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覚書/滅亡文明・トラキア

挿絵(By みてみん)

「滅亡文明/トラキア」

~同文明(前5~前1世紀)は、バルカン半島に栄えた。神殿と墳墓が調査されている。宮殿や都市は調査中。精緻な黄金細工が多量に出土することから黄金文明の異名がある。ローマによって滅ぼされた。トラキア人は記録をしなかったので歴史は霧の中だ。図は、ブルガリア・スペシタリア村で見つかった王墳墓だ。女性像列柱が見事である。



 バルカン半島の突端で、ヨーロッパトルコ・ブルガリア・ルーマニアにまたがった地域をトラキアという。紀元前五世紀から紀元前一世紀にかけて文明が存在している。現在、ブルガリアにおいては、紀元前五世紀から三世紀の墳墓が発見され、調査が行われている。

 ギリシャやヘレニズム文化の影響を受けている。いくつかの部族に分かれ、牧畜や農耕を行い、蜜蜂を飼っている。また黄金の産地でもある。同時代の墳墓からは、黄金製品を大量に出土し「黄金文明」とも呼ばれるている。インド・ヨーロッパ語族とされるが、遺伝的な要素はいまだ判っていない。

 紀元前三世紀にマケドニアに征服される。このうちトラキア北部で、現在のルーマニアの一部に当たる地域は、ダキアと呼れる。紀元前一世紀にブレビスタを盟主として、当地の諸族が連合し、ダキア王国を成立させる。紀元八八年に即位したゲテバルス王が、共和制ローマと抗争し二個軍団を撃破する。

 ローマ皇帝トラヤヌスが、紀元一〇一年から一〇六年の間に二次に渡る「ダキア戦争」を開始。首都サルミデゲトゥサを陥落させ、征服。ダキア属州とする。ローマの支配後、スラブ民族、ゴート民族、トルコ民族が押し寄せ、混血が進む。ローマと混血した人々が、ルーマニア人の始祖となったとされる。

 バルカン半島は、民族の興亡が著しい。黄金文明トラキアは、いまだに深い霧の中にある。

    了


     ノート20120630/校正20160508

挿絵(By みてみん)

(ミュシャのパネルの前に)

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