覚書/滅亡文明・エトルリア
「エトルリア文明」
同文明(BC8世紀‐BC1世紀)は、イタリアにあり、優れた石積み建築技法・フレスコ画などに特徴がある。ローマ文明に多大な影響を与えた。図は、チェルヴェーテリ近郊にあるバンディタッチャ墓地遺跡だ。
紀元前八世紀から紀元前一世紀のことだ。長靴の形をしたイタリア半島中部で、ローマのすぐ北側であるトスカーナ地方一帯に、十二の都市国家があった。エトルリア文明という。
十二都市は軍事同盟を結んでいた。アルファベットを扱い、地元のエトルリア語と国際語であったフェニキア語を話した。主要な輸出品目は鉄だ。地中海一帯で交易し、特にフェニキアやギリシャと深く関わった。紀元前四世紀頃から、少しずつ新興国ローマに、切り崩されて行く。紀元前八七年のユリウス法によりローマ市民権を得、やがてローマに同化し消滅した。平和的な滅亡といえよう。
エトルリア人が、どこからやって来たかは定かではない。現在トルコ共和国のある小アジアからだとも、在来の民族だともいう。注目する説の中には、エジプト第二十王朝に記録が残される「海の民」ではないかという説がある。紀元前一千年ごろ、ヒッタイトやミケーネを壊滅させ、エジプトを侵した海賊たちがいた。その犯人ではないかというのだ。その説に従うならば、東地中海を掠奪した財宝で文明を築いたことになる。海賊文明? イギリスを筆頭に征服先の文明に融合して消滅して行く中世のバイキング文明のようで興味深い。
了
ノート20120630/校正20160508