表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/100

覚書/滅亡文明・エトルリア

挿絵(By みてみん)

「エトルリア文明」

 同文明(BC8世紀‐BC1世紀)は、イタリアにあり、優れた石積み建築技法・フレスコ画などに特徴がある。ローマ文明に多大な影響を与えた。図は、チェルヴェーテリ近郊にあるバンディタッチャ墓地遺跡だ。



 紀元前八世紀から紀元前一世紀のことだ。長靴の形をしたイタリア半島中部で、ローマのすぐ北側であるトスカーナ地方一帯に、十二の都市国家があった。エトルリア文明という。

 十二都市は軍事同盟を結んでいた。アルファベットを扱い、地元のエトルリア語と国際語であったフェニキア語を話した。主要な輸出品目は鉄だ。地中海一帯で交易し、特にフェニキアやギリシャと深く関わった。紀元前四世紀頃から、少しずつ新興国ローマに、切り崩されて行く。紀元前八七年のユリウス法によりローマ市民権を得、やがてローマに同化し消滅した。平和的な滅亡といえよう。

 エトルリア人が、どこからやって来たかは定かではない。現在トルコ共和国のある小アジアからだとも、在来の民族だともいう。注目する説の中には、エジプト第二十王朝に記録が残される「海の民」ではないかという説がある。紀元前一千年ごろ、ヒッタイトやミケーネを壊滅させ、エジプトを侵した海賊たちがいた。その犯人ではないかというのだ。その説に従うならば、東地中海を掠奪した財宝で文明を築いたことになる。海賊文明? イギリスを筆頭に征服先の文明に融合して消滅して行く中世のバイキング文明のようで興味深い。

     了


ノート20120630/校正20160508

挿絵(By みてみん)

御案内役 大英博物館学芸員シナモン

(10歳時、T・E・ロレンス大佐と)

 ~第一次大戦の英雄<アラビアのロレンス>はもともと考古学者でした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