスクリームをお届けに参りました」
「アイスクリン?」
「『暑気払い』にと首相がお届けするようにと……」
「ほお」
テーブルの上にはガラス皿に丸く盛られたアイスクリームがある。
少佐は立ち上がると若い女性秘書桜澤にソファへ座るよう勧め、自身は執務室を一巡してデスクの縁に腰かけ、葉巻煙草に火をつけベルを鳴らす。
桜澤はどきまぎして少佐の顔を伺っている。
「風見君、風見君、珈琲を頼む」と声を上ずらせて士官学校出たての少尉を呼んだ。若い少尉が珈琲を持ってやってくると、「暑い日には熱い飲み物が健康にいいと訊く」ととどめを刺すようにいう。
桜澤は居心地が悪くなり半ベソをかいて逃げ出す。
風見少尉も熱い珈琲をテーブルに置くと首をすくめて退室した。扉が再びしまり木彫の部屋は薄暗くなった。
するとどうだろう。若い女性であるところの首相秘書に代わって、童女がソファにちょこんと座っていた。ご丁寧なことに桜澤が差し入れに持ってきたアイスクリームにスプーンを刺して口に運んでいるではないか。
「女心を無視すると『生霊』になって憑かれるわよ」
「また君か『天使』君。来訪のときは一報するようにとこないだも忠告したはずだ」
童女が腕を伸ばして中空に舞わす。白鷲のような翼となり、マントのように翻し、日輪のような後光が暗い部屋を真っ白にしてから消える。
「隙あり」
童女は嘲笑のみがしばし部屋に残る。眩しげに双眼を細めた神宮は立ち上がるとデスクの灰皿に葉巻をねじるように火を消しベルを鳴らした。
神宮の口には、童女がアイスクリームを食べていたのと同じスプーンが突っ込まれている。
「風見君、珈琲をもう一杯頼む。そらから消毒薬だ」
ほどなく士官学校出たての少尉が珈琲を運んできた。
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05 サーカス
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トパーズを削り出して天に向けた格好の三階建てアールデコ風建物。そこが「彼」の城だった。
「失礼します、首相秘書の桜澤です」
「陸軍参謀本部の神宮少佐です。ようこそ『研究所』へ。貴女が何しにここに来たかは分かっているし、リストは手元に届いている」
「そうでしょうか?」
桜澤はうつむいた。泣いているようにもみえる。
若い高級将校はソファを指さして若い女性秘書に座るよう勧め、葉巻をくわえると机の上に軽く腰掛けてはにかみかけたときだった。
桜澤の長い髪が、シュルルルと伸びて神宮にまとわりつき、軍服を切り刻んでゆく。そして上半身が裸となったところで、座っている自分の長椅子に引っ張り込む。
途端、女の服も散り散りとなって霧散。全裸となって仰向けにさせられた神宮の上にまたがった。神宮は横目でソファの下をのぞいてみる。
(まるでサーカスの空中ブランコだ)
なんとソファは、両端がロープでつながれていて、あたかもブランコのようになっているではないか。桜澤が体躯を前後に蠕動させるたびに、宙づりの長椅子もまた振り子運動をするのだ。
桜澤が、はだけた乳房の突端を上半身の服を裂かれてしまった神宮の胸板に羽毛でくすぐるかのように蠢動させる。
神宮は桜澤の髪を撫でた。撫でながら左人差し指で、中指にはめた指輪のダイヤモンドの宝石を台座から横にずらし、中に蓄えた聖水を垂らしたのだった。
あっ、あああっ。
女は無念そうな表情となり神宮の唇に自らの唇を重ねたところで消えていった。
ソファはなおもまだ宙空に浮かんでいた。入口側の壁から窓際に向かって蜘蛛が飛んでロープになる。その上を童女が玉乗りしながらやってきて、胸板のあたりで立ち止まり神宮を見下ろす。
「彼女の生霊、だんだん手に負えなくなってきたわね。いい加減、セックスしてやったら?」
長い黄金の髪、赤いリボン、エメラルドの瞳。
「『天使』君。来訪の際は一報してからと忠告したはずだが」
「やっぱり、貴男は私を愛しているのね?」
問いかけは無視する。神宮少佐が、「天使」と呼ぶところの笑みを浮かべた招かれざる客も期待している様子はない。
『天使』といわれた童女が嘲笑した。華奢な両腕を伸ばして中空に羽ばたかせると白鷲のような翼となり、マントのように翻して日輪のような後光が暗い部屋を真っ白にしてから消えゆく。
眩しげに双眼を細めた神宮は立ち上がるとデスクの灰皿に葉巻をねじるように火を消しベルを鳴らした。
いつもよりも声が弱弱しい。
「風見君、珈琲を。それから消毒薬を多めに、解熱剤も持ってきてくれ」
ほどなく士官学校出たての少尉が珈琲を運んできた。
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06 黄昏
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トパーズを削り出して天に向けた格好の三階建てアールデコ風建物。そこが「彼」の城だった。
