自作詩/戦車が広場を駈けたとき
猛暑続く中、燕が旅立ってゆきます。
私が携わっている関東のとある遺跡に、アフガニスタンから二人の若い考古学者が研修のため訪れてきました。近く鉱山開発に伴う仏教寺院の緊急発掘調査を行うとのこと。アフガニスタンといえばルビーくらいしか思い浮かばず、「どのような鉱山か」うかがったところ、通訳の日本人博士が、「アフガニスタンでは外貨獲得のため、鉱山の探査に躍起になっており、外国技術者を招聘して、どうにか、発見したのが銅鉱山。開発にあたって各国に打診したところ、手を挙げたのは中国一国のみだった」のだとか。精悍な顔をした二人の考古学者。紀元前四世紀の遺跡を掘る前に、立ち寄って、また帰る。
内戦多く、地元の考古学者も戦士の顔。
しかして中国って……。
1989年に「天安門事件」というのがありまして。自由化を求める学生や市民が北京の天安門広場に集結。一部閣僚なんかが支持にまわったとき、洗車が突入し、テントごとひき潰してしまったという事件。
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戦車が広場を駈けたとき
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あの事件、君はあれからそのままだ。
家庭をもったいまも愛しているよ。
広場を戦車が抜けたとき、
手を離さなければと後悔している。
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外国のことで、政治的なことはあまりいいたくはないのだけども、これはあんまりなこと。春のできごとでした。その年の夏に上海に行きました。北京での騒動のときは、呼応して、バスが焼かれるといった暴動が起こり鎮圧されています。街を歩いていた私が日本人だと判ると、戒厳令状態だった市民の方が、「観光客がきた。ようややく落ち着いたなあ」という感じで安堵された顔になったのを憶えています。
了
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ノート20120622/校正20160508