研究所所長室の板床には五芒星が描かれ、中央部の五角形の内に煙を噴き出す複数の試験管液体をたらすたびに赤や緑の火花が散って弾ける。
扉の向こうからノックの音。風見少尉だ。
「神宮少佐、珈琲でもいかがですか? あっ!」
「風見君、悪いが後で戴くよ。次から部屋に入るときは、私が『了解した』と答えるまで開けないでくれよ」
部屋の扉を開けた風見が下を向くと、床が海になった。デスクもソファアも、ガラス板の上に置かれた状態になっている。
神宮は空飛ぶ乗り物にのっていた。八つの頭を持った蛇、ヒドラの一種「オロチ」である。「オロチ」のはるか下には海原に浮かぶ珊瑚礁の小さな島があり星条旗がはためいている。軍港には空母やら巡洋艦が集結していた。そこに日本の艦隊が忍び寄り、空母の艦載機が島に奇襲をかける。
神宮を童男童女五人が囲んだ。一人は部屋に来る童女。残り四人が一斉に、「守護天使」といってから、それぞれ、「A」「B」「C」「D」と名乗った。「A」はカウボーイの格好をしている。「B」はメイドのような恰好。「C」はチャイナドレス。「D」は羽の付いた帽子を被っていた。
「御機嫌よう、『守護天使』米・英・中・蘭の皆さん」
アルファベッドの「守護天使」と並んで、いつも来る黄金の髪をしたエメラルドの瞳の童女が語りかけてくる。
「神宮少佐の頭文字は『J』、Japanの頭文字『J』でもあるわよね」
「日本の守護天使はミカエル。君だったはずだが?」
「私ってほかの国の守護天使でもあるし、この国では異端だから――」
童女が嘲笑した。
神宮は煙草をくわえたままだ。
ミカエルとアルファベットの守護天使たち五人が囲んでいる神宮に指を向けた。発せられた閃光はあまりにも激しすぎ、周囲を白くした。扉のところで立ちすくんでいる風見が珈琲カップを床に落してしまった。
陶器が割れる音がした。
翌朝。一度だけベルが鳴らされた……いや、どうにか鳴らしたようだった。ソファアには血だらけになった神宮が仰向けに寝転んでいて、くわえた葉巻を指に移したその人と扉を開けた風見の目が合う。
「風見君、珈琲を頼む」
士官学校出たての青年はその日、日本海軍連合艦隊が、ミッドウェイ沖の艦隊戦で大敗北を喫したことを知ることになる。
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07 海ゆかば
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トパーズを削り出し、天に向けた格好のアールデコ風三階建物。そこが「彼」の城だった。ステンドグラスをはめ込んだ教会風の窓を開けると東京の市街地が望めた。オフィス街、工場、学校、住宅街、線路、道路までもがオレンジ色に染めあげられていた。
「ようこそ『研究所』へ。閣下が何のために来られたか、存じておりますし、リストも届いております。私ですか?
陸軍参謀本部の神宮少佐です」
「噂通り若いな。単刀直入にいう。要件は、日本が持てる可能な限りの戦力をラバウルに結集させる。ミッドウェイ以来の損失を挽回したいのだ。君の意見を訊きたい」
「そこそこ、成功なさるでしょう。ただし、代償に閣下は生命を差し出す羽目になります」
「本懐とするところだ」
将領が、部屋を出て行く際、士官学校出たての青年の肩に手をやった。
「君がいれたのかね。久しぶりに美味い珈琲を飲んだよ」
「光栄です、山本提督閣下」
山本を見送ったあと、興奮気味の風見少尉が、珈琲カップを下げ部屋を出た。
入れ違いに、ソファに座っているのは童女だ。フランス人形のような腰にリボンをつけたスカート姿をしていた。
「ミッドウェイで死んだと思ったら生き返ったのね。でも貴男は童貞と一緒に『力』の半分を喪失した。首相の東條、やっぱり間抜けだわ。性交を忌み嫌う宮廷魔道士に女を近づけるなんて。よりにもよって、秘書の桜澤に介護させるなんて。ふふふ、生霊ではなくて、本物のあの女が、貴男に乗って、自分で自分の中へ収めてしまった。確かに、あの娘は美麗であるし、官能的ではある」
神宮は動じぬ様子で、口にくわえた煙草に火をつけた。
「何を敗北とするのだね?」
「何よ、その勝ち誇った目は? まさか、桜澤、孕んだのね?」
「嫉妬したのかね、天使君?」
天使と呼ばれた童女が、きっ、と睨んだ。
「殺す。山本を殺す。貴男なんか大嫌い!」
童女が腕を伸ばして中空に舞わす。白鷲のような翼となり、マントのように翻し、日輪のような後光が暗い部屋を真っ白にしてから消えた。
デスクの書類用紙が、舞い上がり、天井で渦巻いていた。
眩しげに双眼を細めた神宮は立ち上がるとデスクの灰皿に葉巻をねじるようにして火を消してからベルを鳴らした。
「風見君、珈琲を」
ほどなく、士官学校出たての少尉がまた、珈琲を運んできた。
了
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ノート20120629/校正20160508